<金秀シニア沖縄オープン 最終日◇18日◇喜瀬カントリークラブ(6,881ヤード・パー72)>
国内シニアツアー開幕戦『金秀シニア沖縄オープン』の最終日。初日3位につけた久保勝美が1イーグル・4バーディ・2ボギーの2日連続の“68”でトータル8アンダーで初優勝を挙げた。
青木功、シニア開幕初日にいきなりエージシュート達成!
この日、久保は4アンダーの3位タイからスタートし、3番パー5で幸先良くイーグルが先行させる。しかし、その後は一進一退で伸ばせない。それでも後半の10番で5mをねじ込み、頭ひとつ抜け出す。しかし、その後も11番、12番、14番でピンチに。何とかそのピンチを凌ぎ、2位に1打差の7アンダーで18番を迎えた。
その18番では2位につけていた原田三夫が会心のバーディを奪い7アンダーに並んだ。「一瞬、プレーオフを考えましたね。久保さんのパターは下りだったし」。そんな状況で迎えた久保のバーディパット。「しびれるとかはなかった。元々、きょうは上位に入って賞金を稼ぎたいという方が強くて。優勝なんて考えていなかった。入れられましたけど、僕は3パットしなきゃいいなと思って打ちました」。気楽に打ったパットはラインに乗ってそのままカップイン。右こぶしを握り締めてガッツポーズを上げた。入れ返された原田も「素晴らしい」と握手を求めた。
高校時代は埼玉・川越商で野球選手だった久保。卒業後、コカ・コーラのトラック配送の運転手をしていた。21歳の時に「営業所対抗のゴルフにお前出ろって。野球やっていたんでできるだろうと」。上達も早く、それからゴルフにのめり込んだ。配送が終わって練習、配送先の店主とゴルフという生活を1年して「プロになれるかも」と、埼玉・高根CCに研修生で入った。「5年でだめならやめようと思った」ところが5年目の1990年にプロテストに合格。「でも、鳴かず飛ばず。ゴルフ場の仕事で生計を立てていました」という。「他のスポーツと違って、ゴルフはやめさせてくれる人がいないから、ずっとやっていた。それでも、お客さんは『優勝する姿を見たい』と言ってくれる。それが励みでここまで頑張れたと思う」と、初めてのツアー優勝の味をかみ締めた。
国内シニアツアー開幕戦『金秀シニア沖縄オープン』の最終日。初日3位につけた久保勝美が1イーグル・4バーディ・2ボギーの2日連続の“68”でトータル8アンダーで初優勝を挙げた。
青木功、シニア開幕初日にいきなりエージシュート達成!
この日、久保は4アンダーの3位タイからスタートし、3番パー5で幸先良くイーグルが先行させる。しかし、その後は一進一退で伸ばせない。それでも後半の10番で5mをねじ込み、頭ひとつ抜け出す。しかし、その後も11番、12番、14番でピンチに。何とかそのピンチを凌ぎ、2位に1打差の7アンダーで18番を迎えた。
その18番では2位につけていた原田三夫が会心のバーディを奪い7アンダーに並んだ。「一瞬、プレーオフを考えましたね。久保さんのパターは下りだったし」。そんな状況で迎えた久保のバーディパット。「しびれるとかはなかった。元々、きょうは上位に入って賞金を稼ぎたいという方が強くて。優勝なんて考えていなかった。入れられましたけど、僕は3パットしなきゃいいなと思って打ちました」。気楽に打ったパットはラインに乗ってそのままカップイン。右こぶしを握り締めてガッツポーズを上げた。入れ返された原田も「素晴らしい」と握手を求めた。
高校時代は埼玉・川越商で野球選手だった久保。卒業後、コカ・コーラのトラック配送の運転手をしていた。21歳の時に「営業所対抗のゴルフにお前出ろって。野球やっていたんでできるだろうと」。上達も早く、それからゴルフにのめり込んだ。配送が終わって練習、配送先の店主とゴルフという生活を1年して「プロになれるかも」と、埼玉・高根CCに研修生で入った。「5年でだめならやめようと思った」ところが5年目の1990年にプロテストに合格。「でも、鳴かず飛ばず。ゴルフ場の仕事で生計を立てていました」という。「他のスポーツと違って、ゴルフはやめさせてくれる人がいないから、ずっとやっていた。それでも、お客さんは『優勝する姿を見たい』と言ってくれる。それが励みでここまで頑張れたと思う」と、初めてのツアー優勝の味をかみ締めた。