二人の教えに誰よりも心酔したが、実は一時期、離れたこともあった。パッティングの不調と戦っていた15年シーズンだ。
良い薬もずっと使っていると効かなくなることもある、そんな感じだったのかもしれない。ちょうど盟友の横峯さくらが結婚をして米ツアーに参戦、夫の森川陽太郎氏がメンタルトレーナーを務めていたので、ある時期は森川氏とタッグを組んだこともあった。英語が堪能になったとはいえ、日本語で話せる森川氏は彼女にとっては重要な存在だった。
最終的には再びビジョン54へと戻ってくることになったが、いろいろなメンタルコーチと話すことは、今後の宮里のセカンドキャリアに大きな影響を及ぼした。「宮里藍のゴルフを高めるためにずっとやってきたけれど、でもそれを教えるとなるとまた別のスキルが必要」。
実は宮里にはアリゾナ州にもうひとつ家がある。ここはビジョン54のトレーニング施設にほど近い場所。毎オフ、ここで数週間を過ごして来た。この拠点もまだ持ち続けたいと言うから、きっとこれこれから日本人のスピリッツに合うコーチングを学んで行くのだろう。宮里藍から新しい発信がされるのは、そう遠くない、そう思えるニューイヤーの幕開けだった。
文・武川玲子
良い薬もずっと使っていると効かなくなることもある、そんな感じだったのかもしれない。ちょうど盟友の横峯さくらが結婚をして米ツアーに参戦、夫の森川陽太郎氏がメンタルトレーナーを務めていたので、ある時期は森川氏とタッグを組んだこともあった。英語が堪能になったとはいえ、日本語で話せる森川氏は彼女にとっては重要な存在だった。
最終的には再びビジョン54へと戻ってくることになったが、いろいろなメンタルコーチと話すことは、今後の宮里のセカンドキャリアに大きな影響を及ぼした。「宮里藍のゴルフを高めるためにずっとやってきたけれど、でもそれを教えるとなるとまた別のスキルが必要」。
実は宮里にはアリゾナ州にもうひとつ家がある。ここはビジョン54のトレーニング施設にほど近い場所。毎オフ、ここで数週間を過ごして来た。この拠点もまだ持ち続けたいと言うから、きっとこれこれから日本人のスピリッツに合うコーチングを学んで行くのだろう。宮里藍から新しい発信がされるのは、そう遠くない、そう思えるニューイヤーの幕開けだった。
文・武川玲子