<全米女子オープン 事前情報◇30日◇ショール・クリーク(6,689ヤード・パー72)>
現存する最古の海外女子メジャー「全米女子オープン」。今年73回目を迎える女子ゴルファー世界一決定戦には、これまで数多くの日本人選手が挑戦し、名場面を生み出してきた。
【フォトギャラリー】全米女子オープン 開幕前の選手の表情を現地からお届け
その第一歩を刻んだのは、1970年大会の樋口久子と佐々木マサ子。このときは、樋口がトータル9オーバー、佐々木がトータル18オーバーでともに予選落ちと、高い壁に跳ね返された。しかし、翌年の大会で樋口は見事予選を突破。トータル22オーバー・29位という成績を残した。
70年代には樋口と佐々木が4回ずつ出場。72、76年にはそろって決勝ラウンドに進むなど、その後の道筋を作った。そして80年代に入り、日本人による全米女子オープン制覇を期待させる選手が舞台に登場する。それが岡本綾子だ。
82年大会から14年連続で出場した岡本は、83年に日本人選手として初のトップ10入り(8位)。以降、8位(84、85年)、3位(86年)と、世界の強豪と互角に渡り合った。
現存する最古の海外女子メジャー「全米女子オープン」。今年73回目を迎える女子ゴルファー世界一決定戦には、これまで数多くの日本人選手が挑戦し、名場面を生み出してきた。
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その第一歩を刻んだのは、1970年大会の樋口久子と佐々木マサ子。このときは、樋口がトータル9オーバー、佐々木がトータル18オーバーでともに予選落ちと、高い壁に跳ね返された。しかし、翌年の大会で樋口は見事予選を突破。トータル22オーバー・29位という成績を残した。
70年代には樋口と佐々木が4回ずつ出場。72、76年にはそろって決勝ラウンドに進むなど、その後の道筋を作った。そして80年代に入り、日本人による全米女子オープン制覇を期待させる選手が舞台に登場する。それが岡本綾子だ。
82年大会から14年連続で出場した岡本は、83年に日本人選手として初のトップ10入り(8位)。以降、8位(84、85年)、3位(86年)と、世界の強豪と互角に渡り合った。