以後、ほぼ毎年マレーシアへ出向き、今年は6回目の出場だった。現地の大会関係者は顔なじみ。リーシュマン自身も地元のファンの間ではおなじみの存在になっている。
大会の成長と歩みを一緒に眺め、ともに歩んできた人々に見守られながらウイニングパットを沈めたリーシュマン。彼の笑顔は人々に「長い間、応援し続けてくれて、ありがとう」と言っていた。拍手を送るファンのうれしそうな表情は「ついに優勝できたね。おめでとう」と言っているかのようだった。
プロを目指していた若かりし日は、ゴルフの費用を稼ぐために命の危険さえ伴う工場に夜勤で働いたこともあった。だが、愛妻が敗血症で生死の境をさまよい、奇跡的に回復してからは、「ゴルフの成績以上に大事なものを思い知った」というリーシュマン。
「今、すべてがハッピーだ。チャンスを生かせなかったことも過去にはあったが、今はとてもいい気分だ」
リーシュマンの勝利と笑顔は、さまざまな機会を与え、見守ってくれた大会に対する最高の恩返しになった。
文・舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
大会の成長と歩みを一緒に眺め、ともに歩んできた人々に見守られながらウイニングパットを沈めたリーシュマン。彼の笑顔は人々に「長い間、応援し続けてくれて、ありがとう」と言っていた。拍手を送るファンのうれしそうな表情は「ついに優勝できたね。おめでとう」と言っているかのようだった。
プロを目指していた若かりし日は、ゴルフの費用を稼ぐために命の危険さえ伴う工場に夜勤で働いたこともあった。だが、愛妻が敗血症で生死の境をさまよい、奇跡的に回復してからは、「ゴルフの成績以上に大事なものを思い知った」というリーシュマン。
「今、すべてがハッピーだ。チャンスを生かせなかったことも過去にはあったが、今はとてもいい気分だ」
リーシュマンの勝利と笑顔は、さまざまな機会を与え、見守ってくれた大会に対する最高の恩返しになった。
文・舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)