6歳の頃、テレビでジャンボ尾崎の姿を見て「これがプロ。オレもああなりたい」と思った。思えば、池田勇太が明確に“こうなりたい”と、公に対して将来像を語るのを聞いたことがない。
池田勇太流・全英オープンの“戦い方”は?【インタビュー後編】
CMが来るかも!?大会公式ウィスキーを片手に語る、池田勇太【写真】
今年の「〜全英への道〜ミズノオープン」で国内ツアー通算21勝を達成。35歳224日でツアー25勝に達したジャンボ尾崎に迫ろうとしている今、池田は何を見据えているのだろうか。
■「いい子になろうなんて思っていなかった」
憧れ続けたジャンボとのラウンドが叶ったのは、2003年の「ブリヂストンオープン」最終日。当時、池田は高校3年生。まともに挨拶すら交わしてもらえなかった。「1番ティに立ったら、グリーンまで両側がギャラリーでビッチリ」。大勢の視線を受けながらレジェンドとラウンド。すでに当時、アマチュアとは思えぬ堂々とした姿を見せていたが、さすがに緊張が走る。その中でも最終ラウンドをイーブンパーでまとめ、28位タイでベストアマを獲得した。
学生時代からプロのトーナメントで活躍を見せ、08年にプロとしてツアーデビュー。ジャンボをまねたスリータックスラックスのファッションがトレードマークだった。同時期に出てきた石川遼とはキャラクター性で対比されることもあったが、「いい子になろうなんて思っていなかった。オレの崇拝する人はジャンボさんだから」。1年目から個性を放ったが、注目を集めたのはその実力。予選会を勝ち抜いて出場した「コカ・コーラ東海クラシック」で2位タイに入ると、推薦枠で出場した「ブリヂストンオープン」で9位タイ。シーズンの獲得賞金は2000万円を超えてランキング52位、いきなり賞金シードを手に入れた。09年は、フル参戦1年目にして年間4勝を達成、翌年も年間4勝を挙げ、2年連続で賞金王争いに食い込んだ。
■「本当に勝てないかもと思ったのは、13年だった」
狙った試合は勝つ。21勝を振り返ると、地元千葉での大会、当時契約していたブリヂストン主催の大会、ジャンボにゆかりのある大会など、照準を合わせたタイトルを次々手にしてきた。「昔は自分ですぐに流れもつくれた。“ここはオレが勝つ”とボルテージもゴルフの調子も合わせている」。
デビューから飛ぶ鳥を落とす勢いで駆け抜けてきたが、立ち止まったことがある。「2011年の夏が終わったくらいから調子が悪くなって、12年の秋口に1勝したけど、その間が長かった。ただ、本当に勝てないかもと思ったのは13年だった」。
13年、当時としては歴代最年少で選手会長に就任。そこから3年間の任期を全うしたが、はじめの1年は苦渋を味わった。試合数の確保や組織改革に奔走。“選手がそこまでやるのか”。周囲がそんな印象を持つほど駆け回り、その甲斐もあり池田の任期中に試合数が減ることはなかった。
しかし、選手としては思うように成績が出せない日々が続く。11年からはシーズン複数回優勝を果たすことなく、毎年1勝に留まった。09年から出場し続けていた海外メジャーも、12年から3年間は1試合も出場することなく終わっていた。
■「目標とか夢とか、いつも聞かれると困っちゃうんですよ」
そんな中、会長3年目を迎えた15年、海外参戦について当時の池田はこう語っている。「現状として、考えの中に海外というものは特にない。やはり国内において賞金王も含めてナンバーワンになるというのが一番必要なこと」。
その言葉を現実にするかのように、16年にはくすぶっていたものが開花する。シーズン開幕直後に「パナソニックオープン」で1勝を挙げると、8月には日本代表としてリオ五輪に出場。シーズン終盤では「HONMA TOURWORLD CUP AT TROPHIA GOLF」、「カシオワールドオープン」と年間3勝を挙げて、自身初の賞金王に輝いた。
17年は世界ランキング上位の資格でシーズン序盤に海外を転戦。この年には7年ぶりの「マスターズ」出場を果たし、海外メジャー4大会すべてに参戦した。18年には「アジアパシフィック ダイヤモンドカップ」で通算20勝の大台にのり、今季はミズノオープンの優勝で5年連続8度目の「全英オープン」出場を確定させた。
順調にキャリアを築いているように見えるが、その先に見据えるものを尋ねれば、意外にも言葉が止まった。「目標とか夢とか、いつも聞かれると困っちゃうんですよ」。
■「今年は、上にいくという気持ちをあからさまに出してやってみるのもいい」
「優勝争いじゃないゴルフなんか、どうだっていい」。そんな言葉が迷わず出るほど、池田は優勝争いを心から楽しんでいる。そこには、“勝つか負けるか”という、目の前の明確な結果しかついてこないからだ。
「これを成し遂げたいということを、昔からあまり考えない自分がいる。プロになってからずっとそうなんですが、目の前のものをこなしていくというのがあった。最近なら永久シードがあと4勝で見えるから、1〜2年の間に必ず獲ろうとか、そういうことでしか的を絞れない部分もある。考え方を変えなきゃいけないと思うときもあるが、中々できなかった」。
猛然と“勝ち”に突き進んできた池田が見せた、ほんの少しの迷い。その中で次に照準を合わせたのが、今年の全英オープンだった。世界ランキングは100位前後。今年は海外メジャーに出られないかもしれない。そう思っていた矢先に決めた、ミズノオープン優勝での出場権獲得だった。
「チャンスは突如現れる。ミズノオープンもそうで、3日目に(成績が)バーンと来て“オレのものにしなきゃいけない”というスイッチがポチッと入る。チャンスを作れるかどうか、生かすか殺すかは自分次第」。
そうしてつかんだ今年の全英は、チャンスを待つのではなく、最初から“勝ち”を見て突き進むのもいい。「海外は何十回と出させてもらっても、日本ほど自信はないですよ」と笑いながらも、だからこそ勝負心がかき立てられる。「自分の中で、全英でしっかりやることが第一優先になった。言い方は普通だけど、今回は真剣にコースと向き合って、上にいくという気持ちをあからさまに出してやってみるのもいいかと思う」。
■「人生に悔いは無いけど、たぶん満足しないまま死ぬんですよ」
『プロゴルファーとして成し遂げたいものは?』という問いに、明確な答えは持っていない。それは、きっと今の池田には必要がないからだ。
「人生に悔いはなくても、たぶん満足しないまま死ぬんですよ。“もうこれでいい”と思うことは一生ない。冗談話でね、25勝して永久シードを獲ったら、ゴルフをお休みして別の仕事をやってみようかなと夢見ることはある。でも、実際25勝したら“次は30勝”なんて鼻息荒く言い出す。きっとそれが池田勇太です」。
目の前の1勝を獲れば、必然的に次が見えてくる。そのために勝利への欲を燃やし続け、優勝を積み重ねてきた。そうして北アイルランドの地で戦った後、また新しい景色が見えてくるはずだ。
撮影協力:Bar THE HAMILTON
ウィスキー提供:日本輸入総代理店 株式会社都光
池田勇太流・全英オープンの“戦い方”は?【インタビュー後編】
CMが来るかも!?大会公式ウィスキーを片手に語る、池田勇太【写真】
今年の「〜全英への道〜ミズノオープン」で国内ツアー通算21勝を達成。35歳224日でツアー25勝に達したジャンボ尾崎に迫ろうとしている今、池田は何を見据えているのだろうか。
■「いい子になろうなんて思っていなかった」
憧れ続けたジャンボとのラウンドが叶ったのは、2003年の「ブリヂストンオープン」最終日。当時、池田は高校3年生。まともに挨拶すら交わしてもらえなかった。「1番ティに立ったら、グリーンまで両側がギャラリーでビッチリ」。大勢の視線を受けながらレジェンドとラウンド。すでに当時、アマチュアとは思えぬ堂々とした姿を見せていたが、さすがに緊張が走る。その中でも最終ラウンドをイーブンパーでまとめ、28位タイでベストアマを獲得した。
学生時代からプロのトーナメントで活躍を見せ、08年にプロとしてツアーデビュー。ジャンボをまねたスリータックスラックスのファッションがトレードマークだった。同時期に出てきた石川遼とはキャラクター性で対比されることもあったが、「いい子になろうなんて思っていなかった。オレの崇拝する人はジャンボさんだから」。1年目から個性を放ったが、注目を集めたのはその実力。予選会を勝ち抜いて出場した「コカ・コーラ東海クラシック」で2位タイに入ると、推薦枠で出場した「ブリヂストンオープン」で9位タイ。シーズンの獲得賞金は2000万円を超えてランキング52位、いきなり賞金シードを手に入れた。09年は、フル参戦1年目にして年間4勝を達成、翌年も年間4勝を挙げ、2年連続で賞金王争いに食い込んだ。
■「本当に勝てないかもと思ったのは、13年だった」
狙った試合は勝つ。21勝を振り返ると、地元千葉での大会、当時契約していたブリヂストン主催の大会、ジャンボにゆかりのある大会など、照準を合わせたタイトルを次々手にしてきた。「昔は自分ですぐに流れもつくれた。“ここはオレが勝つ”とボルテージもゴルフの調子も合わせている」。
デビューから飛ぶ鳥を落とす勢いで駆け抜けてきたが、立ち止まったことがある。「2011年の夏が終わったくらいから調子が悪くなって、12年の秋口に1勝したけど、その間が長かった。ただ、本当に勝てないかもと思ったのは13年だった」。
13年、当時としては歴代最年少で選手会長に就任。そこから3年間の任期を全うしたが、はじめの1年は苦渋を味わった。試合数の確保や組織改革に奔走。“選手がそこまでやるのか”。周囲がそんな印象を持つほど駆け回り、その甲斐もあり池田の任期中に試合数が減ることはなかった。
しかし、選手としては思うように成績が出せない日々が続く。11年からはシーズン複数回優勝を果たすことなく、毎年1勝に留まった。09年から出場し続けていた海外メジャーも、12年から3年間は1試合も出場することなく終わっていた。
■「目標とか夢とか、いつも聞かれると困っちゃうんですよ」
そんな中、会長3年目を迎えた15年、海外参戦について当時の池田はこう語っている。「現状として、考えの中に海外というものは特にない。やはり国内において賞金王も含めてナンバーワンになるというのが一番必要なこと」。
その言葉を現実にするかのように、16年にはくすぶっていたものが開花する。シーズン開幕直後に「パナソニックオープン」で1勝を挙げると、8月には日本代表としてリオ五輪に出場。シーズン終盤では「HONMA TOURWORLD CUP AT TROPHIA GOLF」、「カシオワールドオープン」と年間3勝を挙げて、自身初の賞金王に輝いた。
17年は世界ランキング上位の資格でシーズン序盤に海外を転戦。この年には7年ぶりの「マスターズ」出場を果たし、海外メジャー4大会すべてに参戦した。18年には「アジアパシフィック ダイヤモンドカップ」で通算20勝の大台にのり、今季はミズノオープンの優勝で5年連続8度目の「全英オープン」出場を確定させた。
順調にキャリアを築いているように見えるが、その先に見据えるものを尋ねれば、意外にも言葉が止まった。「目標とか夢とか、いつも聞かれると困っちゃうんですよ」。
■「今年は、上にいくという気持ちをあからさまに出してやってみるのもいい」
「優勝争いじゃないゴルフなんか、どうだっていい」。そんな言葉が迷わず出るほど、池田は優勝争いを心から楽しんでいる。そこには、“勝つか負けるか”という、目の前の明確な結果しかついてこないからだ。
「これを成し遂げたいということを、昔からあまり考えない自分がいる。プロになってからずっとそうなんですが、目の前のものをこなしていくというのがあった。最近なら永久シードがあと4勝で見えるから、1〜2年の間に必ず獲ろうとか、そういうことでしか的を絞れない部分もある。考え方を変えなきゃいけないと思うときもあるが、中々できなかった」。
猛然と“勝ち”に突き進んできた池田が見せた、ほんの少しの迷い。その中で次に照準を合わせたのが、今年の全英オープンだった。世界ランキングは100位前後。今年は海外メジャーに出られないかもしれない。そう思っていた矢先に決めた、ミズノオープン優勝での出場権獲得だった。
「チャンスは突如現れる。ミズノオープンもそうで、3日目に(成績が)バーンと来て“オレのものにしなきゃいけない”というスイッチがポチッと入る。チャンスを作れるかどうか、生かすか殺すかは自分次第」。
そうしてつかんだ今年の全英は、チャンスを待つのではなく、最初から“勝ち”を見て突き進むのもいい。「海外は何十回と出させてもらっても、日本ほど自信はないですよ」と笑いながらも、だからこそ勝負心がかき立てられる。「自分の中で、全英でしっかりやることが第一優先になった。言い方は普通だけど、今回は真剣にコースと向き合って、上にいくという気持ちをあからさまに出してやってみるのもいいかと思う」。
■「人生に悔いは無いけど、たぶん満足しないまま死ぬんですよ」
『プロゴルファーとして成し遂げたいものは?』という問いに、明確な答えは持っていない。それは、きっと今の池田には必要がないからだ。
「人生に悔いはなくても、たぶん満足しないまま死ぬんですよ。“もうこれでいい”と思うことは一生ない。冗談話でね、25勝して永久シードを獲ったら、ゴルフをお休みして別の仕事をやってみようかなと夢見ることはある。でも、実際25勝したら“次は30勝”なんて鼻息荒く言い出す。きっとそれが池田勇太です」。
目の前の1勝を獲れば、必然的に次が見えてくる。そのために勝利への欲を燃やし続け、優勝を積み重ねてきた。そうして北アイルランドの地で戦った後、また新しい景色が見えてくるはずだ。
撮影協力:Bar THE HAMILTON
ウィスキー提供:日本輸入総代理店 株式会社都光