続く松山、リッキー・ファウラー、ケビン・キスナー組を迎えた16番のスタンドは、先ほどまでのすし詰め状態から一転、ガランとしたものに変わった。本来なら“寂しいスタンド”と映る光景だが、この時ばかりは、とても自然なこと、むしろ“温かみのあるスタンド”のように感じられた。
しかし、この後の2ホールでマキロイがバーディを奪うことはなかった。最終18番グリーンを取り囲むスタンド。ここでマキロイの到着をスタンディングオベーションで迎えた人々は、最後のパーパットが決まった後、再び席を立ち、大きな、とても大きな拍手を送った。ため息をつく者など一人もいなかったのではないだろうか。そして、この拍手を聞いた時、これは決して慰めの拍手ではないように感じた。“俺たちの誇りローリー”に対する敬意の拍手に違いない、そう思った。マキロイはキャップを外して、この歓声に応えた。
大会初日には第1組で、2011年全英王者のダレン・クラークがスタートしていった。午前6時35分と、早朝にもかかわらず1番ティのスタンド、その周辺には多くのギャラリーが集まり、こちらも地元の英雄を大きな応援の声とともに送り出した。グレアム・マクドウェルに対しても同じだ。ギャラリー達の選手に対する敬意は深く、どの選手にも大きな拍手、そして声援が送られていたのだが、やはり地元3人へのそれは少し違っていた。
大会は“もう一人のローリー”、隣のアイルランド出身のシェーン・ローリーが制したが、一人抜け出した3日目のラウンド後、そして優勝が決定する18番グリーンなどでは、凱歌がなりひびいた。アイルランドと北アイルランドは、長年、政治的な問題が横たわってきたが、ローリーは「これからホーム(自宅)に帰るけど、すでに今ホーム(地元)にいる。この意味が分かるかな?僕は地元で優勝をしたんだ」と“地元優勝”を強調した。
民族間の歴史については、もちろん文献などを見ていけば“知識”としていくらでも知ることができるが、私たちが本当の意味で“理解”することはできないものだろう。大会で目にした、これらの光景は濃密なナショナリズムを感じさせ、それと同時にこの国のゴルフ文化の深さも垣間見ることができた。
マキロイは予選落ちが決まった後涙し、こう話した。「きょうは自分を褒めてあげたい。そして応援してくれたすべての人に感謝したい。人生の中で、いちばん楽しいラウンドだったかもしれない。優勝したこともある大会で、予選通過と戦っていたのだから、おかしく聞こえるかもしれないけど…」。“第三者”が見ても胸を打つほど、特別にみえた関係。本人が感じたよろこびは、これまたわれわれが本当の意味で理解することができないほど深いものだったのだろう。(文・間宮輝憲)
しかし、この後の2ホールでマキロイがバーディを奪うことはなかった。最終18番グリーンを取り囲むスタンド。ここでマキロイの到着をスタンディングオベーションで迎えた人々は、最後のパーパットが決まった後、再び席を立ち、大きな、とても大きな拍手を送った。ため息をつく者など一人もいなかったのではないだろうか。そして、この拍手を聞いた時、これは決して慰めの拍手ではないように感じた。“俺たちの誇りローリー”に対する敬意の拍手に違いない、そう思った。マキロイはキャップを外して、この歓声に応えた。
大会初日には第1組で、2011年全英王者のダレン・クラークがスタートしていった。午前6時35分と、早朝にもかかわらず1番ティのスタンド、その周辺には多くのギャラリーが集まり、こちらも地元の英雄を大きな応援の声とともに送り出した。グレアム・マクドウェルに対しても同じだ。ギャラリー達の選手に対する敬意は深く、どの選手にも大きな拍手、そして声援が送られていたのだが、やはり地元3人へのそれは少し違っていた。
大会は“もう一人のローリー”、隣のアイルランド出身のシェーン・ローリーが制したが、一人抜け出した3日目のラウンド後、そして優勝が決定する18番グリーンなどでは、凱歌がなりひびいた。アイルランドと北アイルランドは、長年、政治的な問題が横たわってきたが、ローリーは「これからホーム(自宅)に帰るけど、すでに今ホーム(地元)にいる。この意味が分かるかな?僕は地元で優勝をしたんだ」と“地元優勝”を強調した。
民族間の歴史については、もちろん文献などを見ていけば“知識”としていくらでも知ることができるが、私たちが本当の意味で“理解”することはできないものだろう。大会で目にした、これらの光景は濃密なナショナリズムを感じさせ、それと同時にこの国のゴルフ文化の深さも垣間見ることができた。
マキロイは予選落ちが決まった後涙し、こう話した。「きょうは自分を褒めてあげたい。そして応援してくれたすべての人に感謝したい。人生の中で、いちばん楽しいラウンドだったかもしれない。優勝したこともある大会で、予選通過と戦っていたのだから、おかしく聞こえるかもしれないけど…」。“第三者”が見ても胸を打つほど、特別にみえた関係。本人が感じたよろこびは、これまたわれわれが本当の意味で理解することができないほど深いものだったのだろう。(文・間宮輝憲)