77年のターンベリーで、ようやくプロツアーの一員になった気がした。ベストゴルファーを向こうに回してプレーできる、負かせることができると感じるようになった。それがツアープロになって3、4年経った頃の私の目標となった。もしこのままハードワークをこなして頑張っていけば、いつかそこに達することができるのではないか、と感じるようになったんだ。
そしてターンベリーでジャック(ニクラウス)を相手に勝利して、自分もベストゴルファーに対抗できると気づいた。80年のミュアフィールド、82年のロイヤル・トゥルーン、83年のバークデール… 82年と83年ごろ、ようやくリンクスコースが楽しめるようになった。それまではリンクスがあまり好きではなかったんだ。
本当のことを言えば、78年にセントアンドリュースで初めてプレーした時も、好きではなかったよ。何が起こるか分からないのが嫌だったんだ。ボールが跳ねるのを見るのが嫌だったし、単純にリンクスが嫌いだった。その頃は、宙にボールを飛ばした。ここで、上に向かって打っていたんだ。誰でも知っているように、そのスタイルはリンクスをプレーするうえでは得策ではない。
そして2009年にターンベリーがあった。あの週は、若い奴らを少し怖がらせたんじゃないかな。リーダーボードを見ると、「ワトソン」の名前がある。彼らは「ああ、バッバか」とても思っただろうな。(最終的な結果には)ガッカリしたけど、でも少しは驚かせることができた。あの一週間はいつまでも忘れないだろう。この年齢になって、“キッズ”たちを相手に競い合い、自分のよく知るコースでベストゴルファーと対峙した。
■今年は最後の全英オープン、来年は最後のマスターズ
そして今、セントアンドリュースで最後の全英オープンをプレーすることになった。本当に最後だ。10位以内に入るのは、あまり期待していない。もしトップ10に入れたら、それはとてつもなく喜ばしいことだ。5年間また延長できるのだから。でもないだろうな。とりあえず最終日まで残れることを願っている。この歳、この状況になると、最終日に残れることを願うものなんだ。そうすればようやく、さようならが言える。
そしてターンベリーでジャック(ニクラウス)を相手に勝利して、自分もベストゴルファーに対抗できると気づいた。80年のミュアフィールド、82年のロイヤル・トゥルーン、83年のバークデール… 82年と83年ごろ、ようやくリンクスコースが楽しめるようになった。それまではリンクスがあまり好きではなかったんだ。
本当のことを言えば、78年にセントアンドリュースで初めてプレーした時も、好きではなかったよ。何が起こるか分からないのが嫌だったんだ。ボールが跳ねるのを見るのが嫌だったし、単純にリンクスが嫌いだった。その頃は、宙にボールを飛ばした。ここで、上に向かって打っていたんだ。誰でも知っているように、そのスタイルはリンクスをプレーするうえでは得策ではない。
そして2009年にターンベリーがあった。あの週は、若い奴らを少し怖がらせたんじゃないかな。リーダーボードを見ると、「ワトソン」の名前がある。彼らは「ああ、バッバか」とても思っただろうな。(最終的な結果には)ガッカリしたけど、でも少しは驚かせることができた。あの一週間はいつまでも忘れないだろう。この年齢になって、“キッズ”たちを相手に競い合い、自分のよく知るコースでベストゴルファーと対峙した。
■今年は最後の全英オープン、来年は最後のマスターズ
そして今、セントアンドリュースで最後の全英オープンをプレーすることになった。本当に最後だ。10位以内に入るのは、あまり期待していない。もしトップ10に入れたら、それはとてつもなく喜ばしいことだ。5年間また延長できるのだから。でもないだろうな。とりあえず最終日まで残れることを願っている。この歳、この状況になると、最終日に残れることを願うものなんだ。そうすればようやく、さようならが言える。