• カテゴリ別に見る
  • ギア
  • レッスン
  • ライフ
  • 漫画
  • ALBA TV TOP
  • 新着動画
  • マイナビネクストヒロインツアー
  • トッププロのレッスン
  • 話題のギア・ゴルフクラブ
  • 女子プロの素顔に迫る
  • バラエティ / 密着ドキュメント
  • ゴルフニュース / 業界情報
  • プロコーチのレッスン
  • 注目のネクストヒロイン
  • トーナメント中継
  • ゴルフ界のSNS
  • 雑誌出版
  • ショッピング
  • ゴルフ場予約
  • 連載
  • ゴルフ辞典
  • プレゼント
  • ALBA 公式SNS
  • facebook
  • X
  • instagram
  • LINE お友達登録
  • YouTube (ALBA TV)
  • 関連サイト
  • Regina-Web
  • マイナビネクストヒロイン公式
  • 掲載されている全てのコンテンツの無断での
    転載、転用、コピー等は禁じます。
    © ALBA Net

    ALBA Net  ゴルフ

    メルマガ登録

    宮里藍が高校生でプロ宣言した平成15年(2003年)【雑誌「ALBA(アルバ)」で振り返る平成のゴルフ】

    【主なできごと】小惑星探査機「はやぶさ」の打ち上げ。地上デジタルテレビ放送がスタート。朝青龍が第68代横綱に昇進。「世界の中心で、愛をさけぶ」がベストセラーになる。<br> 【賞金王/女王】<br> 国内男子:伊澤利光<br> 国内女子:不動裕理<br> 米国男子:ビジェイ・シン<br> 米国女子:アニカ・ソレンスタム<br> 【平成15年に発行された号】 379号(平成15年1月11日発行)〜402号(平成15年12月28日発行)

    配信日時:2019年4月6日 05時00分

    • ゴルフライフ
    目次 / index
    平成15年の米国女子ツアー賞金女王、アニカ・ソレンスタム。
    平成15年の米国女子ツアー賞金女王、アニカ・ソレンスタム。
    • (写真・パーゴルフ)
    • 予選2日間のスコア
    • たくさんのギャラリーが彼女を応援した
    この記事の写真 10 枚を見る
    ついに「平成」が2019年4月30日を最後に幕を閉じる。
    この31年間、ゴルフ界もさまざまな出来事があった。

    そこでALBA.Netでは、平成の30年間を走り続けてきたALBA.Netの兄弟メディアである雑誌「ALBA-TrossView(アルバ-トロスビュー)」で、平成のゴルフを振り返る。

    ALBA.Netが誕生する前年、平成18年(2006年)までを当時の記事とともに振り返ろう。

    宮里藍がプロ宣言!史上初の女子高生プロゴルファー誕生

    (写真・パーゴルフ)

    (写真・パーゴルフ)

    東北高校3年生の時、平成15年9月26日〜28日に宮城県の利府ゴルフ倶楽部で開催された「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」にアマチュアとして出場。3日間のスコアが70・70・71のトータル5アンダーで見事優勝。

    その後10月9日にプロ転向を宣言し、史上初の女子高生プロゴルファーが誕生した。

    アニカ・ソレンスタムが米国男子ツアーに出場【ALBA 390号】

    スウェーデン・ストックホルム出身のアニカ・ソレンスタムは1993年にプロ転向し、2008年の引退までにアメリカツアー通算72勝(うちメジャー10勝)を誇る女子ゴルフ界の“レジェンド”。

    賞金女王通算8度(1995年、1997年、1998年、2001〜2005年)と圧倒的な成績を挙げていた彼女が一度だけ米国男子ツアーに出場したのが2003年5月の「バンク・オブ・アメリカ・コロニアル」。女子選手が出場するのは58年ぶりということもあり、ゴルフ界からは賛否両論の声があがった。

    “アニカの前に立ちはだかったのは、小さく硬いグリーン。晴れた方が彼女に有利、という予想を裏切り、ランが出て止まらない速いグリーンに打ちのめされ、予選落ちした。しかし試合前には参戦に非難の声もあった男子プロたちは、彼女の挑戦に称賛の声を惜しまない。そしてこの経験は彼女にとっても生涯忘れえぬ素晴らしいものになりそうだ。”
    予選2日間のスコア
    たくさんのギャラリーが彼女を応援した
    1 / 2
    予選2日間のスコア
    大会前のプレスインタビューも彼女に集中。

    「ロッカールームは私一人だけ。でも今回のこの機会は一生に一度の出来事だから、大切にしたい。私は学ぶためにここに来たの」

    と堂々を答えていた。2日目までの観客数はメジャー最終日並みで、彼女が予選落ちした3日目は会場がガラガラになったという。その年の10月には世界ゴルフ殿堂入りも果たしている。

    一時代を築き惜しまれつつも引退した2008年以降は、ゴルフウェアブランドの事業やゴルフアカデミーでの若手の育成などに尽力している。先日の「オーガスタ・ナショナル女子アマチュア」最終ラウンド前の始球式に、ナンシー・ロペス、ロレーナ・オチョア、パク・セリとともに参加した。

    星野英正が中日クラウンズで念願の初優勝【ALBA 389号】

    高校時代から数々のタイトルを獲得し、東北福祉大学時代は日本アマチュア選手権も制覇。アマチュアで52冠の栄冠を手にした星野は2000年にプロ転向しツアーデビュー。そのルックスもあいまってALBA誌ではレッスン企画やインタビューなどが行われ、今か今かと待ちわびた初優勝は4年目の2003年、中日クラウンズだった。

    今でもALBA誌で続いているおなじみのコーナー「一流プロたちの19番ホール」では、次のように語っている。

    “中日クラウンズで念願の初優勝ができました。プレーの方は落ち着いてできたんだけど、ウイニングパットを決めた瞬間、わけがわからず、頭の中が真っ白に。谷口さんがスッと目の前に現れて「おめでとう」って言ってくれたとき、ようやく自分が優勝なんだ、という実感が湧いたんです。”

    優勝インタビューでの「4年間苦労しましたね」の一言に思わずウルウル。その後は2006年「コカ・コーラ東海クラシック」、2008年「UBS日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズ 2008」と現在までに通算3勝を挙げている。
    星野が念願の初優勝を挙げた前年の2002年に中日クラウンズを当時の大会最年少で優勝したのが、ジャスティン・ローズだった。G・ホールバーグが樹立した23歳3か月という記録を21歳9か月で更新。嬉しい日本ツアー初優勝だった。その後の2010年に石川遼が18歳7か月で最年少記録を更新している。

    98年「全英オープン」に17歳のアマチュアとして出場して4位に入るなど、若くして注目を集めたが、欧州ツアーの初優勝までに4年、PGAツアー初優勝までには12年かかるなど、なかなか勝てない苦しみも味わった。

    2013年に「全米オープン」で初のメジャー制覇。2016年のリオ五輪で金メダルに輝くなど、ここ数年は安定した成績を残しているローズ。今年は世界ランキング1位も経験し、クラブ契約も新しくなったなかで更なる活躍が期待されている。

    2003年に売れたクラブはこれだ!【ALBA 392号】

    ▼ドライバー部門
    第1位 プロギア『TR-X DUO』
    第2位 ダンロップゼクシオ
    第3位 マグレガーマックテック NV2-iX400』

    ゼクシオ』は初代の方向安定性に飛距離性能をプラスした2代目モデル。全体的な評価としては“曲がらずに真っすぐ飛ぶ”完成度の高い3本とのことだが、ドライバーに求める機能は今も昔も変わらないと実感できる。

    ▼アイアン部門
    第1位 ダンロップゼクシオ
    第2位 ブリヂストン『ツアーステージ V301』
    第3位 キャロウェイ『スチールヘッド X16』

    1位の『ゼクシオ』はドライバー同様2代目。『V301』は“ツアーステージ”という上級者向けモデルのブランド名を冠したのも人気の一因だそう。低重心&深重心でとにかくやさしいアイアンが人気、という構図はこちらも昔から変わらない。
    ▼FW&UT部門
    第1位 マグレガーマックテックNV iX FW』

    ▼ウェッジ部門
    第1位 タイトリストボーケイウェッジ200シリーズ』

    ▼パター部門
    第1位 オデッセイ『ホワイトホット2ボール』

    ▼ボール部門
    第1位 ダンロップ『ハイブリッド エブリオ』

    ウェッジの『ボーケイ』やパターの『ホワイトホット』などは今でも定番の人気モデル。この時代から“プロ使用率が高い”と書かれていることからも、性能の高さが伺える。メーカーで言えば、ダンロップ、ブリヂストンはもちろんのこと、マグレガーの人気を感じられるランキングであった。

    全英オープンで誕生したシンデレラ・ボーイにつきまとう不安【ALBA 395号】

    テレビ解説でもおなじみ、戸張捷さんの「ワールドツアートーク」というコーナーにて。

    “優勝に一歩及ばなかったタイガーにインタビューするために待機していたときだった。TVモニターで大詰めのシーンを観戦していた若い女性が奇声を発したかと思うと、ぴょんぴょん跳ね回りながら「どうしたらいいの?どうしたらいいの?」と叫び始めた。彼女は優勝したベン・カーティスの婚約者だった。”

    カーティスは並みいる名選手の間ではまったく目立たない成績だったが、最後の最後に全英オープンに滑り込んだプレーヤー。二人は間近に控えた結婚を前に、トーナメント半分・イギリス旅行半分でやって来たそう。ところが2003年7月20日の最終ラウンドが二人の運命を大きく変えることになった。1打差でトーマス・ビヨンやビジェイ・シンを退け優勝。まさしくシンデレラ・ボーイの誕生である。

    ここで書かれていた“不安”というのは、「メジャーチャンピオンの肩書きに見合った成績を今後挙げられるか」。カーティスはその後米国男子ツアーで3勝を挙げ、通算では全英オープンを含めて4勝。2008年のライダーカップでは初めてアメリカ代表選手に選出され、チームの勝利に貢献している。

    ゴルフライフ 週間アクセスランキング


    おすすめコンテンツ

    アルバをラインの友達に追加するバナー。アルバからおすすめの記事がラインに届きます

    関連サイト