【ゴルフうんちく講座】第3回 球聖ボビー・ジョーンズがマスターズのチケットを手売りしていた理由は?
ゴルフ発祥の歴史について諸説あるように、逸話に事欠かないのもゴルフの魅力の1つ。ゴルフの歴史に詳しいゴルフジャーナリストの三田村昌鳳氏と松尾俊介氏に、珠玉のストーリーを厳選してもらいました (※ALBA765号掲載記事を転載)
配信日時:2020年5月13日 22時00分
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仲間に最大50枚も手売り
1930年、ボビー・ジョーンズ引退のニュースは『ニューヨーク・タイムズ』の一面を飾った。ハーバードなど3つの大学を卒業。弁護士としても優れ、文学にも長けていて、しかもゴルフはアマチュアでありながら世界一の腕前。そして何より紳士であった一人の白人の若者。1929年、世界大恐慌が起こり大混乱期を迎えた当時のアメリカにあって、彼の存在はこれ以上ない理想の人物。まさにスーパースターだった。
引退の7ヵ月前、年間グランドスラム(当時は全米オープン、全英オープン、全米アマ、全英アマ)を達成し、ニューヨークでパレードをした矢先だった。引退後、故郷に近いところにゴルフ場を作ろうと全米アマで出会ったアリスター・マッケンジーとオーガスタナショナルを設計。「オーガスタナショナル招待」と名付け、現役時代に回っていた選手たちを招待して大会を開こうと計画した。
とはいえ、お金はないしチケットも売れない。悩んだ彼は弁護士仲間に最大50枚ものチケットを手売りしたという。ところが大会は大成功。以後チケットは入手困難になったが、苦しいときに協力してくれた知人たちには余ったチケットをダフ屋に売っていると知っていても「いらない」と言われない限り々枚数を提供したという。
義理人情に厚く、真摯で謙虚な彼の人柄を物語るエピソードのひとつである。(三田村)
引退の7ヵ月前、年間グランドスラム(当時は全米オープン、全英オープン、全米アマ、全英アマ)を達成し、ニューヨークでパレードをした矢先だった。引退後、故郷に近いところにゴルフ場を作ろうと全米アマで出会ったアリスター・マッケンジーとオーガスタナショナルを設計。「オーガスタナショナル招待」と名付け、現役時代に回っていた選手たちを招待して大会を開こうと計画した。
とはいえ、お金はないしチケットも売れない。悩んだ彼は弁護士仲間に最大50枚ものチケットを手売りしたという。ところが大会は大成功。以後チケットは入手困難になったが、苦しいときに協力してくれた知人たちには余ったチケットをダフ屋に売っていると知っていても「いらない」と言われない限り々枚数を提供したという。
義理人情に厚く、真摯で謙虚な彼の人柄を物語るエピソードのひとつである。(三田村)
ボビー・ジョーンズは、ザ・コカ・コーラカンパニーの顧問弁護士だったことでも有名。
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Bobby Jones(1902年3月17日〜1971年12月18日)。
ジョージア州アトランタ生まれ。球聖の異名を持つ
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Bobby Jones(1902年3月17日〜1971年12月18日)。
ジョージア州アトランタ生まれ。球聖の異名を持つ
解説者プロフィール
■三田村昌鳳 氏(みたむら・しょうほう ゴルフジャーナリスト)
「週刊アサヒゴルフ」副編集長を経てスポーツ編集プロダクション(株)S&Aプランニングを設立。翻訳書「タイガー・ウッズ伝説の序章」のほか著書多数
「週刊アサヒゴルフ」副編集長を経てスポーツ編集プロダクション(株)S&Aプランニングを設立。翻訳書「タイガー・ウッズ伝説の序章」のほか著書多数