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「チャコ」から「シブコ」へ 〜LPGAツアー70年、日本人女子プロゴルファー 栄光の軌跡〜
コロナショックの影響から世界が復帰を果たしつつある中、米LPGAツアーは7月に再開の予定だ。昨年渋野日向子の全英AIG女子オープン優勝で一気に世間の耳目を集めた米LPGAツアーに挑戦してきた日本人プレーヤーの歴史と現在挑戦中の選手の現況を、在米ゴルフジャーナリストが解説する。 文・武川玲子 写真・Getty Images
配信日時:2020年5月20日 02時10分
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13人から始まったLPGAツアーが女子ゴルフの原点
今から70年前の1950年、13人の女性たちが米女子LPGAツアーを創設、初の女子プロスポーツ組織が誕生した。当時はまだまだ女性がスポーツ界で活躍することなど想定もされていなかった時代だったがその中で女子ゴルフの華やかさは世界を魅了。現在も女子スポーツをけん引しているLPGAツアー、実は日本にとってもスポーツ史上大きな関わりを持っている。今でこそ多くのアジア勢がゴルフ、野球、バスケットボールとあらゆるスポーツで活躍する時代だが、そのパイオニアはまさにこの女子ゴルフと言えるのだ。
【5/24(日)午後4:00放送】日本勢の活躍で振り返るLPGA女子ゴルフツアー70周年スペシャル(WOWOW)
第一期女子プロゴルファーの樋口久子が全米女子プロを制覇
米LPGAツアーが創設されてから遅れること約20年、日本でも女子ゴルフのムーブメントは起きていた。67年に第一期女子プロテストに合格した樋口久子は圧倒的な強さを誇り、70年からは世界に目を向けた。日本で試合がないシーズンは海外を転戦、74年にオーストラリア女子オープン、76年には英国で開催された米LPGAツアーのコルゲート・ヨーロッパ・オープンを制覇、そして77年、サウスカロライナ州マートルビーチで開催された女子メジャー、全米女子プロゴルフ選手権に勝利、日本勢として初のメジャー制覇を達成した。この通算9アンダーの勝利はパット・ブラッドリー、ジュディ・ランキンらに3打差、あのキャシー・ウィットワースに9打と大差をつけるなど、日本人が世界で戦えると未来へ大いに期待を抱かせるものとなった。
だが日本勢がメジャー2勝目を挙げるまで42年の歳月を費やすことになる。
だが日本勢がメジャー2勝目を挙げるまで42年の歳月を費やすことになる。
岡本綾子の時代
それから42年間、日本勢の挑戦は続いた。
期待を一身に背負ったのは岡本綾子だった。「アメリカに行きたい」と願い、81年に2度目の予選会で出場権を獲得し日本勢として初のツアーメンバーとして本格参戦を始めると日本のゴルフファンはみな、夜中や早朝に衛生放送される“世界のアヤコ”のプレーに熱中、新しい時代を創りだした。
87年はツアー4勝を挙げて賞金46万6000ドル(現在のレートで約5000万円)を獲得し賞金女王の快挙を達成、海外勢初の“プレーヤー・オブ・ザ・イヤー”を受賞しツアーの仲間たちから大いに祝福された姿は深く記憶に刻まれている。
LPGAツアー通算17勝という大記録を残した岡本だが、一方でメジャーは2位が6回。最も記憶に残るのは87年の全米女子オープンだ。ニュージャージー州のプレインフィールドCCでの大会は悪天候で火曜日に行われた18ホールのプレーオフでローラ・デービス(英国)とジョアン・カーナー(米国)の三つ巴の戦いとなったが、デービスに敗れメジャー勝利は届かなかった。
期待を一身に背負ったのは岡本綾子だった。「アメリカに行きたい」と願い、81年に2度目の予選会で出場権を獲得し日本勢として初のツアーメンバーとして本格参戦を始めると日本のゴルフファンはみな、夜中や早朝に衛生放送される“世界のアヤコ”のプレーに熱中、新しい時代を創りだした。
87年はツアー4勝を挙げて賞金46万6000ドル(現在のレートで約5000万円)を獲得し賞金女王の快挙を達成、海外勢初の“プレーヤー・オブ・ザ・イヤー”を受賞しツアーの仲間たちから大いに祝福された姿は深く記憶に刻まれている。
LPGAツアー通算17勝という大記録を残した岡本だが、一方でメジャーは2位が6回。最も記憶に残るのは87年の全米女子オープンだ。ニュージャージー州のプレインフィールドCCでの大会は悪天候で火曜日に行われた18ホールのプレーオフでローラ・デービス(英国)とジョアン・カーナー(米国)の三つ巴の戦いとなったが、デービスに敗れメジャー勝利は届かなかった。
続く日本勢の挑戦、世界一になった宮里藍へ
その岡本に続くべく、小林浩美、平瀬真由美、そして福嶋晃子が渡米、そして06年に20歳の宮里藍がついに海を渡った。予選会から日本からメディアが大挙して押し寄せ、彼女の一挙手一投足を追いかけた。ルーキーイヤーは(マクドナルド)全米女子プロゴルフ選手権で3位、すぐにでもメジャー制覇と誰しもが思ったに違いない。しかし初勝利を挙げるまで4年の歳月を費やすことになる。飛距離を求めてスイング改造をしたことで陥ったドライバーイップス、涙して途中棄権をしたこともある。
ついに栄冠をつかんだのは09年、フランスのエビアンで開催されるエビアンマスターズ(当時)。勝利のパットを沈めてガッツポーズを握りしめた姿にゴルフファンの多くが涙した。
苦悩の日々を送った分、成長も大きかった。10年には開幕戦から2週連続優勝を含む年間5勝、同年6月には世界ランキング1位と世界の頂点へ上り詰めた。だがそれでもメジャー制覇には届かないまま17年に現役引退。輝かしい記録の中でも「メジャーを獲れなかったことは残念だった」と悔しがっている。
ついに栄冠をつかんだのは09年、フランスのエビアンで開催されるエビアンマスターズ(当時)。勝利のパットを沈めてガッツポーズを握りしめた姿にゴルフファンの多くが涙した。
苦悩の日々を送った分、成長も大きかった。10年には開幕戦から2週連続優勝を含む年間5勝、同年6月には世界ランキング1位と世界の頂点へ上り詰めた。だがそれでもメジャー制覇には届かないまま17年に現役引退。輝かしい記録の中でも「メジャーを獲れなかったことは残念だった」と悔しがっている。
先人たちの思いは畑岡奈紗、そして渋野日向子へ
宮里藍に憧れて育った畑岡奈紗はプロ転向するやすぐさまアメリカへと向かった。ツアー2年目の18年6月、全米女子プロゴルフ選手権で最終日に64をマークするとプレーオフに突入、惜しくも2位で終えるが最もメジャーに近い日本勢に台頭した。19年はメジャー制覇へ大きな期待が掛かったが、それはむしろ重圧となったのかもしれない。春先にキア・クラシックでツアー通算3勝目を挙げるもメジャーでは5大会中3つで予選落ち、「想定外だった」と唇を噛んだ。
その19年8月、全英AIG女子オープンで鮮やかにメジャー勝利を飾ったのは初の海外出場、初のメジャーと初づくしだった渋野日向子だった。“スマイリング・シンデレラ”と屈託のない笑顔で世界中のファンを魅了、樋口久子以来日本勢として実に42年ぶりというメジャー制覇を達成したのは記憶に新しい。そこからはもう日本中が“シブコ”フィーバー、今やアメリカからも米ツアー参戦の日が待たれる日々だ。そんな畑岡、渋野たち現役世代には脈々と先人たちの思いは受け継がれている。
その19年8月、全英AIG女子オープンで鮮やかにメジャー勝利を飾ったのは初の海外出場、初のメジャーと初づくしだった渋野日向子だった。“スマイリング・シンデレラ”と屈託のない笑顔で世界中のファンを魅了、樋口久子以来日本勢として実に42年ぶりというメジャー制覇を達成したのは記憶に新しい。そこからはもう日本中が“シブコ”フィーバー、今やアメリカからも米ツアー参戦の日が待たれる日々だ。そんな畑岡、渋野たち現役世代には脈々と先人たちの思いは受け継がれている。
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