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    episode 5 【イベントはやることが大事】

    社内ゴルフコンペ参加者の平均年齢が50歳を超えたことに気が付いた役員から「若い参加者を増やせ!ただし、コンプライアンスには十分に注意せよ」という特命を帯びた上司A。一切の強要なしに若い部下たちをグリーンに誘うことは可能なのか? 上司Aの挑戦は始まった……

    配信日時:2020年7月2日 06時00分

    • ゴルフライフ
    目次 / index
    上司Aは、若手の社員たちに話を聞いた内容をまとめて、役員に報告をした。

    コンプライアンス違反にならないように注意しながら事を進めていくのには、思った以上に時間がかかりそうだが、今、打てる手を打っておけば、将来的に社内ゴルフコンペは、かつてないほどに盛況になり、運動会のようなイベントになっていく可能性があると、自分でも驚くほど熱く語ってしまった。

    役員は機を見るに敏感なことで有名な男だった。上司Aの話を聞き、その情熱も感じ取った上で、すぐに、いくつかの部署に根回しすることを約束して、「鉄は熱いうちに打て! に、一票だ」とニヤッと笑った。ゴルフコンペの話は、役員にとっては、社長の思いつきにお付き合いをしただけで、結果が出なくとも、痛くも、痒くもないことだった。

    しかし、複数のベクトルで、棚からぼた餅的に、小さな得点を確実に決めることができる願ってもない展開になりそうなのだ。役員は、自分の強運にガッツポーズを決めたくなった。

    上司Aは、ゴルフコンペだけではない広がりになりつつある提案を理解してもらえないと、心配したのだが、あっさりと認めてもらい、積極的なGOサインをもらえたことに、嬉しさより警戒をした。とはいえ、動き出したら、上司Aの少し嫌な予感をあざ笑うように、特命の実験的な試みは実現することになった。

    ◆コミュニケーションルームを使ったイベント用のゴルフ試打ブースを設営しての福利厚生としてのイベントは総務部が仕切った
    ◆本社から2ブロックの位置にあるビルに入っている有名メーカー直営の最先端のレッスンスタジオが全面協力してくれた
    ◆ゴルフ好きの数名の役員が、そのスタジオで早朝に縁故募集されているエグゼクティブレッスンに興味を持っていて、超高額な特別レッスンコースに参加することで、話はWinWinに進んだ
    ◆社員には、有名メーカーの用具の特別割引やスタジオのレッスン代の割引などの特典も用意された
    ◆総務部としては、コミュニケーションルームの有意義で目立つイベントを開催したかったので、渡りに船だった
    ◆イベントの内容は誰でも自由に打てるフリータイム、初めてのゴルフ入門、予約制のレッスン、ドラコン、ニアピン
    ◆イベントは水曜日のノー残業デーの午後から、金曜日までの3日間、11時から20時までで開催された
    ◆告知は社内メールで行われ、2週間前から事前予約受付、開催期間中は、オンタイムでお知らせを何度も流した


    広いコミュニケーションルームの一角に、ブースは二つ作られていて、片側は左右打ちの両方に対応している。どちらのブースもシミュレーター完備で、ブースの外にある大きなモニターには、スイング動画やボールの弾道画面に切り替えて見られるようになっていた。

    福利厚生のイベントというのは、実行することが全てで、参加人数が少なくとも失敗にはカウントされないというが、上司Aは、イベントに業務上はタッチしていないので、3日間できるだけコミュニケーションルームに出向いた。
    結果は、大盛況にはほど遠かった。

    初日に驚いたのは、オープニング時に、肝心の社内ゴルフコンペの常連の歴々が一人も来ていなかったことだ。特命を課した役員は、結局3日間で1回だけ顔を出しただけだった。それも、上司Aに急かされて、最終日の終わり間際に、やっと現れたのだ。さり気なく参加を促していると、異口同音に「社員が大勢いる前で、スイングすることが恥ずかしい」というのである。大人なのに、というべきか、大人だからなのか。上司Aは、改めて、ゴルファーというのは見栄を張る生き物だと確認したのである。

    最終日に向けて、徐々に盛り上がったのはドラコンイベントだったようだ。1回に3球勝負で、どこに飛ぼうが、3日間で一番飛んだ上位5人には賞品が出るというルールだった。3日間で1回ではなく、1日に1回参加できる仕組みだったので、初日から参加した人は、最大3回挑戦できるが、記録として残るのは、最も飛んだ1球のみとところが、最終日に向けて参加者を増やした要因になったようだ。

    野球部出身の社員Dは、それまでに友人と練習場に行き、持ち前の運動センスを活かして、当たれば凄いが、なかなか当たらないという状態まで頑張って、初日を迎えた。初日と2日目は、いわゆる全てがチョロで記録なしだったらしいが、ドラマは最終日に起こった。偶然に通りかかった社員Cが見守る中で、2球はミスショット。野球なら9回裏、二死満塁、3ボール2ストライク…… 少しぎこちなさが残るゆったりとしたテークバック。グッと沈み込むように切り返した社員Dの放ったボールは、快音を残してネットに突き刺さった。

    シミュレーターが描く推定の弾道は、強烈な勢いで画面の中央を飛んでいった。右下に出る飛距離の数字がどんどん増えていく。ギャラリーがどよめく中、ボールは右に曲がってきながらも、気合いで前に進んでいく。トップの飛距離は311ヤード。飛距離の数字は288ヤードで、ボールは地面に落ちてバウンドし始めた…… 社員Dの記録は308ヤードで、2位だった。

    派遣されたインストラクターは、曲がらなければ1位だったと褒めた。社員Dは、ゴルフ歴一ヶ月半の自分が社内2位になったことに満足し、静かに興奮していた。ゴルフを真剣にやろうと、社員Dが決意した瞬間だったという。

    ◆イベントは誰も打っていない時間もけっこうあったようだが、ドラコンも述べ参加者は100人を越えたということもあって一応成功だった
    ◆人がたくさん見えている前でレッスンを受けるのは勇気が必要
    ◆ギャラリーが一番多かったのは初心者入門の時間帯で、理由は受付担当の女子4人がレッスンを受けていたかららしい
    ◆同期ゴルフサークルは、時間を決めてフリータイムに集って、ワイワイと練習をして、楽しんだ
    ◆終了後の任意のアンケートでは、試打ブースを常設を希望するかという問いに、そう思う、ややそう思う、と回答したのは2割弱だった
    ◆現場を見ていない役員や幹部からは、イベントは高評価だった


    上司Aは、ゴルフを絡めた福利厚生イベントができたということは、冷静に考えて、革命的なことだと思った。社内には、ジムのトレーニング器具を置いているトレーニングルームもあり、同じような感覚でゴルフの練習ができる施設があれば、福利厚生として素晴らしい成果を生むかもしれない、と考えた。

    そして、若い社員たちの情熱に当てられて、忘れていたが、ゴルフは極めて個人的なゲームであることを思いだした。団体スポーツとは違うのに、それと同じような感覚でゴルフに誘うのは、始めから無理があるというものだ。

    上司Aは、このイベントで特命は何歩も前に進んだと、明確な根拠がないままで強く確信した。悩んだとき、直感のラインが正しいのだと決め打ちして、グリーン上で助けられることがある。上司Aの確信は、少しそれと似ていた。

    今回の金言

    (写真・Getty Images)

    (写真・Getty Images)

    「素振りだけを見ると、どんな下手なゴルファーでも上手に見える」
    (アンドラ・カーカルディ)


    1910年にトム・モリス・シニアの後を継いで、セントアンドリュースのプロになったのがアンドラ・カーカルディ。素振りの重要性を最初に唱えたプロと言われているが、素振りばかりさせられてボールを打てないと悪評が立って、誰もレッスンを受けなくなったという逸話が残る。

    素振りはスイングを固めたり、筋力アップには適切だが、ボールを打たないで素振りだけで上達するのは、かなり難しい。

    素振りはきれいなのに、実際にボールを打つ段階になると別人のようなスイングになってしまう人がいる。「素振りみたいに、力が抜けたら良いんだけどなぁ」と、遠い目をしながら、自らが作ってしまった壁の厚さに絶望する人もいる。

    上司Aの社内ゴルフコンペに若い社員を参加させるという特命は、大きく進んだかに見えたが、実際には一進一退を繰り返しているだけに過ぎない。無駄だと思えることでも、やらなければ通れない道がある。遠回りが結果として、近道になっているということは、人生にもよくあることだ。

    上司Aは、フルショットの場合は、ストローク前に一切の素振りをしない。それは、フルショットは徹底して準備ができているという自信と、素振りが良い感じだったらもったいない、と感じてしまうからだ。

    特命を成功させるには、フルショットだけでなく、素振りをしながらのリカバリーショットも不可欠になることを、上司Aは覚悟をしたのである。

    【著者紹介】四野 立直 (しの りいち)

    バブル入社組作家。ゴルフの歴史やうんちく好きで、スクラッチプレーヤーだったこともある腕前。東京都在住。

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