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打打打坐 第21回【ゴルファーの上にゴルファーを作らず】

打打打坐 第21回【ゴルファーの上にゴルファーを作らず】

打打打坐(ちょうちょうだざ)とは、打ちまくって瞑想の境地に入るという造語。コースで打たなければわからないと試打ラウンドだけで年間50ラウンド以上しているロマン派ゴルフ作家が、瞑想、妄想、迷走…… 徒然なるままにゴルフを想い、語るというお話。

配信日時:2020年9月4日 15時00分

肩書きでボールは打てない

今では考えにくいことですが、この国のゴルフの主役が社用族だった頃、会員制コースの入会条件に『上場企業の課長職以上』なんていう条件が入っていることが、普通にあったのです。個人会員を認めずに、法人会員のみという会員制コースもありました。某有名企業の営業部長になると、自動的にあるコースの法人メンバーになるというようなこともあったので、社交場としての機能をゴルフコースは担っていたのだと思います。

よくよく考えれば、肩書きを背負ってゴルフをしていた昭和の企業戦士たちの苦労は大変だったと推測できます。

「新しい部長のゴルフは、全くダメだねぇ。歴代の部長たちとは比較ならない」
「あの課長は、ゴルフも上手いが、仕事ではもっと切れ者らしい」

ゴルフは仕事の内、処世術として上手に利用できなければ、たちまち、自らの評価下げることになったはずです。

粗相があれば、所属している企業の顔に泥を塗ることになります。社交場での失態は、面白い噂となって信じられない速度で一気に広まっていきます。企業戦士ゴルファーは、息抜きではなく、気を張ってゴルフをしていたのです。

エチケットはルールブックに当時は書かれていたものですから差はありませんでしたが、マナーについては、企業によって若干の差があったりもしました。各企業が、先輩から後輩に引き継ぎ、加えて、熟成したマナーは、良くも悪くも、脈々と続いている昭和の歴史でした。

バブル崩壊後、平成の時代に、接待ゴルフはメインのゴルフシーンではなくなりました。
一部上場企業の偉い人だけしか会員になれなかった会員制コースは、今では誰でもプレーできるオープンなコースになりました。仕事でゴルフをしている人よりも、趣味としてゴルフを楽しんでいる人が大多数になって、もうかなりの時間が流れたのです。

しかし、時代が変わったのに、未だに肩書きでゴルフを出来ると勘違いしている人もいます。揉め事が起きると大声で怒鳴る人がいます。

「このお方をどなたと心得る?」

まるで、例の時代劇のように、肩書きを印籠のように使おうというわけです。そういう時代錯誤の恥ずかしいトラブルを起こすのは、オールドゴルファーよりも、若い経営者に多いと言われていますが、肩書きや年収でボールが打てるわけではありません。

ゴルフは貴族の遊びとして発達して、文化を創ってきたゲームです。だからこそ、ゴルファーの上にゴルファーを作らず、ゴルファーの下にゴルファーを作らず、なのです。ゴルフをしている空間では、貴族も平民も一緒に楽しむのがゴルフの歴史で、当たり前なのです。肩書きをコースに持ち込むのは、無粋で、無教養の極みとなります。

上手いから偉いわけじゃない

一昔前に、こんなトラブルがありました。

複数のルール違反が重なって、処置がわかりにくいケースで、間違った処置をした人がいました。経緯を知った僕は、当事者に、正しい処置を伝えて、それとほぼ同じケースの処置例がゴルフ規則裁定集の○○頁に載っている、と教えました。

こういう間違いはよくあることです。特別なことではない、と考えていましたが…… 当事者からこんな連絡が入りました。

「例の件ですけど、コースのハンディ1の人に聞いたら、わたしの処置で間違いないと言われました」

馬鹿馬鹿しい話です。ゴルフ規則で明記されていることは絶対です。ハンディがいくつだろうと、関係がない話だと反論しました。

数日後、今度は、そのコースの所属プロが「間違いないです」と言っているという再反論がありました。コースに電話をして、所属プロにその件を問いただして、裁定集の○○頁を見たか? と聞きました。所属プロからは、数分後、自分が不勉強だったと謝罪を受けて、当事者にも自ら説明するという旨を説明を受けました。翌週、当事者から長文のお詫びの手紙が届きました。

ゴルフのあるあるなのですが、腕前が良い人が偉い、という風潮は、昔から根強くあります。

ゴルフのストロークを浪費しないようにするのは、大変な努力と、時間と、費用をかけなければなりません。腕前が良い人は、大なり小なり、そういった修行を経ているわけですから、リスペクトをすることは理解できます。しかし、だからゴルフの全てに精通したとは言えないのも現実です。

世界中のゴルファーから尊敬されているボビー・ジョーンズは、著書の中で競技ゴルフについて、こんなニュアンスの見解を書いています。

「競技ゴルフというのは、ゴルフの中の特殊な一部に過ぎません。ゴルフの上にあるのではなく、ゴルフの内部のパーツに過ぎないのです」

僕もジュニアから20代までは競技一筋のゴルフをしていましたので、わかるのです。スコアだけで評価される競技ゴルフは、ゴルフ全体から見れば、欠けているところが、いくつもあるのです。

ハンディキャップの善し悪しは、一つの基準ではありますが、絶対的なものではありません。ゴルフは、もっと残酷に、ゴルファーを評価しているものなのです。

ゴルファーとして大事なこと

ゴルフの魅力の一つに、ゲームとして複数の競うべき要素があることが挙げられます。ドラコンのように最大飛距離を競うこともあれば、ターゲットに近づけることを競うこともあります。ストロークを減らすことを競うだけでは、それは、ゴルフによく似た遊びに過ぎません。

複数の要素があるから、プレー中にゴルファーは一喜一憂するわけです。

ゴルフに夢中になってしまう人は、負けず嫌いな傾向があります。だからこそ、優劣に敏感になってしまい、その結果、腕前がそのまま尊敬の度合いになっていると誤解してしまうのだと思うのです。

負けず嫌いにとって、数字でハッキリと勝敗がつくものほど燃えるものはありません。ゴルフは幸か不幸か、数字で一杯なのです。とはいえ、嗜む程度に勝ち負けにこだわるのが、節度ある大人です。

色々な数字を良くするための努力を惜しまない姿勢も大切ですが、それは努力目標のようなもので、ゴルフの目的にはなりません。

ゴルフをすればするほど、目標にばかり気を取られて、目的に迷う人が増えるのです。簡単すぎてわからなくなってしまうのでしょう。

どんなに凄い数字を達成しても、ゴルフは仲間がいなければ成り立たないのです。

「この人とまた一緒にゴルフがしたい」

一緒にプレーした人に、そう思ってもらえるように。または、お互いにそう感じるようにすることが、ゴルフの最大の目的なのです。

またこの人とゴルフをしたい、と思わせるのは簡単です。もう二度と一緒にゴルフをしたくない、というゴルファーにならなければ良いだけです。

どんな人とゴルフをしたいですか?
ゴルフ仲間は、どんな人たちですか?

社用族だったゴルファーたちの末路を僕はたくさん見てきました。目標は今も昔もあまり変わりませんが、目的は大きく変わってしまったのかもしれません。目的がないゴルフに、ゴルフの神様は微笑まないのです。

【著者紹介】篠原嗣典

ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。
連載

ロマン派ゴルフ作家篠原の “今日も打打打坐”

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