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打打打坐 第27回【ハンディはゴルフを美味しくする】

打打打坐 第27回【ハンディはゴルフを美味しくする】

打打打坐(ちょうちょうだざ)とは、打ちまくって瞑想の境地に入るという造語。コースで打たなければわからないと試打ラウンドだけで年間50ラウンド以上しているロマン派ゴルフ作家が、瞑想、妄想、迷走…… 徒然なるままにゴルフを想い、語るというお話。

配信日時:2020年10月16日 15時00分

ハンディキャップの背景

「ハンディキャップは、おいくつですか?」

挨拶代わりに聞かれる質問です。

ハンディキャップというシステムを利用することで、ゴルフは実力が違う人同士でも勝負ができるようになっています。これが、ゴルフが老若男女に愛される要因の一つになっていると言えます。

現在では、正式な手続きを済ませれば、誰でも簡単にハンディキャップを取得できます。21世紀になって、世界のどこでも使えるようにハンディキャップシステムは、統一されました。昔は、整数だったハンディキャップも、現在ではオフィシャルなものは小数点がついています。

現在のハンディキャップシステムは、アメリカで生まれて、育ったものです。数学的に平等にしていけば、小数点が必要だと考える合理性は、まさにアメリカらしさに溢れています。

ゴルフが育ったスコットランドでは、ハンディは対戦ごとに決めるべきもので、例えば、無風のコースをプレーしたのと、強風での同じコースでプレーするのでは、全く違うコースになり、比較できないスコアになってしまうこともあることを考慮すれば、世界中で平等に使えるハンディキャップを作ったベースになるパーという基準すら危ういと、考えられていました。ハンディキャップの統一に時間がかかったのは、理念と環境の違いがあったからなのです。

とはいっても、昭和の時代のゴルファーにとって、ハンディキャップが持つ意味は、現在よりももっと価値があるものだったような気がします。

昭和の頃は、ハンディキャップを取得する方法の種類が少なかったのです。公式なハンディキャップを持っているゴルファーの約95%は、会員制ゴルフコースのメンバーで、そのコースでハンディキャップを取得していました。複数のコースのメンバーだと、同一人物なのにコースによって公式なハンディキャップが違うことも当たり前に起きていました。各コースの責任でハンディキャップを発行していたからです。

一応、ハンディキャップについての規則はしっかりとしていましたが、運用は現場に任されていたので、色々な悲喜劇が起きていました。

僕がメンバーだったコースは、普通にスコアカードを提出して取得できるハンディキャップは、「3」が上限でした。クラブ選手権などの優勝者のみが、名誉として「2」や「1」になっていく仕組みだったのです。ちなみに、全メンバーで最も上位のハンディキャップは「+1」で、クラブ選手権を4回優勝している人でした。

また、ドライバーが160ヤードしか飛ばずに、バックティーからだと100を切れるか切れないか、という老人が、若かりし頃に取得したというハンディ「6」のままで、変わらなかったりもしました。ちゃんと規則通りにハンディキャップを管理しているコースもありましたが、2割にも満たなかったと思います。

シングルハンディと言われる一桁のハンディキャップに、誰もが憧れていましたし、それ以上に、会員制コースのメンバーの証としてのハンディキャップという憧れもあった時代でした。「ハンディは?」という質問には、メンバーコースを持っていますか? という意味と、腕前を問う意味の二つが混じっていたのです。

名誉ハンディって何?

ハンディキャップシステムでは、全てのラウンドの(ハーフプレーも)スコアカードを提出することで、その公平性を保つ礎にしています。コースごとの難易度を加味したコースレートを利用して、どのコースのスコアでも公平なハンディキャップが算出できるようになりました。

個人的な感想ですが、結果として、シングルハンディのゴルファーは激増したような気がします。昭和の頃よりも、用具は別次元にやさしくなりましたし、腕自慢がハンディを取得するという傾向があるからだと思いますが、実際は、一昔前までのクラブハンディ制度の中に存在した名誉としてのハンディキャップの意識が消えたことが要因なのではないか、と密かに考えています。

今では信じられないかもしれませんが、スコア的には、シングルハンディなのだが、クラブを代表するメンバーとしては問題があるから、ハンディ「10」のままというケースもあったのです。

昭和の頃、遙か昔のハンディを維持しているシングルハンディのゴルファーのハンディを名誉ハンディと呼びました。柔道や剣道の段位の影響だったのかもしれませんが、過去の栄光を含めて、そのゴルファーを称える意味合いでも、ハンディキャップは機能していました。もちろん、正式には、そんなハンディは当時でも邪道でしたが、ゴルフは夢の世界でもあり、昭和の頃の空気感として、まあいいじゃない、というのが世論だったようです。

令和になって、SNSで自分のハンディキャップの証明書をアップするゴルファーがたくさんいます。SNSの投稿は、認められたい、褒められたい、という願望が大なり小なり入っているものです。多くの投稿は自己満足とわかっていながら、投稿することを止められない感じで滲み出ていて、微笑ましいです。

そういう中でも、ハンディキャップ「5」未満を意味する“片手ハンディ”というハンディキャップになると、今でも名誉感があるように感じます。実際に、ハンディキャップ「5」未満になるのは大変ですし、維持するのは至難の業ですので、リスペクトされるべきですし、名誉に考えたとしてもバチは当たらないと思います。

ハンディキャップは、いくつかの時代を超えて、変化をして来ましたし、これからもそれは続きます。ハンディキャップが証明するものは腕前だけではなく、時代の空気感なのかもしれません。

平成の時代のこの国のゴルフは混乱期だという人がいますが、変革がいくつもありましたから否定は出来ません。新しいハンディキャップシステムを採用するゴルフコースが増えましたが、頑なにメンバーのみのクラブハンディを運用しているゴルフコースも少なからず存在しています。

僕は、小数点ではなく、整数の昔のハンディキャップが好きです。

例えば、「5」だとしても、「4.5」と「5.4」は数字としてはかなり大きく違うのですが、「5」と一括りになるほうがドラマチックだからです。プレーしていても、ベタピンのバーディーパットがカップに蹴られたタップインパーと、ミスを何回もしたのに、グリーンエッジからのチップインパーは、全く違うのに同じ数字としてスコアカードに記載される絶対的なものなのです。

ゴルフのゲームとしての奥行きというか、面白さの根源の一部が、整数を使うことで成り立ったいると考えるからです。

ハンディキャップは、色々なことをゴルファーに考えさせます。

ハンド・イン・キャップなのだよ

ハンディキャップがどのように発生したのか、という歴史は、諸説あり、でハッキリはしていません。間違いなくわかっているのは、競馬で実力の違う馬が出走するレースが良い勝負になるように、実績がある強い馬に重りを背負わせるという仕組みが、ハンディキャップで、それがゴルフに転用されたということです。

ストロークプレーがゴルフのメインのゲームになったのは、19世紀の終わり頃ですから、歴史的には近年のことで、その背景にはハンディキャップという仕組みを上手に取り込んだ先人たちの知恵と工夫があったのです。

諸説ある中で、ハンディキャップは、帽子の中に入れたくじを引くことが語源であるというものが有力な説になっています。まさに、ハンド・イン・キャップです。

ゴルフの歴史でも、初期のハンディキャップは、組み合わせを決める時の調整として出てきます。マッチプレーはトーナメント制なので、強い選手が1回戦で当たらないように、違うウィングにしたりしつつ、それ以外の対戦カードをくじ引きで決めていたようなのです。

いきなりですが…… 僕がハンディキャップで想起するのは、年賀状です。数年前に、年賀状を出すことをやめると宣言してからは、メールやSNSのメッセージで年賀の挨拶をするようになりましたが、ゴルフ仲間の多くとは、昔の年賀状からずーっと続いているやり取りがあります。

「今年はハンディ3でお願いします」

と、いうような一文が入っているのです。個別で対戦する際のハンディキャップの更新が、年始の恒例行事になっているのです。

互いの初対戦までに、何度か、やり取りをして調整するケースもありますが、ほとんどが、年賀の挨拶の一文に

「こちらこそ、ハンディ3を進呈させていただきます」

という返信をすることで決定します。

年始に決めたハンディは、その1年間は有効という暗黙のルールがあるので、急激に相手の実力がアップしたりすると、厳しい戦いを強いられたりしますが、それも含めて、ゴルフの面白さであり、ハンディの本質的な利用法なのです。

「ハンディキャップは、おいくつですか?」

と問われたときに、この数年は「なしです」と答えています。僕はもう10年以上、オフィシャルハンディを申請していないので、なし、は正確な回答なのです。

そして、試打ラウンドなどでお世話になっているコースには、クラブハンディシステムがあり、それに参加をしていて、いただいたハンディキャップは「0」なのです。
ゼロと答えるのは、大人げない気がするので、ゼロ=なしと照れ隠しで答えている側面もあります。

質問者の意図によって、そのあとの説明で話が膨らむこともありますし、ドン引きされることもありますが、それで良いのだと考えています。実力を本当に知りたければ、クラブを交えれば、一目瞭然だからです。

ゴルフにおいて、ハンディキャップは味付けのようなものです。濃い方に合わせて、足していくことで、同じ味を楽しめるというわけです。

多くの料理がそうであるように、素材が良ければ加工は最小限のほうが美味しくいただけます。素材によっては、料理という加工を最大しに活かすことで、想像できなかった美味を知ることも出来ます。ハンディキャップという味付けで、料理を生かすも殺すも、自分次第というところもゴルフの面白さなのです。

【著者紹介】篠原嗣典

ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。
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ロマン派ゴルフ作家篠原の “今日も打打打坐”

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