すべてのゴルファーは先生なのよ
「すべてのゴルファーは仲間であり、先生なのよ」
ゴルフを始めて、4ラウンド目で100を切って、周囲の大人たちに天才だとおだてられて、わかりやすく有頂天になった14歳の僕に、パッティングの師匠だった女子プロが戒めるように強く言いました。
中一のゴルフデビューで、ゴルフの虜になったのに、父の方針で「自分で稼げるようになってからゴルフをすれば十分」だと、ハシゴを外された僕は、ゴルフへの想いが募る悶々とした日々を過ごしていました。デビューまでの1週間だけ濃縮した英才教育的なゴルフ環境を与えられたのに、その後、約1年間は練習も自分のお小遣いで行くしかなく、4回目のゴルフがゴルフ歴1年とリンクするような有様だったのです。
練習に行くのは月に1回のお小遣いをもらった直後のみ。庭だけは広かったので、無料でできる素振りと、寄せとパットの練習だけは毎日して、祖父の本棚にあったゴルフの本をあっという間に読破し、ゴルフ関係の書籍を本屋で立ち読みして、辛うじてゴルフへの乾きを癒やしていました。
見かねた叔父や祖父が、父と揉めながらも、どうにかゴルフに連れて行ってくれて、デビューゴルフから1年後に、やっと4回目のゴルフに連れて行ってもらいました。ゴルフの神様も同情してくれたのだと思いますが、そのラウンドを92ストロークで楽々100を切った僕は、本気で90を切れなかったことを猛省したりしていました。そういう生意気な部分を、師匠の一人だった女子プロは注意したのだと思います。
根は素直な少年だったのと、祖父の本棚で学んだゴルフの精神を尊重していたこともあって、ゴルファーはすべて先生なのだということを躊躇なく受け入れました。そもそも、周りのゴルファーは大人ばかりですから、確かに先生ではあったのです。
尊敬できる先生たちに恵まれ、反面教師はその数倍いたりして……
ますますゴルフに魅了されながら、高校生になって、競技ゴルフに出場するようになりました。公立の学校に進学したので、ゴルフ部があるわけないという逆境に負けず、ストイックにゴルフに打ち込むために、アルバイトを始めるのですが、生来の恋愛体質が花開いたりして、ゴルフの師匠たちには、のちに「私立のゴルフ部がある学校に行っていれば、彼のゴルファーとしての人生は全く違うものになった」とぼやかれる青春の日々を謳歌していたのです。
色々なアルバイトをしましたが、最初にやったのは喫茶店のホールスタッフでした。そこで、経営者のゴルフ仲間の一人として出逢ったのが、サングラス先輩でした。有名大学の理系の6年生だった先輩は、ゴルフの虜になっている大人の一人でした。
科学的にゴルフを分析して、ゴルフの謎を解こうとしている理系ゴルファーは、世の中にたくさんいますが、僕のゴルフ人生で最初に出逢った理系ゴルファーがサングラス先輩だったのです。
ゴルフを始めて、4ラウンド目で100を切って、周囲の大人たちに天才だとおだてられて、わかりやすく有頂天になった14歳の僕に、パッティングの師匠だった女子プロが戒めるように強く言いました。
中一のゴルフデビューで、ゴルフの虜になったのに、父の方針で「自分で稼げるようになってからゴルフをすれば十分」だと、ハシゴを外された僕は、ゴルフへの想いが募る悶々とした日々を過ごしていました。デビューまでの1週間だけ濃縮した英才教育的なゴルフ環境を与えられたのに、その後、約1年間は練習も自分のお小遣いで行くしかなく、4回目のゴルフがゴルフ歴1年とリンクするような有様だったのです。
練習に行くのは月に1回のお小遣いをもらった直後のみ。庭だけは広かったので、無料でできる素振りと、寄せとパットの練習だけは毎日して、祖父の本棚にあったゴルフの本をあっという間に読破し、ゴルフ関係の書籍を本屋で立ち読みして、辛うじてゴルフへの乾きを癒やしていました。
見かねた叔父や祖父が、父と揉めながらも、どうにかゴルフに連れて行ってくれて、デビューゴルフから1年後に、やっと4回目のゴルフに連れて行ってもらいました。ゴルフの神様も同情してくれたのだと思いますが、そのラウンドを92ストロークで楽々100を切った僕は、本気で90を切れなかったことを猛省したりしていました。そういう生意気な部分を、師匠の一人だった女子プロは注意したのだと思います。
根は素直な少年だったのと、祖父の本棚で学んだゴルフの精神を尊重していたこともあって、ゴルファーはすべて先生なのだということを躊躇なく受け入れました。そもそも、周りのゴルファーは大人ばかりですから、確かに先生ではあったのです。
尊敬できる先生たちに恵まれ、反面教師はその数倍いたりして……
ますますゴルフに魅了されながら、高校生になって、競技ゴルフに出場するようになりました。公立の学校に進学したので、ゴルフ部があるわけないという逆境に負けず、ストイックにゴルフに打ち込むために、アルバイトを始めるのですが、生来の恋愛体質が花開いたりして、ゴルフの師匠たちには、のちに「私立のゴルフ部がある学校に行っていれば、彼のゴルファーとしての人生は全く違うものになった」とぼやかれる青春の日々を謳歌していたのです。
色々なアルバイトをしましたが、最初にやったのは喫茶店のホールスタッフでした。そこで、経営者のゴルフ仲間の一人として出逢ったのが、サングラス先輩でした。有名大学の理系の6年生だった先輩は、ゴルフの虜になっている大人の一人でした。
科学的にゴルフを分析して、ゴルフの謎を解こうとしている理系ゴルファーは、世の中にたくさんいますが、僕のゴルフ人生で最初に出逢った理系ゴルファーがサングラス先輩だったのです。
ゴルファーは開眼する生き物
サングラス先輩は、そもそも不思議な人でした。全ての単位を取り終え、卒論を出すだけという状態で、2年留年していました。社会人になりたくない、と話していましたが、色々なアルバイトをしたりして、実質的には社会人のように高校生の目には映りました。平日は基本的にはゴルフをしていたい、ということで、バイトは夜だけで、土日は一日中バイトしていました。
先輩には、色々なことを教わりましたし、もし、出逢っていなければ、僕のゴルフ人生は違ったものになっていたと思うぐらいに、一緒にたくさんの経験をしました。
最初に、先輩が教えてくれたのは、ゴルフはゴルフコースだけで楽しむのは、もったいないということでした。一緒の車でコースに向かう朝が、とにかく楽しいのです。先輩がほぼ一人でしゃべっているのを聞いているだけですが、ときには、微笑ましく、ときには、お腹がよじれるほど爆笑させられて、あっという間にコースに着いてしまうのです。ゴルフは行きの車の中から始まっているのだと教えられました。
先輩は、その日のラウンドの前に、必ず開眼していました。どんな練習で開眼したか、どんなきっかけだったか、その科学的な根拠は何か? という話を楽しそうにするのです。そして、その日のコースの1番ホールから、どんなプレーをする予定なのかを、1打、1打、説明するのです。ホールを全て覚えていることにも影響されましたが、観察眼も勉強になしました。
予想スコアはいつもアンダースコアになり、予期しないミスがゴルフでは起きるという確率を加味して、3オーバー前後になるのです。
希望に満ちあふれてキラキラした少年の目で、意気揚々と語るサングラス先輩は、サングラスはしていません。コースでもサングラスをすることはありませんでした。ワクワクが止まらないゴルフな雰囲気は盛り上がった状態で、僕らはコースに到着するのです。
ある意味で、ゴルフあるある、ですが、思った通りに行かないのがゴルフです。プレーを堪能した後、帰宅するための車内に、先輩は存在しません。
先輩は車に乗った瞬間、サングラスを装着します。「誰も話しかけないでください」というモードになるのです。車を降りるときに挨拶する以外は、本当に一言も話しません。存在を完全に消してしまうのです。
ゴルフは相手の失敗に対して、沈黙で応えるのが最上のマナーであるというゲームです。他の同乗者は、先輩を無視して、馬鹿話をしながら車を走らせます。サングラスで見えない奥で、先輩は泣いているという人もいましたが、真相は明らかではありません。
空気を読まないワガママな行為かもしれませんが、先輩は、次のゴルフの朝には、必ず120%復活して、ワクワクドキドキしつつも、自信満々に、いつものように、開眼物語とその日の完全予想をするのです。それを知っているから、仲間たちは先輩を温かく見守っていました。何より、朝の往路は一人で話しているので、復路がゼロでも、話す総量は十分だと言えます。
サングラス先輩は、愛すべきゴルファーです。
「ゴルファーは開眼する生き物だが、多くの場合、開眼するほど下手になる」
これは、それから10年以上経って、サングラス先輩が開眼する朝から決別すると決意したときにつぶやいた名言です。
先輩には、色々なことを教わりましたし、もし、出逢っていなければ、僕のゴルフ人生は違ったものになっていたと思うぐらいに、一緒にたくさんの経験をしました。
最初に、先輩が教えてくれたのは、ゴルフはゴルフコースだけで楽しむのは、もったいないということでした。一緒の車でコースに向かう朝が、とにかく楽しいのです。先輩がほぼ一人でしゃべっているのを聞いているだけですが、ときには、微笑ましく、ときには、お腹がよじれるほど爆笑させられて、あっという間にコースに着いてしまうのです。ゴルフは行きの車の中から始まっているのだと教えられました。
先輩は、その日のラウンドの前に、必ず開眼していました。どんな練習で開眼したか、どんなきっかけだったか、その科学的な根拠は何か? という話を楽しそうにするのです。そして、その日のコースの1番ホールから、どんなプレーをする予定なのかを、1打、1打、説明するのです。ホールを全て覚えていることにも影響されましたが、観察眼も勉強になしました。
予想スコアはいつもアンダースコアになり、予期しないミスがゴルフでは起きるという確率を加味して、3オーバー前後になるのです。
希望に満ちあふれてキラキラした少年の目で、意気揚々と語るサングラス先輩は、サングラスはしていません。コースでもサングラスをすることはありませんでした。ワクワクが止まらないゴルフな雰囲気は盛り上がった状態で、僕らはコースに到着するのです。
ある意味で、ゴルフあるある、ですが、思った通りに行かないのがゴルフです。プレーを堪能した後、帰宅するための車内に、先輩は存在しません。
先輩は車に乗った瞬間、サングラスを装着します。「誰も話しかけないでください」というモードになるのです。車を降りるときに挨拶する以外は、本当に一言も話しません。存在を完全に消してしまうのです。
ゴルフは相手の失敗に対して、沈黙で応えるのが最上のマナーであるというゲームです。他の同乗者は、先輩を無視して、馬鹿話をしながら車を走らせます。サングラスで見えない奥で、先輩は泣いているという人もいましたが、真相は明らかではありません。
空気を読まないワガママな行為かもしれませんが、先輩は、次のゴルフの朝には、必ず120%復活して、ワクワクドキドキしつつも、自信満々に、いつものように、開眼物語とその日の完全予想をするのです。それを知っているから、仲間たちは先輩を温かく見守っていました。何より、朝の往路は一人で話しているので、復路がゼロでも、話す総量は十分だと言えます。
サングラス先輩は、愛すべきゴルファーです。
「ゴルファーは開眼する生き物だが、多くの場合、開眼するほど下手になる」
これは、それから10年以上経って、サングラス先輩が開眼する朝から決別すると決意したときにつぶやいた名言です。
サングラスはやさしくゴルファーを癒やす
雨天以外は、サングラスをしてゴルフをするようになってずいぶんと時間が経ちました。白内障の進行を抑える手法の一つとして医師より薦められて、無理にしていた期間を経て、今ではサングラスをしないと違和感があるようになりました。
僕はサングラス先輩が大好きでしたし、先輩も僕を可愛がってくれました。ある日、全く知らないコースや新設のコースは、シミュレーションできないから苦手だ、ではなく、意図的にそういうゴルフコースに行くことで、自分自身の実力が鍛えられるのではないか、と先輩が言い出しました。二人を中心にして、行ったことがないコースと新設のコースを訪問する武者修行シリーズをスタートしました。月に2回以上とノルマを決めて、約3年続けました。100コース達成まで続けたのです。
この経験が、サングラス先輩には、スコアのためのシミュレーション方法を発見するために役立ち、僕のゴルフには、見えるエリアを基本にするコースマネージメントを知り、色々なコースに行ったことがあるという財産を得る形でプラスになりました。
一緒にゴルフにたくさん行っている中でも、帰り道に、時々、先輩のサングラスバリアは復活しましたが、それも含めて、先輩というゴルファーなのです。正直な話、自分も落ち着いて、その日のプレーを振り返って、分析しながら車を運転するという時間を取れるので助かった、と思ったことが何度もありました。
誰かに連れて行ってもらえなければ、ゴルフが出来なかった10代の乾きを潤すことができたのは、サングラス先輩のお陰でした。初コースの武者修行以外にも、年間100ラウンド越えに挑戦したり、何十回もゴルフ合宿をしたり、ゴルフを企画する楽しみを教えてもらいました。
先輩は、大学を8年で卒業し、その後、数年はバイトしながら平日はゴルフに捧げる生活をしていましたが、現在は、ゴルフで出来た人脈を活かして、平日は接待ゴルフがたくさんある会社の営業として頑張っています。
「普段はサングラスをしていないですね」
初めて会った人に、よく言われるようになりました。試打動画でサングラスをして挨拶をしているからです。そんなふうに言われるたびに、サングラス先輩との思い出が頭の中をよぎります。
憎まれないキャラクターが、ゴルフではかなり強い武器になることをサングラス先輩は教えてくれました。残念ながら、僕はそういうキャラクターにはなれていませんが、誠実さが愛おしさになることを信じて、くそ真面目にゴルフに向き合うことを信念としています。
ゴルファーは孤高ですが、一人では生まれも、育ちもしません。たくさんのゴルファーに支えられて、良くも悪くも影響を受けながらゴルフを続けてきた40数年のゴルフ人生を振り返ったときに、語りたいゴルファーたちが次々に浮かぶのは、本当に幸せなことなのだと、しみじみ想うのです。
僕はサングラス先輩が大好きでしたし、先輩も僕を可愛がってくれました。ある日、全く知らないコースや新設のコースは、シミュレーションできないから苦手だ、ではなく、意図的にそういうゴルフコースに行くことで、自分自身の実力が鍛えられるのではないか、と先輩が言い出しました。二人を中心にして、行ったことがないコースと新設のコースを訪問する武者修行シリーズをスタートしました。月に2回以上とノルマを決めて、約3年続けました。100コース達成まで続けたのです。
この経験が、サングラス先輩には、スコアのためのシミュレーション方法を発見するために役立ち、僕のゴルフには、見えるエリアを基本にするコースマネージメントを知り、色々なコースに行ったことがあるという財産を得る形でプラスになりました。
一緒にゴルフにたくさん行っている中でも、帰り道に、時々、先輩のサングラスバリアは復活しましたが、それも含めて、先輩というゴルファーなのです。正直な話、自分も落ち着いて、その日のプレーを振り返って、分析しながら車を運転するという時間を取れるので助かった、と思ったことが何度もありました。
誰かに連れて行ってもらえなければ、ゴルフが出来なかった10代の乾きを潤すことができたのは、サングラス先輩のお陰でした。初コースの武者修行以外にも、年間100ラウンド越えに挑戦したり、何十回もゴルフ合宿をしたり、ゴルフを企画する楽しみを教えてもらいました。
先輩は、大学を8年で卒業し、その後、数年はバイトしながら平日はゴルフに捧げる生活をしていましたが、現在は、ゴルフで出来た人脈を活かして、平日は接待ゴルフがたくさんある会社の営業として頑張っています。
「普段はサングラスをしていないですね」
初めて会った人に、よく言われるようになりました。試打動画でサングラスをして挨拶をしているからです。そんなふうに言われるたびに、サングラス先輩との思い出が頭の中をよぎります。
憎まれないキャラクターが、ゴルフではかなり強い武器になることをサングラス先輩は教えてくれました。残念ながら、僕はそういうキャラクターにはなれていませんが、誠実さが愛おしさになることを信じて、くそ真面目にゴルフに向き合うことを信念としています。
ゴルファーは孤高ですが、一人では生まれも、育ちもしません。たくさんのゴルファーに支えられて、良くも悪くも影響を受けながらゴルフを続けてきた40数年のゴルフ人生を振り返ったときに、語りたいゴルファーたちが次々に浮かぶのは、本当に幸せなことなのだと、しみじみ想うのです。
【著者紹介】篠原嗣典
ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。