episode 23 【ゴルフは準備が面白い】
社内ゴルフコンペ参加者の平均年齢が50歳を超えたことに気が付いた役員から「若い参加者を増やせ!ただし、コンプライアンスには十分に注意せよ」という特命を帯びた上司A。一切の強要なしに若い部下たちをグリーンに誘うことは可能なのか? 上司Aの挑戦は始まった……
配信日時:2021年3月18日 06時00分
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「君と経営企画室主幹が裏で色々と画策して大変そうだね、なんて専務に嫌みを言われたんだぞ。聞いていたのとずいぶんと違うじゃないか。大丈夫なのか?」
特命を発令した役員から上司Aは叱咤されていた。
「未解決の問題はありますが、ご心配には及びません。そもそも、専務も8年振りに社内コンペに出席なさると伺っています」
役員は言い捨てた。
「それも問題なんだよ。若手を増やせと入ったが、専務を参加させろと言った覚えはないからな」
社内コンペのレジェンド幹事の社員Hは、社長派だと考える人が多いが、実際にはどの派閥に属さず、そもそも出世に熱心には見えない。社長派の役員が言いたい放題にならないように、専務派の役員たちと、無派閥の役員たちにも、わざと声を掛けて、双方をブレーキとして利用しようと考えるなんていうのは、彼だから出来る荒技だった。そして、それは、既に機能し始めていた。
上司Aは、社内コンペの準備が進んでいることを役員に説明した。
◆セルフプレーでもキャディのように世話が出来るゴルフ出身者を同組にして一部の役員に対応させる
◆ワンウェイで、3人ずつの組で10組で募集開始したが、現在14組の申し込みがあり、最大20組に増やす
◆組み合わせは若手とベテランは分けるが、スタートは原則として前後になるようにして親交を深める
◆表彰は翌週の水曜日の午後5時からコミュニケーションルームで飲み物食べ物は持ち込む
◆表彰式の代理出席は認めず、欠席は入賞資格を失う
◆申し込み済みの14組の内、9組は若手。最終的には20組でベテランが7組になると予想
◆賞品はお菓子などが中心。家に持って帰っても良し、自分で食べても良しとする
イマイチ納得しきってはいない役員をなだめつつ、上司Aは役員室を後にした。会議室で、社内コンペの打合せがあったから、急いでいたのだ。
今日は、秘書室の女子社員Cが役員秘書数名を連れて来ることになっていた。全役員の出欠をハッキリさせて、組み合わせの調整をするためだ。そして、最後のゴルフ採用の社員Bが、キャディーをしながらプレーできるゴルフ部出身社員の参加者の配置を調整することになっていた。若手は、その辺りはサクサクと事務的に決まるのに、ベテランのほうが面倒臭いのだ。都会育ちと村社会育ちの差は大きいのだと、上司Aは苦笑いをした。
会議室に行くと、既に、話し合いと調整は始まっていた。
「役員の参加者は予想通り12名でした。今、それを7組に振り分けています」
レジェンド幹事の社員Hが、入室した上司Aを確認して言った。
「Aさんは、社長と一緒の組が良いですか?」
からかうように、秘書の女子社員Cがかぶせてきた。
「できれば、僕は最終組とかが良いな。最初の組からずべてを見たいし」
上司Aが言うと、集まっているメンバーたちが笑った。
空いている席に座ると、隣にいた若手ゴルファーのまとめ役の社員Eが名簿になったペーパーを渡しながら、
「20組になりそうです。今日の午後、アウトコースのスタート枠を全て社内コンペ用に押さえました」
と小声で言った。上司Aは、声を出さず、笑顔のサムアップでねぎらった。
ゴルフ部採用をまとめてもらっている社員Bが椅子を持って、上司Aの隣に近づいてきて、社長派の役員の組でキャディーのようにお世話をしながらプレーしてくれる参加者の名前を羅列しながら、他の該当する社員が専務派と無派閥の役員の組につくのを嫌がっているという相談をしてきた。
「最悪、僕と出身校の後輩になるゴルフ部出身者と社員Bで、それら組の面倒は見よう」
と伝えた。レジェンド幹事の社員Hが、それを聞いていたようで、言ってきた。
「それなら大丈夫です。それぞれ、セルフプレー大歓迎という明確なコンセンサスをもらっていますから。実質的に、4組分なので4名が協力していただければ成立します」
社員Bは、上司Aと幹事の社員Hを交互に見ながら心配そうに言った。
「後から、不公平だ、とか、問題にならないですか?」
「専務も、無派閥の役員のみなさんも、大丈夫だと思います。ねぇ?」
秘書室の女子社員Cが、他の秘書たちの同意を得るように言うと、彼女たちもうなずいた。
「専務なんか、逆に、受付のFちゃんの面倒は僕が見ても良いよ、と先程おっしゃっていました」
別の秘書室の女子社員が付け加えて、会議室内が和んだ。
◆開催1月以上前ではあるが、満員御礼になりそうだ
◆ワンウェイで最大24組までだが、一応、20組を定員とする
◆仮で作った組み合わせは、公開は前日の社内メールだが、事前に役員には見せる
◆当日、経営戦略室の新人社員2名がプレーをしない幹事見習いで手伝いに来る伝統は今回も有効
◆今までの社内コンペは、コンペ専用のハンディがあったが、今回はダブルペリア方式
◆プレーの当日に、社長にカードを引いてもらい、誰も見れないようにハンディホールを決める
◆動画をたくさん撮ってコミュニケーションルームの表彰で流す
◆色々と問題が出たら、基本的には上司Aと幹社員Hの責任ということで統一する
あっという間に2時間が過ぎて、仮の組み合わせができた。あとは、迷っていたり、家族の説得をしている若手社員の申し込みを待つだけだ。
賞品の準備も、基本的には若手の社員Eが会社で受け取ることにして、ネットで注文するから大丈夫だという。上司Aは、21世紀になったのだと、変なところで感心した。60人分の賞品を楽勝です、とサラッと言えるなんて、考えられないことだった。
問題になりそうだと思っていたことは、それぞれの努力で、問題になる前にクリアしている感じがした。社内ゴルフコンペの歴史が変わる瞬間を見ているのだと思うと、少しジンとした。
上司Aは、社内コンペは準備が99%を占めるという意味でも、成功したことを確信した。あとは、当日、雨が降らず、コロナウィルスも落ち着いて、事故などを含む不幸なことが起きないことを祈るだけだ。それについても、上司Aは、全く心配は要らないと、根拠はないが確信し始めていた。
特命を発令した役員から上司Aは叱咤されていた。
「未解決の問題はありますが、ご心配には及びません。そもそも、専務も8年振りに社内コンペに出席なさると伺っています」
役員は言い捨てた。
「それも問題なんだよ。若手を増やせと入ったが、専務を参加させろと言った覚えはないからな」
社内コンペのレジェンド幹事の社員Hは、社長派だと考える人が多いが、実際にはどの派閥に属さず、そもそも出世に熱心には見えない。社長派の役員が言いたい放題にならないように、専務派の役員たちと、無派閥の役員たちにも、わざと声を掛けて、双方をブレーキとして利用しようと考えるなんていうのは、彼だから出来る荒技だった。そして、それは、既に機能し始めていた。
上司Aは、社内コンペの準備が進んでいることを役員に説明した。
◆セルフプレーでもキャディのように世話が出来るゴルフ出身者を同組にして一部の役員に対応させる
◆ワンウェイで、3人ずつの組で10組で募集開始したが、現在14組の申し込みがあり、最大20組に増やす
◆組み合わせは若手とベテランは分けるが、スタートは原則として前後になるようにして親交を深める
◆表彰は翌週の水曜日の午後5時からコミュニケーションルームで飲み物食べ物は持ち込む
◆表彰式の代理出席は認めず、欠席は入賞資格を失う
◆申し込み済みの14組の内、9組は若手。最終的には20組でベテランが7組になると予想
◆賞品はお菓子などが中心。家に持って帰っても良し、自分で食べても良しとする
イマイチ納得しきってはいない役員をなだめつつ、上司Aは役員室を後にした。会議室で、社内コンペの打合せがあったから、急いでいたのだ。
今日は、秘書室の女子社員Cが役員秘書数名を連れて来ることになっていた。全役員の出欠をハッキリさせて、組み合わせの調整をするためだ。そして、最後のゴルフ採用の社員Bが、キャディーをしながらプレーできるゴルフ部出身社員の参加者の配置を調整することになっていた。若手は、その辺りはサクサクと事務的に決まるのに、ベテランのほうが面倒臭いのだ。都会育ちと村社会育ちの差は大きいのだと、上司Aは苦笑いをした。
会議室に行くと、既に、話し合いと調整は始まっていた。
「役員の参加者は予想通り12名でした。今、それを7組に振り分けています」
レジェンド幹事の社員Hが、入室した上司Aを確認して言った。
「Aさんは、社長と一緒の組が良いですか?」
からかうように、秘書の女子社員Cがかぶせてきた。
「できれば、僕は最終組とかが良いな。最初の組からずべてを見たいし」
上司Aが言うと、集まっているメンバーたちが笑った。
空いている席に座ると、隣にいた若手ゴルファーのまとめ役の社員Eが名簿になったペーパーを渡しながら、
「20組になりそうです。今日の午後、アウトコースのスタート枠を全て社内コンペ用に押さえました」
と小声で言った。上司Aは、声を出さず、笑顔のサムアップでねぎらった。
ゴルフ部採用をまとめてもらっている社員Bが椅子を持って、上司Aの隣に近づいてきて、社長派の役員の組でキャディーのようにお世話をしながらプレーしてくれる参加者の名前を羅列しながら、他の該当する社員が専務派と無派閥の役員の組につくのを嫌がっているという相談をしてきた。
「最悪、僕と出身校の後輩になるゴルフ部出身者と社員Bで、それら組の面倒は見よう」
と伝えた。レジェンド幹事の社員Hが、それを聞いていたようで、言ってきた。
「それなら大丈夫です。それぞれ、セルフプレー大歓迎という明確なコンセンサスをもらっていますから。実質的に、4組分なので4名が協力していただければ成立します」
社員Bは、上司Aと幹事の社員Hを交互に見ながら心配そうに言った。
「後から、不公平だ、とか、問題にならないですか?」
「専務も、無派閥の役員のみなさんも、大丈夫だと思います。ねぇ?」
秘書室の女子社員Cが、他の秘書たちの同意を得るように言うと、彼女たちもうなずいた。
「専務なんか、逆に、受付のFちゃんの面倒は僕が見ても良いよ、と先程おっしゃっていました」
別の秘書室の女子社員が付け加えて、会議室内が和んだ。
◆開催1月以上前ではあるが、満員御礼になりそうだ
◆ワンウェイで最大24組までだが、一応、20組を定員とする
◆仮で作った組み合わせは、公開は前日の社内メールだが、事前に役員には見せる
◆当日、経営戦略室の新人社員2名がプレーをしない幹事見習いで手伝いに来る伝統は今回も有効
◆今までの社内コンペは、コンペ専用のハンディがあったが、今回はダブルペリア方式
◆プレーの当日に、社長にカードを引いてもらい、誰も見れないようにハンディホールを決める
◆動画をたくさん撮ってコミュニケーションルームの表彰で流す
◆色々と問題が出たら、基本的には上司Aと幹社員Hの責任ということで統一する
あっという間に2時間が過ぎて、仮の組み合わせができた。あとは、迷っていたり、家族の説得をしている若手社員の申し込みを待つだけだ。
賞品の準備も、基本的には若手の社員Eが会社で受け取ることにして、ネットで注文するから大丈夫だという。上司Aは、21世紀になったのだと、変なところで感心した。60人分の賞品を楽勝です、とサラッと言えるなんて、考えられないことだった。
問題になりそうだと思っていたことは、それぞれの努力で、問題になる前にクリアしている感じがした。社内ゴルフコンペの歴史が変わる瞬間を見ているのだと思うと、少しジンとした。
上司Aは、社内コンペは準備が99%を占めるという意味でも、成功したことを確信した。あとは、当日、雨が降らず、コロナウィルスも落ち着いて、事故などを含む不幸なことが起きないことを祈るだけだ。それについても、上司Aは、全く心配は要らないと、根拠はないが確信し始めていた。
今回の金言
「スタンスをとってしまえば、すべてが決定したのだ」
(レズリー・ショーン)
ゴルフ心理の研究で有名だったレズリー・ショーンの名著“The Psychology of Golf”(1922年) の中に書かれた金言である。
ストロークのための準備は、練習場でボールをたくさん打つことや、自分に合ったクラブをバッグに入れることなど無限に存在して、やってもやっても、なんらかの準備不足があるような気がして、安心できないという人も少なくない。
前夜、全く眠れなかった、というのは、ゴルフの朝のエクスキューズの代表例であるが、準備万端だから熟睡できるわけでもなく、逆に自信と期待で興奮が抑えられなくて眠くならないという子供の遠足前夜のような経験は多くのゴルファーが知っているものである。
ゴルフの準備については、ゴルフに行く経験数と比例して熟練していくものである。とはいえ、準備不足に慣れてしまうだけで、結局、初級者のままでゴルフ人生を終えてしまう人もいるのは、ゴルフの怖いところだ。
上司Aは、スタンスでストロークの9割が決まると信じている。間違ったスタンスでは、ナイスショットもバッドショットになってしまうし、そもそも、アドレスでスイングは決まるとも考えているのだ。
この金言には、続きがある。
“やるべきことはだた一つ、ボールを打つということだけだ”
特命は、クリアできることは間違いない、と、上司Aは安堵していた。スタンスをとったどころか、もうテークバックも始まっているような気もする。当たるというナイスショットの予感がしている。
上司Aは、特命だけではなく、自らがゴルフを始めたきっかけも含めて、すべては運命で決まっていたような奇妙な感覚を覚えていた。この会社にいることも、この仲間といる時間も、ゴルフが結びつけた絆だと感じたのだ。
コンペまで40数日もあることはわかっていたが、あっという間に当日になるだろうとも上司Aが思っていた。わかっていることは、もう戻れないし、戻る気もないということだった。
(レズリー・ショーン)
ゴルフ心理の研究で有名だったレズリー・ショーンの名著“The Psychology of Golf”(1922年) の中に書かれた金言である。
ストロークのための準備は、練習場でボールをたくさん打つことや、自分に合ったクラブをバッグに入れることなど無限に存在して、やってもやっても、なんらかの準備不足があるような気がして、安心できないという人も少なくない。
前夜、全く眠れなかった、というのは、ゴルフの朝のエクスキューズの代表例であるが、準備万端だから熟睡できるわけでもなく、逆に自信と期待で興奮が抑えられなくて眠くならないという子供の遠足前夜のような経験は多くのゴルファーが知っているものである。
ゴルフの準備については、ゴルフに行く経験数と比例して熟練していくものである。とはいえ、準備不足に慣れてしまうだけで、結局、初級者のままでゴルフ人生を終えてしまう人もいるのは、ゴルフの怖いところだ。
上司Aは、スタンスでストロークの9割が決まると信じている。間違ったスタンスでは、ナイスショットもバッドショットになってしまうし、そもそも、アドレスでスイングは決まるとも考えているのだ。
この金言には、続きがある。
“やるべきことはだた一つ、ボールを打つということだけだ”
特命は、クリアできることは間違いない、と、上司Aは安堵していた。スタンスをとったどころか、もうテークバックも始まっているような気もする。当たるというナイスショットの予感がしている。
上司Aは、特命だけではなく、自らがゴルフを始めたきっかけも含めて、すべては運命で決まっていたような奇妙な感覚を覚えていた。この会社にいることも、この仲間といる時間も、ゴルフが結びつけた絆だと感じたのだ。
コンペまで40数日もあることはわかっていたが、あっという間に当日になるだろうとも上司Aが思っていた。わかっていることは、もう戻れないし、戻る気もないということだった。
【著者紹介】四野 立直 (しの りいち)
バブル入社組作家。ゴルフの歴史やうんちく好きで、スクラッチプレーヤーだったこともある腕前。東京都在住。