XTCと誤魔化した時代
中一でコースデビューしたときに、ゴルフはパスポートというか、特別なチケットだと思いました。すべて自分の責任だという大人の世界がそこにはあって、絶対的な正義と真実だけで堂々としていられる空間が広がっていました。「ゴルフって、すげぇ」と、心底、惚れてしまったのです。
4ラウンド目で100を切って、デビュー前に集中的に指導してもらったプロゴルファーたちや、周囲の大人たちに天才だとおだてられても、「俺は、まだまだ本気出してねぇし」と素直に思っていました。子供だったのです。
その後、ゴルフよりも青春を優先した選択しても、そこそこのゴルフが出来るという幸運とも、不幸とも言える10代を過ごしました。
「もっと出来るはずなのに、どうした?」
ジュニアゴルファーとして競技に出ても1打差で予選落ちすることを繰り返したので、指導してもらっていた叔父に聞かれたことがありました。叔父は、強制することは一切なく、僕のやりたいようにゴルフをさせてくれました。今、振り返れば、適当にゴルフをしているのに、ボールを打つスキルのレベルや、戦略的な考え方の巧みさから、それでも、予選落ちなどしないはずだと、叔父は不思議に思ったのだと思います。
実は、予選を通らない明確な理由があったのです。僕は叔父に説明をしました。
その頃の僕は、スタートホールの第一打目で震えたり、緊張で身体が動かないという経験をしたことがありませんでした。ゴルフが出来る喜びで、それどこではないからです。集中した状態でスタートホールはプレーするので、ほぼ狙い通りのストロークを重ねて、パーで通過するのは何でもないことでした。
異変が起きるのは、そこからです。練習不足と準備不足にもかかわらず、落ち着いたプレーで1番ホールを通過したことに、猛烈に興奮してしまうのです。2番ホールから、2ホールか、3ホールは、記憶がないことが、たびたびありました。自分が自分でないゴルフになってしまうのです。
今ならわかります。強烈な快感で脳内麻薬が分泌されて、ボールが飛びすぎてしまったり、コントールが効かなかったり、いわゆる『ハイ』な状態になってしまうのです。ゴルフが出来る幸せと、素晴らしい結果を出せる自分に酔ってしまうわけです。2ホールか、3ホールで、3〜6オーバーになってしまうのです。
そして、急に冷静に戻ります。その感覚と同時に、再び記憶が始まるのです。そこから集中して、それ以上、ストロークを浪費しないように歯を食いしばってゴルフをします。叔父が確信していたように実力はあるので、予選に通るぐらいのスコアを維持して、最終ホールを迎えます。『ボギーでも、予選は通過できる』と考えて安心した最終ホールで、僕はしばしばダボやトリを打ちました。結果として、1打足りずに予選落ちというパターンでした。
最終ホールは、17番を終えてスコアを集計してしまうという愚行が原因でした。頭の中でもわかっている数字を念のために確認するための作業だったのです。プレー中のスコアカードは書くもので、計算に使うものではない、叔父に諭されて、最終ホールを意識しないでプレーすることが出来るようになりました。
しかし、自分の良いプレーに興奮して『ハイ』になってしまう現象には悩まされました。叔父も「慣れるしかない。そもそも、そんなの聞いたことがない」とお手上げだったからです。
昭和の終わりが近づいていたその頃、エクスタシーは、かなりエロい言葉で、10代のシャイな僕が使うには赤面する隠語みたいなものでした。その数年後に、アイドルが歌った大ヒット曲の歌詞ですら、エクスタシーは、「X T C」と誤魔化して表記していたほどです。
あまりにもゴルフに惚れすぎて、僕は試合中でもエクスタシーに達してしまっていたというわけです。
4ラウンド目で100を切って、デビュー前に集中的に指導してもらったプロゴルファーたちや、周囲の大人たちに天才だとおだてられても、「俺は、まだまだ本気出してねぇし」と素直に思っていました。子供だったのです。
その後、ゴルフよりも青春を優先した選択しても、そこそこのゴルフが出来るという幸運とも、不幸とも言える10代を過ごしました。
「もっと出来るはずなのに、どうした?」
ジュニアゴルファーとして競技に出ても1打差で予選落ちすることを繰り返したので、指導してもらっていた叔父に聞かれたことがありました。叔父は、強制することは一切なく、僕のやりたいようにゴルフをさせてくれました。今、振り返れば、適当にゴルフをしているのに、ボールを打つスキルのレベルや、戦略的な考え方の巧みさから、それでも、予選落ちなどしないはずだと、叔父は不思議に思ったのだと思います。
実は、予選を通らない明確な理由があったのです。僕は叔父に説明をしました。
その頃の僕は、スタートホールの第一打目で震えたり、緊張で身体が動かないという経験をしたことがありませんでした。ゴルフが出来る喜びで、それどこではないからです。集中した状態でスタートホールはプレーするので、ほぼ狙い通りのストロークを重ねて、パーで通過するのは何でもないことでした。
異変が起きるのは、そこからです。練習不足と準備不足にもかかわらず、落ち着いたプレーで1番ホールを通過したことに、猛烈に興奮してしまうのです。2番ホールから、2ホールか、3ホールは、記憶がないことが、たびたびありました。自分が自分でないゴルフになってしまうのです。
今ならわかります。強烈な快感で脳内麻薬が分泌されて、ボールが飛びすぎてしまったり、コントールが効かなかったり、いわゆる『ハイ』な状態になってしまうのです。ゴルフが出来る幸せと、素晴らしい結果を出せる自分に酔ってしまうわけです。2ホールか、3ホールで、3〜6オーバーになってしまうのです。
そして、急に冷静に戻ります。その感覚と同時に、再び記憶が始まるのです。そこから集中して、それ以上、ストロークを浪費しないように歯を食いしばってゴルフをします。叔父が確信していたように実力はあるので、予選に通るぐらいのスコアを維持して、最終ホールを迎えます。『ボギーでも、予選は通過できる』と考えて安心した最終ホールで、僕はしばしばダボやトリを打ちました。結果として、1打足りずに予選落ちというパターンでした。
最終ホールは、17番を終えてスコアを集計してしまうという愚行が原因でした。頭の中でもわかっている数字を念のために確認するための作業だったのです。プレー中のスコアカードは書くもので、計算に使うものではない、叔父に諭されて、最終ホールを意識しないでプレーすることが出来るようになりました。
しかし、自分の良いプレーに興奮して『ハイ』になってしまう現象には悩まされました。叔父も「慣れるしかない。そもそも、そんなの聞いたことがない」とお手上げだったからです。
昭和の終わりが近づいていたその頃、エクスタシーは、かなりエロい言葉で、10代のシャイな僕が使うには赤面する隠語みたいなものでした。その数年後に、アイドルが歌った大ヒット曲の歌詞ですら、エクスタシーは、「X T C」と誤魔化して表記していたほどです。
あまりにもゴルフに惚れすぎて、僕は試合中でもエクスタシーに達してしまっていたというわけです。
有頂天になっても良いじゃん
ゴルフのエクスタシーは厄介なものです。
有名なところでは、ホールインワンの後に、残りのホールのスコアがガタガタになる現象が近いものかもしれません。ホールインワンは、ある意味で最高のエクスタシーです。
軽いエクスタシーなら多くのゴルファーは、日常茶飯事に経験しています。ドライバーが最高の当たりで狙い通りのフェアウェイ真ん中に飛んだのに、セカンドはショットは別人のようなミスショットという経験は、誰もがやらかした記憶があるはずです。これも、小さなエクスタシーがゴルファーを狂わせたパターンだと言えます。
ゴルフにおいて、最高と最低は、常に背中合わせで、1枚のカードのようなものなのです。
21世紀の現代において、エクスタシーという言葉は、昔のようにエッチと直結する意味合いが薄れてきました。和訳すれば、快感が最高潮に達することであり、恍惚や、無我夢中や、忘我も当てはまります。
幼き僕のゴルフエクスタシー症候群は、高校3年の18歳で少し治って、大学入学した19歳になって初めて年間で二桁のラウンドが出来るようになると、嘘のように完治してしまいました。年間に数ラウンドしかできないという現実に、もっとゴルフがしたいという飢えがアンバランスに反応した結果が、漫画のような症状を生み出していたのだと思われます。
経験を重ねる内に、エクスタシーをコントロールできるようになったことは、慣れということよりも、有頂天で良いじゃん、と自分を許せるようになったことが大きかったのです。エクスタシーには有頂天という意味もあります。有頂天は元々は仏教用語ですが、喜びで我を忘れるという意味で使われています。
ゴルフが出来る幸せとナイスプレーの合わせ技の快感に失神してしまうような体験が出来た昔の自分は、特別でした。でも、もう、30年以上前のことで、そんなことは願っても起きません。それでも、僕は、今でも毎週、かなり小さな快感にはなりましたが、有頂天なゴルフを続けているのです。
有名なところでは、ホールインワンの後に、残りのホールのスコアがガタガタになる現象が近いものかもしれません。ホールインワンは、ある意味で最高のエクスタシーです。
軽いエクスタシーなら多くのゴルファーは、日常茶飯事に経験しています。ドライバーが最高の当たりで狙い通りのフェアウェイ真ん中に飛んだのに、セカンドはショットは別人のようなミスショットという経験は、誰もがやらかした記憶があるはずです。これも、小さなエクスタシーがゴルファーを狂わせたパターンだと言えます。
ゴルフにおいて、最高と最低は、常に背中合わせで、1枚のカードのようなものなのです。
21世紀の現代において、エクスタシーという言葉は、昔のようにエッチと直結する意味合いが薄れてきました。和訳すれば、快感が最高潮に達することであり、恍惚や、無我夢中や、忘我も当てはまります。
幼き僕のゴルフエクスタシー症候群は、高校3年の18歳で少し治って、大学入学した19歳になって初めて年間で二桁のラウンドが出来るようになると、嘘のように完治してしまいました。年間に数ラウンドしかできないという現実に、もっとゴルフがしたいという飢えがアンバランスに反応した結果が、漫画のような症状を生み出していたのだと思われます。
経験を重ねる内に、エクスタシーをコントロールできるようになったことは、慣れということよりも、有頂天で良いじゃん、と自分を許せるようになったことが大きかったのです。エクスタシーには有頂天という意味もあります。有頂天は元々は仏教用語ですが、喜びで我を忘れるという意味で使われています。
ゴルフが出来る幸せとナイスプレーの合わせ技の快感に失神してしまうような体験が出来た昔の自分は、特別でした。でも、もう、30年以上前のことで、そんなことは願っても起きません。それでも、僕は、今でも毎週、かなり小さな快感にはなりましたが、有頂天なゴルフを続けているのです。
無我夢中と忘我
ゴルフに熱中している人たちが、僕は大好きです。自分自身が、その中の一人だから、ということもありますし、何より見たり、触れているだけで、幸福な気分になれるからです。
例えば、それが、ゴルフのマナーとして問題があったとしても、無我夢中でゴルフをしている結果であれば、不愉快よりも、微笑ましい気持ちが勝つのです。知り合いであれば、後からやんわりと注意することもしますが、その場では、よほどのことがない限り問題にはしません。
無我夢中でゴルフができる人なら、ゴルフにとって正しいことだとわかった時点で、指摘された自らの振る舞いを正すことは簡単なことだからです。大好きなゴルフに嫌われたくない、という感情は、先人の知恵の塊のであるエチケットいう宝物を守り続ける原動力となってきました。エチケットやマナーは、ゴルフと相思相愛になるための最強のハウツー本でもあるのです。
子供が何かに夢中になっているときに、ポカンと口を開けてバカ顔になっていることがあります。メンタルトレーナーによれば、それこそが忘我の境地で、ゴルフで集中力を高めるヒントになるそうです。
集中しようと、眉間にしわを寄せて、拳を握りしめるのは、全く逆効果になるそうです。我を忘れる忘我というエクスタシーは、力みが消えて、余計なことは見えず、聞こえず、考えずという状態になるから可能になって、それが最高の集中に繋がっていくのです。。
ゴルフの良いストロークも、振り返ると、忘我で、何も余計なことを考えていなかった、ということがよくあります。逆に、ミスは余計なことを考えながらストロークしたりした結果だった、ということも多くの人が共感できるはずです。
コロナ禍のことを持ち出すまでもなく、何とも世知辛い世の中です。無我夢中になって、一つのことに集中できる人は、それが何でもあっても幸せなのです。こんなご時世だからこそ、僕は、ゴルフに感謝します。ゴルフは永遠にエクスタシーです。
例えば、それが、ゴルフのマナーとして問題があったとしても、無我夢中でゴルフをしている結果であれば、不愉快よりも、微笑ましい気持ちが勝つのです。知り合いであれば、後からやんわりと注意することもしますが、その場では、よほどのことがない限り問題にはしません。
無我夢中でゴルフができる人なら、ゴルフにとって正しいことだとわかった時点で、指摘された自らの振る舞いを正すことは簡単なことだからです。大好きなゴルフに嫌われたくない、という感情は、先人の知恵の塊のであるエチケットいう宝物を守り続ける原動力となってきました。エチケットやマナーは、ゴルフと相思相愛になるための最強のハウツー本でもあるのです。
子供が何かに夢中になっているときに、ポカンと口を開けてバカ顔になっていることがあります。メンタルトレーナーによれば、それこそが忘我の境地で、ゴルフで集中力を高めるヒントになるそうです。
集中しようと、眉間にしわを寄せて、拳を握りしめるのは、全く逆効果になるそうです。我を忘れる忘我というエクスタシーは、力みが消えて、余計なことは見えず、聞こえず、考えずという状態になるから可能になって、それが最高の集中に繋がっていくのです。。
ゴルフの良いストロークも、振り返ると、忘我で、何も余計なことを考えていなかった、ということがよくあります。逆に、ミスは余計なことを考えながらストロークしたりした結果だった、ということも多くの人が共感できるはずです。
コロナ禍のことを持ち出すまでもなく、何とも世知辛い世の中です。無我夢中になって、一つのことに集中できる人は、それが何でもあっても幸せなのです。こんなご時世だからこそ、僕は、ゴルフに感謝します。ゴルフは永遠にエクスタシーです。
【著者紹介】篠原嗣典
ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。