遙か彼方のオーガスタで
日本中のゴルファーが歓喜する瞬間は、唐突に訪れました。
2位と4打差のトップで最終日のスタートホールに松山英樹プロが立つことは、日本時間だと日曜日の各局のニュースでも流れて、月曜日の朝への期待が高まったのです。最終日をトップで迎える男子プロゴルファーは、日本では松山プロが初めてでした。
最終日、一度も逆転されることなく、松山プロは2021年のマスターズに優勝しました。
その瞬間、日本のテレビ局は、中継をしていない局までニュース速報を打ちました。号外を出した新聞もあります。
優勝した瞬間視聴率は17%を越えて歴代最高。何よりも占有率は50%越えだったそうです(オンになっているテレビだけの視聴率が占有率です)。日本中に、明るいニュースとして、松山プロのマスターズ優勝は駆け巡りました。
僕はテレビの前で号泣しました。
1979年。ゴルフコースデビューした翌年の春。初めて見たマスターズは、3人のプレーオフの末、初出場だったF・ゼラーが勝ちました。当時のオーガスタナショナルは、グリーンの芝生はベントではなくバミューダでしたし、総距離も7000ヤード程度でした。テレビの中のコースの美しさに感動したものです。
いつの日にか、マスターズに出場して、この美しいコースでプレーするのだと本気で思いました。可能性が無限大だった14歳まであと10日という若さは、愚かしくも、眩しかったのです。
翌年のS・バレステロス、1981年のT・ワトソンの優勝には、刺激を受けました。彼らのようなゴルフをしてみたい、と、色々と真似をしたりしたものです。1986年のJ・ニクラウスの最年長優勝には、インコースの全てのストロークを今でも説明できるぐらい熱中しました。ゴルフは単なるスポーツではなく、文化なのだという考え方の基礎の一つになる出来事でした。
細かい話を書くと複雑すぎて長くなるので、思いっ切り割愛しますが、1989年には、マスターズ期間ではありませんでしたが、オーガスタナショナルでプレーできるチャンスが訪れました。
しかし……
「そう遠くない将来、自分の力で行きますので、今回はご遠慮させていただきます」
予選を通っていた競技の本戦が重なっていたのと、24歳だけどバカだった僕は、本気で自分の力でオーガスタに行けると信じていましたから、さほど悩まずに返答して、この話はご破算になりました。
春にN・ファルドが勝った年で、マスターズとオーガスタナショナルへの憧れは人一倍強かったのに…… タイムマシーンがあったら、ぶっ飛ばしてでも、とにかく説得して、行かせたいです。
日本のプロゴルファーのグリーンジャケットへの挑戦は続きました。当然、日本から参戦するプロゴルファーを応援し続けました。
2021年。日本からは松山英樹プロ一人だけの参戦でしたが、2017年夏の『WGCブリヂストン招待』の優勝以降、怪我もあったりして、3年以上も未勝利が続いていましたし、今年に入ってからは、1試合も10位以内にも入っていませんでしたから、あまり注目はされていませんでした。勝てるかもしれないと煽られて、期待をしては裏切られ続けた日本のゴルフファンは、もう疲れてしまって、諦めムードが漂っていたような気がします。
オーガスタは、そういう意味も含めて、遙か彼方の幻になりつつあったのです。
2位と4打差のトップで最終日のスタートホールに松山英樹プロが立つことは、日本時間だと日曜日の各局のニュースでも流れて、月曜日の朝への期待が高まったのです。最終日をトップで迎える男子プロゴルファーは、日本では松山プロが初めてでした。
最終日、一度も逆転されることなく、松山プロは2021年のマスターズに優勝しました。
その瞬間、日本のテレビ局は、中継をしていない局までニュース速報を打ちました。号外を出した新聞もあります。
優勝した瞬間視聴率は17%を越えて歴代最高。何よりも占有率は50%越えだったそうです(オンになっているテレビだけの視聴率が占有率です)。日本中に、明るいニュースとして、松山プロのマスターズ優勝は駆け巡りました。
僕はテレビの前で号泣しました。
1979年。ゴルフコースデビューした翌年の春。初めて見たマスターズは、3人のプレーオフの末、初出場だったF・ゼラーが勝ちました。当時のオーガスタナショナルは、グリーンの芝生はベントではなくバミューダでしたし、総距離も7000ヤード程度でした。テレビの中のコースの美しさに感動したものです。
いつの日にか、マスターズに出場して、この美しいコースでプレーするのだと本気で思いました。可能性が無限大だった14歳まであと10日という若さは、愚かしくも、眩しかったのです。
翌年のS・バレステロス、1981年のT・ワトソンの優勝には、刺激を受けました。彼らのようなゴルフをしてみたい、と、色々と真似をしたりしたものです。1986年のJ・ニクラウスの最年長優勝には、インコースの全てのストロークを今でも説明できるぐらい熱中しました。ゴルフは単なるスポーツではなく、文化なのだという考え方の基礎の一つになる出来事でした。
細かい話を書くと複雑すぎて長くなるので、思いっ切り割愛しますが、1989年には、マスターズ期間ではありませんでしたが、オーガスタナショナルでプレーできるチャンスが訪れました。
しかし……
「そう遠くない将来、自分の力で行きますので、今回はご遠慮させていただきます」
予選を通っていた競技の本戦が重なっていたのと、24歳だけどバカだった僕は、本気で自分の力でオーガスタに行けると信じていましたから、さほど悩まずに返答して、この話はご破算になりました。
春にN・ファルドが勝った年で、マスターズとオーガスタナショナルへの憧れは人一倍強かったのに…… タイムマシーンがあったら、ぶっ飛ばしてでも、とにかく説得して、行かせたいです。
日本のプロゴルファーのグリーンジャケットへの挑戦は続きました。当然、日本から参戦するプロゴルファーを応援し続けました。
2021年。日本からは松山英樹プロ一人だけの参戦でしたが、2017年夏の『WGCブリヂストン招待』の優勝以降、怪我もあったりして、3年以上も未勝利が続いていましたし、今年に入ってからは、1試合も10位以内にも入っていませんでしたから、あまり注目はされていませんでした。勝てるかもしれないと煽られて、期待をしては裏切られ続けた日本のゴルフファンは、もう疲れてしまって、諦めムードが漂っていたような気がします。
オーガスタは、そういう意味も含めて、遙か彼方の幻になりつつあったのです。
マスターズ勝者の条件
2021年春。前年、新型コロナウィルスの影響で、史上初めて秋に開催されたマスターズから約半年、いつもの4月の2週目のマスターズが戻ってきました。現地は、例年より温暖だったということで、花が咲き乱れるオーガスタナショナルではなく、緑濃い状態での開催となりました。
練習ラウンドを終えたときに、早藤将太キャディに松山英樹プロは呟いたそうです。
「今週、いけるかも」
勝敗レベルではなく、上位が狙えるという意味かもしれないと考えた早藤キャディは、ハッパをかける意味も含めて「優勝しよう」と声をかけた、とコメントしています。
外野どころか、スタンド観戦でもなく、テレビ中継を通して見ている僕らに、その根拠となっていたものが何なのかは、全くわかりませんが、勝負師の勘のような予感があったのかもしれません。
僕は中継を見ていて、2日目の松山プロが1アンダーでプレーしたことで、もしかしたら、と思いました。理由は三つあります。
一つは、予選落ちした前年度のチャンピオンであるD・ジョンソンのジンクスです。参戦10回目の正直、というものです。過去9回のマスターズで必要な経験は全てしてきて、対策も出来ていた、という半年前のジョンソンのコメントは、丸々、松山プロにも当てはまります。
もう一つは、ツキです。2日目に松山プロは長いパーパットや外れてもおかしくないパーパットをホールに沈めまくりました。一歩間違えば、アンダー分を全て失ってオーバーパーになっても不思議ではなかったラウンドなのに、終わってみれば更に1アンダーを重ねて、トータル4アンダーになったのです。マスターズに招待されているプレーヤーは、実力的には全ての人が優勝できる可能性がある、とよく言われます。人事を尽くして天命を待つ。ツキに見放されたゴルファーは勝てませんし、逆にツキに恵まれているゴルファーは実力以上の勝利をつかみ取れるところが、ゴルフの醍醐味でもあります。
最後の一つは、パットのルーチンの変化です。松山プロは、あとはパットだけ、とよく言われてきましたが、今回のマスターズでは、アドレスに入るルーチンの時間が短くなって、ヘッドが動き出すのが早くなったのです。面白いのは、固定したルーチンがあるわけではなく、動作を見ていると2回カップを見たり、1回しか見ずに動き出したりして、使い分けているのか、まだ模索中なのか、イマイチわかりませんでしたが、静止している時間が長いパットのルーチンは、百害あって一利なし、だというのは、ツアーの世界では常識です。短いパットのルーチンは、多くの強い選手の共通項でもあります。
結果論になってしまいますが、松山プロはマスターズに勝つ準備は整っていた、ということなのだと思われます。
練習ラウンドを終えたときに、早藤将太キャディに松山英樹プロは呟いたそうです。
「今週、いけるかも」
勝敗レベルではなく、上位が狙えるという意味かもしれないと考えた早藤キャディは、ハッパをかける意味も含めて「優勝しよう」と声をかけた、とコメントしています。
外野どころか、スタンド観戦でもなく、テレビ中継を通して見ている僕らに、その根拠となっていたものが何なのかは、全くわかりませんが、勝負師の勘のような予感があったのかもしれません。
僕は中継を見ていて、2日目の松山プロが1アンダーでプレーしたことで、もしかしたら、と思いました。理由は三つあります。
一つは、予選落ちした前年度のチャンピオンであるD・ジョンソンのジンクスです。参戦10回目の正直、というものです。過去9回のマスターズで必要な経験は全てしてきて、対策も出来ていた、という半年前のジョンソンのコメントは、丸々、松山プロにも当てはまります。
もう一つは、ツキです。2日目に松山プロは長いパーパットや外れてもおかしくないパーパットをホールに沈めまくりました。一歩間違えば、アンダー分を全て失ってオーバーパーになっても不思議ではなかったラウンドなのに、終わってみれば更に1アンダーを重ねて、トータル4アンダーになったのです。マスターズに招待されているプレーヤーは、実力的には全ての人が優勝できる可能性がある、とよく言われます。人事を尽くして天命を待つ。ツキに見放されたゴルファーは勝てませんし、逆にツキに恵まれているゴルファーは実力以上の勝利をつかみ取れるところが、ゴルフの醍醐味でもあります。
最後の一つは、パットのルーチンの変化です。松山プロは、あとはパットだけ、とよく言われてきましたが、今回のマスターズでは、アドレスに入るルーチンの時間が短くなって、ヘッドが動き出すのが早くなったのです。面白いのは、固定したルーチンがあるわけではなく、動作を見ていると2回カップを見たり、1回しか見ずに動き出したりして、使い分けているのか、まだ模索中なのか、イマイチわかりませんでしたが、静止している時間が長いパットのルーチンは、百害あって一利なし、だというのは、ツアーの世界では常識です。短いパットのルーチンは、多くの強い選手の共通項でもあります。
結果論になってしまいますが、松山プロはマスターズに勝つ準備は整っていた、ということなのだと思われます。
礼に始まり礼に終わる
3日目を65でプレーして、松山英樹プロがトップに立った瞬間から、8件の問い合わせがありました。
「勝てると思いますか?」
「勝つとしたらどんなパターンですか?」
最終日は、既に始まっているのだと、遠いオーガスタの空に心からエールを送りました。
3日目を終えたテレビのインタビューを見ながら、僕は少しだけ安心していました。
2019年からコンビを組んだ早藤将太キャディとのやり取りを、松山プロが紹介していたのです。3日目のハイライトだった15番ホールの2打目を打つ前に、残り208ヤードで、キャディは「5番でしっかり」と言うので「何言ってんだ? コイツ」と否定して、カットフェードで、あのショットを放った、というのです。
早藤キャディは、中学、高校、大学と、松山プロの後輩でしたから、やり取りは、遠慮がなくて、お気軽で、あの大舞台での微笑ましいやり取りだと思いました。とても良い関係なのだとわかって、安心したのです。
マスターズを日本人が勝った直後。中継局のツイートが世界中から注目されて、賞賛されました。画像は、早藤キャディの後ろ姿で、18番の旗竿をカップに戻して、脱帽してフェアウェイに向かってお辞儀をしているシーンでした。
お辞儀という所作を日本人が習慣としているのは有名です。それは、感謝を込めた祈りのような意味合いを持つと思われています。コースへの感謝を忘れない、というのは、素晴らしいことであると、このツイートは拡散されました。
日本の文化を褒められたのだと、多くの日本のゴルファーは気分良くなっている様子でした。僕は過去の経験もあって、誤解されて、変なふうに影響しなければ良いなぁ、と心配しながら、その騒動を見ていました。
心配した通り。数時間後には、礼に始まり礼に終わる。この機会に、日本人のみんなで、スタート前と、フィニッシュ後に、コースに一礼するようにしましょう、と音頭を取る人たちが出てきました。
ジュニアゴルフの一部の団体は、このお辞儀を強制的な義務としてきた歴史があります。無理矢理やらせれば、見た目は整いますが、表面だけのものになってしまいがちなのです。実際に、石川プロの活躍で飛躍的に増えたジュニアゴルファーの中には、お辞儀さえしていればOKなのだといわんばかりに、コースへの感謝もしていなければ、コース保護の精神すら持っていないまま育っていく例が多発しました。
早藤キャディに、自らのお辞儀について取材した記事が、次々に出て少しホッとしました。
「普段はしていません。あのときは、本当に感謝というか、自然に出てしまって」
それで良いのです。いいえ、それが良いのです。
ちなみに、画像をよく見るとわかりますが、戻された旗竿には、フラッグがついていません。最終日の18番ホールのフラッグは、チャンピオンが持ち帰って良いという慣習になっているのです。早藤キャディの手には、よく見ると、黄色いフラッグが握られています。
タイガー・ウッズなどの移動に荷物の制限がないプレーヤーの場合は、旗竿ごと持って帰る例もあります。フラッグを取ることを忘れてしまって、あとから、キャディが慌てて取りに戻るというシーンもツアーでは見ることが出来ます。
グリーンジャケットを手に、松山プロは、日本時間の水曜日の夕方には帰国しました。無理をしないで欲しいと、切に願いつつ、マスターズ優勝の熱気が更に日本中の人々のゴルフ熱として広まっていくことも期待してしまう自分がいます。
2021年春。松山英樹プロがマスターズに勝ったことを僕らは忘れません。
それがきっかけとなって、この国ゴルフがどうなっていったのかを語り継げるように、注目していこうと思います。僕らは、ゴルフ史の生き証人なのです。
「勝てると思いますか?」
「勝つとしたらどんなパターンですか?」
最終日は、既に始まっているのだと、遠いオーガスタの空に心からエールを送りました。
3日目を終えたテレビのインタビューを見ながら、僕は少しだけ安心していました。
2019年からコンビを組んだ早藤将太キャディとのやり取りを、松山プロが紹介していたのです。3日目のハイライトだった15番ホールの2打目を打つ前に、残り208ヤードで、キャディは「5番でしっかり」と言うので「何言ってんだ? コイツ」と否定して、カットフェードで、あのショットを放った、というのです。
早藤キャディは、中学、高校、大学と、松山プロの後輩でしたから、やり取りは、遠慮がなくて、お気軽で、あの大舞台での微笑ましいやり取りだと思いました。とても良い関係なのだとわかって、安心したのです。
マスターズを日本人が勝った直後。中継局のツイートが世界中から注目されて、賞賛されました。画像は、早藤キャディの後ろ姿で、18番の旗竿をカップに戻して、脱帽してフェアウェイに向かってお辞儀をしているシーンでした。
お辞儀という所作を日本人が習慣としているのは有名です。それは、感謝を込めた祈りのような意味合いを持つと思われています。コースへの感謝を忘れない、というのは、素晴らしいことであると、このツイートは拡散されました。
日本の文化を褒められたのだと、多くの日本のゴルファーは気分良くなっている様子でした。僕は過去の経験もあって、誤解されて、変なふうに影響しなければ良いなぁ、と心配しながら、その騒動を見ていました。
心配した通り。数時間後には、礼に始まり礼に終わる。この機会に、日本人のみんなで、スタート前と、フィニッシュ後に、コースに一礼するようにしましょう、と音頭を取る人たちが出てきました。
ジュニアゴルフの一部の団体は、このお辞儀を強制的な義務としてきた歴史があります。無理矢理やらせれば、見た目は整いますが、表面だけのものになってしまいがちなのです。実際に、石川プロの活躍で飛躍的に増えたジュニアゴルファーの中には、お辞儀さえしていればOKなのだといわんばかりに、コースへの感謝もしていなければ、コース保護の精神すら持っていないまま育っていく例が多発しました。
早藤キャディに、自らのお辞儀について取材した記事が、次々に出て少しホッとしました。
「普段はしていません。あのときは、本当に感謝というか、自然に出てしまって」
それで良いのです。いいえ、それが良いのです。
ちなみに、画像をよく見るとわかりますが、戻された旗竿には、フラッグがついていません。最終日の18番ホールのフラッグは、チャンピオンが持ち帰って良いという慣習になっているのです。早藤キャディの手には、よく見ると、黄色いフラッグが握られています。
タイガー・ウッズなどの移動に荷物の制限がないプレーヤーの場合は、旗竿ごと持って帰る例もあります。フラッグを取ることを忘れてしまって、あとから、キャディが慌てて取りに戻るというシーンもツアーでは見ることが出来ます。
グリーンジャケットを手に、松山プロは、日本時間の水曜日の夕方には帰国しました。無理をしないで欲しいと、切に願いつつ、マスターズ優勝の熱気が更に日本中の人々のゴルフ熱として広まっていくことも期待してしまう自分がいます。
2021年春。松山英樹プロがマスターズに勝ったことを僕らは忘れません。
それがきっかけとなって、この国ゴルフがどうなっていったのかを語り継げるように、注目していこうと思います。僕らは、ゴルフ史の生き証人なのです。
【著者紹介】篠原嗣典
ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。