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打打打坐 第54回【教え魔とゴルフ】

打打打坐 第54回【教え魔とゴルフ】

打打打坐(ちょうちょうだざ)とは、打ちまくって瞑想の境地に入るという造語。コースで打たなければわからないと試打ラウンドだけで年間50ラウンド以上しているロマン派ゴルフ作家が、瞑想、妄想、迷走…… 徒然なるままにゴルフを想い、語るというお話。

配信日時:2021年4月30日 15時00分

無観客ゴルフ練習場の正体

3回目の非常事態宣言が東京で実施されました。ゴルフ業界で話題になったのは、無観客開催を要請という中に、ゴルフ練習場が含まれていたことです。

観客が入ったゴルフ練習場なんて、見たことがありません。トーナメントの練習場はギャラリーが観戦できるようになっていますが、想像力を働かせても、その程度が限界です。

色々と調べてみると、複数の人数でワイワイ楽しく練習するのをやめてくれという要請で、一人で黙々と練習するのは問題がないのだとわかりました。都内ではインドアの練習施設も増えています。防音が優れている施設ほど、換気は悪い傾向もあるということで、新型コロナウィルスの感染予防としては危険だという意見もあるそうです。

昨年の春以降、僕が知っている範囲で、ほとんどの都内の練習場は、1打席に1名のみの営業になっています。自粛する中で、そのルールを作り、それが1年以上続いています。教室形式のレッスンは例外として、打席でのレッスンも感染リスクがあるからと縮小したりしています。

ゴルフ練習場にとって、この感染対策が渡りに船だったという説があります。

ゴルフ練習場での長年の悩みは、ボールを打たないのに打席を独占して、社交場のように長居を決め込む使用者がいることと、我が物顔の教え魔が一般客に不愉快な思いをさせて、その練習場に来なくなってしまう連鎖を止められないことだったそうです。

ウィルス感染対策で、打席の複数人数での利用を禁止したことで、教え魔の排除が自然にできてしまったというのです。大声で話すことを禁止したことは、社交場のように打席を使った長居を減らす効果もあったそうです。不幸中の幸いどころか、トータルで見れば、結果オーライで助かっている、という部分もあると聞きました。

無観客ゴルフ練習場は、3回目の非常事態宣言で要請されなくとも、すでに都内にたくさんあり、定着すらしているのです。

先生になる快感は本能か?

一昔前までは、ゴルフ練習場には、主みたいに振る舞っている教え魔といわれる人たちがいました。必死で練習している人に近寄って、勝手にレッスンを始めるのが教え魔のベーシックなパターンです。

教え魔サイドからすれば、迷えるゴルファーを放ってはおけない、ということになるようですが、教わるほうとしては、そういう気がない場合は迷惑なだけなのです。『こういう人がいる練習場には来ないようにしよう』ということになります。

ついでに書くと、教え魔のレッスンのレベルは、冷静に観察すればするほど自己満足を脱しません。レッスンを生業にしているプロゴルファーでさえ、教えたことで100%の成果が出るとは限らないのがゴルフです。我流の理論を押しつけられたりする余計な時間をとられたと、被害者が訴えても、反論は出来ません。

練習場の主のような教え魔は減りましたが、教え魔予備軍とか、教え魔症候群とかいう人たちは、まだまだたくさんいます。ゴルファーという生き物のDNAには、数百年に渡る英智の蓄積があるからなのか、教えたり、伝えたりすることで得られる快感から逃れられないパターンが根強くあるような気がします。

教え魔を一度も見たことがない、という人もたくさんいます。多くは、休日の混雑している練習場にしか行かない人です。空いている時間帯でなければ、教え魔は活動しづらいので、休日はお休みしているケースが多いのです。

政治家や、医師を先生と呼ぶのは、プライド満たすのにちょうど良い呼称だからだと思われます。先生と呼ばれると、『あんたはエラい』と認められているようで、気分は良いものです。少なくとも、僕らの世代ぐらいまでは確実に、先生は偉いと刷り込まれています。9年間という長い義務教育は伊達ではないのです。

人に教える快感と先生と呼ばれる快感は、表裏一体です。未熟なゴルファーを導くことが出来たら、自己満足を満たすだけではなく、素晴らしく価値があることをしたと感じてしまうのは、ゴルフの場合、その構造上、やむを得ないのかもしれません。

最初は、教えてくれ、とお願いされて伝えたひと言のアドバイスかもしれません。それが大成功して、感謝されると、脳内で幸福ホルモンが大放出です。教え魔の快感は、どんどんエスカレートしてしまうのです。

知らない人に声をかけるのは、最初の大きな壁です。それを乗り越える頃には、相手には迷惑かもしれないという想像力よりも、自らの快感が勝ってしまって、これは義務であり、善行なのだと思い込むのです。ゴルファーやめますか? 教え魔やめますか? という薬物キャンペーンのような感じになります。

だから教え魔はしかたがない、とは思いません。一度でも、被害を受けたゴルファーにとって、教え魔は理由に関係なく撲滅する対象です。ゴルフ練習場の経営者やスタッフにとっても同様です。

教え魔をしている人は、教え魔禁止と注意されていたことに強くショックを受けるケースもよくあります。自覚がないケースも多いからです。教え魔という病気は重化しているほどTPOを選びません。聞いてもいないのに、技術的な解説をして、こうすると上手くいくなどアドバイスをしてしまうのです。

ラウンド中のレッスン行為は、かなりの割合で、スロープレーに直結する迷惑行為です。それでもやってしまうのは、やはり病気なのです。

ゴルフブーム到来の予感と不安

僕は、中学高校のゴルフ部のコーチを約10年間やったことがあります。
教えるのが上手なのですね、と煽てられたりしますが、実は、教えるのは苦手で、好きではありません。

教え子がスコアアップすることの達成感はありますが、喜びは薄いのです。それは、自分のゴルフが充実した瞬間の快感に比べたら百分の一ぐらいに過ぎません。

ゴルフの技術的なアドバイスを安易に求められると、ムッとするときもあります。悩み苦しみながら、一筋の光を見つけて、やっとのことで辿り着いた秘密のテクニックは、自分だけのものであって、他人に教える筋合いはない、と考えてしまうからです。また、ツアープロなどでも同じことを言う人がいますが、教えたことで教え子が上手くなった分だけ、自分が下手になるというバランスはゴルフの場合は機能していると経験的に知っているからです。

見るも無惨なドライバーイップスとアプローチイップスに何年も苦しみましたが、その発端はゴルフ部のコーチを引き受けたことでした。

ゴルフを教える快感が薄い、と話すと、書いてゴルフを伝えるのは好きなのにですか? とからかわれます。確かに、大いに矛盾していて、言葉もありません。僕は特殊なレアケースで、参考にはならないかもしれませんが……

ゴルフには麻薬のような危険性があると、警鐘を鳴らす人たちがいます。強烈な快感があり、中毒性もあるからです。ある意味で、麻薬的という指摘は当たっています。

面白いのは、ゴルフの快感は、十人十色ということなのです。ある人は、飛距離に魅せられて、別の人はスコアメイクに魅せられて、仲間と一緒に楽しめることが快感のひともいます。

ゴルフで得られる快感は一つではありません。数えればキリがないほどの数の快感があるのです。ゴルファーの数だけ快感が用意されているといっても過言ではありません。

教える快感に囚われて、教え魔という病気になってしまった人は、他者に迷惑をかけないために、もっと好きになれる別のゴルフの快感を探してみることです。視点を変えてみれば、ゴルフの魅力は無限大です。自分にもっと合った快感を見つけることも、ゴルフの内です。

麻薬は少量を有効に使えば、人を救う薬として機能します。
ゴルフも同じです。

たかがゴルフ。されどゴルフ。生かすも殺すも、ゴルファー次第なのです。

【著者紹介】篠原嗣典

ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。

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