打打打坐 第68回【ゴルフがある星に生まれて】
打打打坐(ちょうちょうだざ)とは、打ちまくって瞑想の境地に入るという造語。コースで打たなければわからないと試打ラウンドだけで年間50ラウンド以上しているロマン派ゴルフ作家が、瞑想、妄想、迷走…… 徒然なるままにゴルフを想い、語るというお話。
配信日時:2021年8月6日 06時00分
今日、43歳になりました
8月13日は……
僕が初めてコースデビューした日です。
ゴルファーとしての誕生日を祝う習慣はありませんが、ちゃんと数えれば43歳になりました。
1978年(昭和53年)8月13日、日曜日。栃木県の某コース。お天気は最高で、かなり暑い日でした。お盆休み中の日曜日ということあってコースはたくさんのゴルファーで溢れていました。
中学1年の僕は、身長は170センチあって大きかったけれど、近くで見れば大人になりきっていないことは明白でした。ゴルフコースに子供がいるなんて、当時はあり得ないことでした。現在で言えば、トップアイドルがお忍びでゴルフに来ているぐらいの珍しさがあったのです。子供がゴルフをしに来ているという話を耳にした好奇心溢れる野次馬ゴルファーも含めて、スタートするときには、20人以上の人がティーを囲んでいました。
第一打は、いきなりの池越えのショットで、スプーンを持った僕は(ドライバーは百を切るまでは不要だと言われて、バッグに入っていませんでした)大勢の大人の視線を感じながらティーアップしました。練習場の様子で、低くティーアップすることはわかっていました。『ゴルフって、こんなにたくさんの人が見ている中で打つんだ』とビックリしましたが、野球経験があったので、そのぐらいの観客がいることには慣れていて、緊張はしませんでした。
生まれて初めてのショットは、真芯に当たって、雲が2つ浮かんでいる青空に向かって、ボールは真っ直ぐに飛んでいきました。
「ナイスショット!」
「凄いな」
「おぉー!」
たくさんの声が聞こえて、ドキッとしました。父と叔父が、会釈するように言って、慌てて、頭を下げました。ゴルファーが良いショットに賞賛を贈り合うことを初めて知った瞬間でもありました。
その日のことは、全てではありませんが、明確に覚えていることがたくさんあります。お盆の前後になると、毎年、思いだすのです。
僕が初めてコースデビューした日です。
ゴルファーとしての誕生日を祝う習慣はありませんが、ちゃんと数えれば43歳になりました。
1978年(昭和53年)8月13日、日曜日。栃木県の某コース。お天気は最高で、かなり暑い日でした。お盆休み中の日曜日ということあってコースはたくさんのゴルファーで溢れていました。
中学1年の僕は、身長は170センチあって大きかったけれど、近くで見れば大人になりきっていないことは明白でした。ゴルフコースに子供がいるなんて、当時はあり得ないことでした。現在で言えば、トップアイドルがお忍びでゴルフに来ているぐらいの珍しさがあったのです。子供がゴルフをしに来ているという話を耳にした好奇心溢れる野次馬ゴルファーも含めて、スタートするときには、20人以上の人がティーを囲んでいました。
第一打は、いきなりの池越えのショットで、スプーンを持った僕は(ドライバーは百を切るまでは不要だと言われて、バッグに入っていませんでした)大勢の大人の視線を感じながらティーアップしました。練習場の様子で、低くティーアップすることはわかっていました。『ゴルフって、こんなにたくさんの人が見ている中で打つんだ』とビックリしましたが、野球経験があったので、そのぐらいの観客がいることには慣れていて、緊張はしませんでした。
生まれて初めてのショットは、真芯に当たって、雲が2つ浮かんでいる青空に向かって、ボールは真っ直ぐに飛んでいきました。
「ナイスショット!」
「凄いな」
「おぉー!」
たくさんの声が聞こえて、ドキッとしました。父と叔父が、会釈するように言って、慌てて、頭を下げました。ゴルファーが良いショットに賞賛を贈り合うことを初めて知った瞬間でもありました。
その日のことは、全てではありませんが、明確に覚えていることがたくさんあります。お盆の前後になると、毎年、思いだすのです。
ゴルフの蟲に刺された
ゴルフ歴40年を越えて、ゴルフ歴が長いことなんて、あまり意味はないなぁ、と思うのです。
いわゆる同級生ぐらいのゴルフ歴のゴルファーは、スタートの実年齢が違うので鬼籍に入る先輩が多く、どんどん減ってきています。実際の寿命はまだまだあるのに、ゴルフを卒業してしまう人もいます。
ただ一つだけ自慢したくなることがあります。僕は43年間で、ゴルフをしなかった年がゼロだということです。毎年最低でも数ラウンドはしてきました。片手で数えられるラウンド数だったのは、ゴルフを始めてから5年間と、30代前半の2年間だけです。
40年以上のゴルフ歴の人の多くは、空白期間があります。10年間は夢中でゴルフをしたが、15年間はやめていて、近年の10年は適当に楽しんでいるというような話を聞くと、15年分は引いたほうが正解なのでは? と疑問に思ったりするときがあります。
僕は、43年間、ゴルフをしたくて、したくて、でも、できなくて、という我慢をし続けてきたような気がするのです。空白の期間があるなんて、全く理解できません。
欧米では、ゴルフの虜になった瞬間をゴルフの蟲に刺されたと表現します。初めてゴルフをした日のことを詳細に話すと、多くの人が、朝一の第一打のナイスショットで、ゴルフの虜になったんだな、と指摘されたりします。初めてのラウンドで、パーも、バーディーも出た話もかなり正確に記憶をしているので、それを話すと、そのときに刺されたのですね、とも言われますが……
ゴルフの虜になったことを否定はしませんが、それがどの瞬間かは、実はよくわからないのです。
コースデビューの前週の8月6日の夕方に叔父から「これがお前のゴルフセットだ」と真っ白いゴルフバッグにスプーンとアイアンセットが入っているものをサプライズで渡された瞬間も、大人の扉を開けてもらったような感動をしました。このときに、刺されたような気もします。
翌日から始発の電車に乗って、神奈川の練習場に毎日通いました。指導してくれるプロゴルファーが待っていたからです。3球ミスショットをして、そのたびに、重要なアドバイスをもらって、4球目がナイスショットでした。その後、僕は酷いミスショットを打つことがありませんでした。その4球目のボールが飛んでいくのを見たときも鳥肌が立ちました。刺されたのかもしれません。
普通は1度刺されただけで、十分にゴルフの虜になるのに、もしかすると、何度も何度も刺されて、より重症化したのかもしれません。
いわゆる同級生ぐらいのゴルフ歴のゴルファーは、スタートの実年齢が違うので鬼籍に入る先輩が多く、どんどん減ってきています。実際の寿命はまだまだあるのに、ゴルフを卒業してしまう人もいます。
ただ一つだけ自慢したくなることがあります。僕は43年間で、ゴルフをしなかった年がゼロだということです。毎年最低でも数ラウンドはしてきました。片手で数えられるラウンド数だったのは、ゴルフを始めてから5年間と、30代前半の2年間だけです。
40年以上のゴルフ歴の人の多くは、空白期間があります。10年間は夢中でゴルフをしたが、15年間はやめていて、近年の10年は適当に楽しんでいるというような話を聞くと、15年分は引いたほうが正解なのでは? と疑問に思ったりするときがあります。
僕は、43年間、ゴルフをしたくて、したくて、でも、できなくて、という我慢をし続けてきたような気がするのです。空白の期間があるなんて、全く理解できません。
欧米では、ゴルフの虜になった瞬間をゴルフの蟲に刺されたと表現します。初めてゴルフをした日のことを詳細に話すと、多くの人が、朝一の第一打のナイスショットで、ゴルフの虜になったんだな、と指摘されたりします。初めてのラウンドで、パーも、バーディーも出た話もかなり正確に記憶をしているので、それを話すと、そのときに刺されたのですね、とも言われますが……
ゴルフの虜になったことを否定はしませんが、それがどの瞬間かは、実はよくわからないのです。
コースデビューの前週の8月6日の夕方に叔父から「これがお前のゴルフセットだ」と真っ白いゴルフバッグにスプーンとアイアンセットが入っているものをサプライズで渡された瞬間も、大人の扉を開けてもらったような感動をしました。このときに、刺されたような気もします。
翌日から始発の電車に乗って、神奈川の練習場に毎日通いました。指導してくれるプロゴルファーが待っていたからです。3球ミスショットをして、そのたびに、重要なアドバイスをもらって、4球目がナイスショットでした。その後、僕は酷いミスショットを打つことがありませんでした。その4球目のボールが飛んでいくのを見たときも鳥肌が立ちました。刺されたのかもしれません。
普通は1度刺されただけで、十分にゴルフの虜になるのに、もしかすると、何度も何度も刺されて、より重症化したのかもしれません。
NO GOLF NO LIFE
ゴルファーとしての誕生日を迎えるたびに、ゴルフが出来る地球に生まれて、ゴルフが出来る国に生まれて、ゴルフが出来ている偶然にさり気なく感謝します。
そして、つくづく、ゴルフなしじゃ生きられない、と思ってしまうのです。
ゴルフなんて単なる球打ちの遊びに過ぎないのに、大袈裟だと笑う人もいます。僕自身、時々、どうしてこんなに苦労して、時間を使って、バカみたいだと絶望することがあります。しかし、そんな絶望の暗闇の中でも、希望の一筋の光は、ゴルフでなければダメなのです。他のものでは、代わりになれないのです。
ゴルファーとしての誕生日に、もう一つ考えることがあります。もしゴルフに出逢っていなければ、自分はどうなっていただろうか? ということです。
思春期にゴルフに出逢いましたが、その頃、くそ真面目な優等生だった僕は、この世の中に正義はあるのか? という青春にありがちな矛盾に苦悩していました。当時から、世の中は弱者に厳しく、権力者に甘い構造だということは、中学生でも理解できました。正義を貫けば、弱者になっていくようなジレンマを感じては、結局、勉強をして、良い学校に行って、権力に擦り寄って、自らが権力者にならなければ、何も変えられない、と考えていました。
方法はわかりませんが、ゴルフに出逢っていなければ、今頃は、適当な言い逃れを恥も外聞もなくしているようなお下劣な政治家になっていたかもしれません。初心を忘れて、自らの権力の維持に必死になっているのです。
大人になってから始めたゴルフを遊びだと馬鹿にしながら、処世術として利用しているのです。すべては、あくまでも、想像です。
想像すればするほど、早いタイミングで、ゴルフに出逢ってしまう人生ばかりが出てきてしまいます。まさに、NO GOLF NO LIFE です。
あの夏にゴルフに出逢っていなければ、交友関係も全く変わっているはずですし、進学する学校も違っていたと思います。変わらないのは家族ぐらいで、結婚も違う女性として、仕事も違っていたでしょう。そんな人生も、魅力があるなぁ、なんて欠片も思えないのです。もう一度、人生をやり直すとしても、あの夏にゴルフに出逢うことや、同じ人と結婚することなど、絶対に譲れないポイントがあります。
ゴルファー年齢43歳。
バカは死んでも治らない、ということを証明するような人生だとしても、一片の後悔もないことを誇りに思っています。ゴルフを愛し、ゴルフに愛されたとニヤニヤするのも、ゴルファーとしての誕生日の特権なのだと勝手に考えているのです。
そして、つくづく、ゴルフなしじゃ生きられない、と思ってしまうのです。
ゴルフなんて単なる球打ちの遊びに過ぎないのに、大袈裟だと笑う人もいます。僕自身、時々、どうしてこんなに苦労して、時間を使って、バカみたいだと絶望することがあります。しかし、そんな絶望の暗闇の中でも、希望の一筋の光は、ゴルフでなければダメなのです。他のものでは、代わりになれないのです。
ゴルファーとしての誕生日に、もう一つ考えることがあります。もしゴルフに出逢っていなければ、自分はどうなっていただろうか? ということです。
思春期にゴルフに出逢いましたが、その頃、くそ真面目な優等生だった僕は、この世の中に正義はあるのか? という青春にありがちな矛盾に苦悩していました。当時から、世の中は弱者に厳しく、権力者に甘い構造だということは、中学生でも理解できました。正義を貫けば、弱者になっていくようなジレンマを感じては、結局、勉強をして、良い学校に行って、権力に擦り寄って、自らが権力者にならなければ、何も変えられない、と考えていました。
方法はわかりませんが、ゴルフに出逢っていなければ、今頃は、適当な言い逃れを恥も外聞もなくしているようなお下劣な政治家になっていたかもしれません。初心を忘れて、自らの権力の維持に必死になっているのです。
大人になってから始めたゴルフを遊びだと馬鹿にしながら、処世術として利用しているのです。すべては、あくまでも、想像です。
想像すればするほど、早いタイミングで、ゴルフに出逢ってしまう人生ばかりが出てきてしまいます。まさに、NO GOLF NO LIFE です。
あの夏にゴルフに出逢っていなければ、交友関係も全く変わっているはずですし、進学する学校も違っていたと思います。変わらないのは家族ぐらいで、結婚も違う女性として、仕事も違っていたでしょう。そんな人生も、魅力があるなぁ、なんて欠片も思えないのです。もう一度、人生をやり直すとしても、あの夏にゴルフに出逢うことや、同じ人と結婚することなど、絶対に譲れないポイントがあります。
ゴルファー年齢43歳。
バカは死んでも治らない、ということを証明するような人生だとしても、一片の後悔もないことを誇りに思っています。ゴルフを愛し、ゴルフに愛されたとニヤニヤするのも、ゴルファーとしての誕生日の特権なのだと勝手に考えているのです。
【著者紹介】篠原嗣典
ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。
連載
ロマン派ゴルフ作家篠原の “今日も打打打坐”