打打打坐 第72回【グリーンの今昔物語】
打打打坐(ちょうちょうだざ)とは、打ちまくって瞑想の境地に入るという造語。コースで打たなければわからないと試打ラウンドだけで年間50ラウンド以上しているロマン派ゴルフ作家が、瞑想、妄想、迷走…… 徒然なるままにゴルフを想い、語るというお話。
配信日時:2021年9月3日 06時00分
太古のグリーンに思いを馳せて
「もう、グリーンには出たの?」
ゴルフを始めたばかりの中学生の頃、この質問を受けることがよくありました。
昭和50年代前半(1970年代後半)のオールドゴルファーの中には、少数ですが戦前からゴルフをしていたエリートゴルファーがいました。彼らが、少し気取って使う言葉の一つが、このグリーンでした。質問の意味は、コースデビューはしているのかい? ということだったのです。
文献などを辿っても、19世紀の途中までは、ゴルフをするフィールド、つまり、ゴルフコースのことを全てグリーンと言っていたのです。黎明期のゴルフ規則を見てみても、ホールから2クラブレングス以内で次のホールのティーショットをしなければならない、という項目があります。現在のようなグリーンという概念はなく、強いて書くと、グリーンとティーイングエリアは同じ場所だったことがわかるのです。
19世紀になって、いわゆる芝刈り機が発明されて、工業的な意味で芝生を管理するという作業がゴルフコースに導入されて、やっと、現在のグリーンに直結する概念が生まれます。
21世紀になって21年。コースのことをグリーンという洒落たオールドゴルファーは、絶滅してしまったようです。
ゴルフを始めたばかりの中学生の頃、この質問を受けることがよくありました。
昭和50年代前半(1970年代後半)のオールドゴルファーの中には、少数ですが戦前からゴルフをしていたエリートゴルファーがいました。彼らが、少し気取って使う言葉の一つが、このグリーンでした。質問の意味は、コースデビューはしているのかい? ということだったのです。
文献などを辿っても、19世紀の途中までは、ゴルフをするフィールド、つまり、ゴルフコースのことを全てグリーンと言っていたのです。黎明期のゴルフ規則を見てみても、ホールから2クラブレングス以内で次のホールのティーショットをしなければならない、という項目があります。現在のようなグリーンという概念はなく、強いて書くと、グリーンとティーイングエリアは同じ場所だったことがわかるのです。
19世紀になって、いわゆる芝刈り機が発明されて、工業的な意味で芝生を管理するという作業がゴルフコースに導入されて、やっと、現在のグリーンに直結する概念が生まれます。
21世紀になって21年。コースのことをグリーンという洒落たオールドゴルファーは、絶滅してしまったようです。
速さを競う時代は続く
グリーンは速ければ速いほど良い、という神話は、多くのゴルファーを魅了しています。
僕がコースデビューした頃は、この国のコースのグリーンは高麗芝が主流でした。ベントグリーンのほうが良い、とか、ワングリーンが正しい、とか、グリーン革命が起きるのは、1980年代からです。
1970年代までは、現在のグリーンのカラーと同じ程度のグリーンは珍しくありませんでした。僕はパッティングの最初のレッスンで、プロゴルファーからロングパットでは、少し膝を送り込んで、ボールにパンチを与えると教わりました。実際に、プロのトーナメントの画像が残っていますが、当時、そのようにしてパンチを加えているプロゴルファーはたくさんいたことがわかります。
グリーンはベントグリーンが増えていく中で、どんどん速くなっていきます。
20世紀までは、速さの基準が“刈高”でした。朝、『本日の刈高 4ミリ』とかいう感じで、キャディマスター室前に掲示されていたりしたのです。
ちなみに、刈高というのは、芝刈り機の設定のことで、地面から4ミリのところでカッターを回転させて、グリーンを刈っている、という意味です。
「なんだ、4ミリかぁ。今日のグリーンは重そうだね」
なんていうセリフを競って言いたいのも、ゴルファーあるあるです。
熟練のゴルファーは、わかっていましたが、刈高=グリーンスピードにはなっていなかったのです。同じ4ミリに刈ったグリーンでも、速いグリーンと遅いグリーンがありました。高麗グリーンは強い芝目があるケースがあります。順目だと転がりが良くなります。グリーンを改造してまで、順目で、かつ、傾斜も下っている範囲を大きくすることが流行りました。
現在でもいえるのですが、たった1ホールでも、コロコロといつまでも転がってくラインを打てば、その速さだけが強く記憶されて「このコースのグリーンは速すぎて、手に負えない」と言う人が多くなるのです。全体を管理するのは当たり前ですが、突出して速いグリーンを作って、自慢するような傾向が昭和の時代には当たり前だったような気がします。
ちなみに、当時のトーナメントの高速グリーンの表現で、多くのゴルファーの憧れだったのは「2.5ミリのダブルカット」というグリーンです。2.5ミリの刈高で、二度刈りしているという意味です。
この手の仕様のグリーンで、僕は何度もプレーをしたことがあります。現在のコースでは、少し速めのグリーンの速度で、いわゆる9.5フィートから10フィートぐらいで、特別に速いわけではありませんが、当時は、その速さに興奮したものでした。
人間の感覚は贅沢なものですから、慣れてしまうと速いという感じはしなくなります。「もっと速く」という欲求に、終わりはありません。
グリーンのメンテナンスの技術は、日進月歩で進化しています。現在、グリーンの速さはスティンプメーターという金属レールで転がしたボールが、どのくらい転がるかで計測した数値になっていて、フィートで表します。1方向ではなく、同じ場所で4方向から転がして平均値を取ります。
芝刈り機の刈高でいうと、遅いと嫌われた4ミリぐらいが多いようです。刈高ではなく、グリーンの表面の凹凸を減らして、滑らかにすることが、現代の速いグリーンを作る方程式になっているのです。
僕がコースデビューした頃は、この国のコースのグリーンは高麗芝が主流でした。ベントグリーンのほうが良い、とか、ワングリーンが正しい、とか、グリーン革命が起きるのは、1980年代からです。
1970年代までは、現在のグリーンのカラーと同じ程度のグリーンは珍しくありませんでした。僕はパッティングの最初のレッスンで、プロゴルファーからロングパットでは、少し膝を送り込んで、ボールにパンチを与えると教わりました。実際に、プロのトーナメントの画像が残っていますが、当時、そのようにしてパンチを加えているプロゴルファーはたくさんいたことがわかります。
グリーンはベントグリーンが増えていく中で、どんどん速くなっていきます。
20世紀までは、速さの基準が“刈高”でした。朝、『本日の刈高 4ミリ』とかいう感じで、キャディマスター室前に掲示されていたりしたのです。
ちなみに、刈高というのは、芝刈り機の設定のことで、地面から4ミリのところでカッターを回転させて、グリーンを刈っている、という意味です。
「なんだ、4ミリかぁ。今日のグリーンは重そうだね」
なんていうセリフを競って言いたいのも、ゴルファーあるあるです。
熟練のゴルファーは、わかっていましたが、刈高=グリーンスピードにはなっていなかったのです。同じ4ミリに刈ったグリーンでも、速いグリーンと遅いグリーンがありました。高麗グリーンは強い芝目があるケースがあります。順目だと転がりが良くなります。グリーンを改造してまで、順目で、かつ、傾斜も下っている範囲を大きくすることが流行りました。
現在でもいえるのですが、たった1ホールでも、コロコロといつまでも転がってくラインを打てば、その速さだけが強く記憶されて「このコースのグリーンは速すぎて、手に負えない」と言う人が多くなるのです。全体を管理するのは当たり前ですが、突出して速いグリーンを作って、自慢するような傾向が昭和の時代には当たり前だったような気がします。
ちなみに、当時のトーナメントの高速グリーンの表現で、多くのゴルファーの憧れだったのは「2.5ミリのダブルカット」というグリーンです。2.5ミリの刈高で、二度刈りしているという意味です。
この手の仕様のグリーンで、僕は何度もプレーをしたことがあります。現在のコースでは、少し速めのグリーンの速度で、いわゆる9.5フィートから10フィートぐらいで、特別に速いわけではありませんが、当時は、その速さに興奮したものでした。
人間の感覚は贅沢なものですから、慣れてしまうと速いという感じはしなくなります。「もっと速く」という欲求に、終わりはありません。
グリーンのメンテナンスの技術は、日進月歩で進化しています。現在、グリーンの速さはスティンプメーターという金属レールで転がしたボールが、どのくらい転がるかで計測した数値になっていて、フィートで表します。1方向ではなく、同じ場所で4方向から転がして平均値を取ります。
芝刈り機の刈高でいうと、遅いと嫌われた4ミリぐらいが多いようです。刈高ではなく、グリーンの表面の凹凸を減らして、滑らかにすることが、現代の速いグリーンを作る方程式になっているのです。
グリーンを制するものがゴルフを制す
グリーンを知れば知るほど、転がりが遅いことに文句を言わなくなるのがゴルファーの特徴です。
グリーンは生き物ですから、全く同じコンディションで365日ゴルファーを迎えるわけにはいかないのです。例えば、ベント系のグリーンであれば、夏場の高温多湿が苦手ですので、夏バテして元気がなくなります。そういうときには、ストレスを減らして、光合成を促す意味で、刈高を上げて、葉の面積を多くします。転がりは悪くなるので、遅いグリーンになるのです。
夏場に無理をして、ハゲてしまえば、修復するのに1年では済みません。長い目で見れば、そういう色々なメンテナンスを経て、最高のコンディションでゴルファーを迎える日数を1日でも多くしようと、日々、努力をしているのです。
この20年で、グリーンは2割ぐらい速くなったという話をすると、そんなことはない、と否定するオールドゴルファーがいるのですが、少しずつ変化したので、わからなくなっているだけなのです。それを裏付ける誰にでもわかる証拠があります。パターです。
この20年でパターは、どんどん進化して、新しいスタンダードが、いくつか生まれつつあります。色々な理論が生まれて、それを具現化した新製品が市場に認められるという歴史は繰り返されていますが、昔に比べて変わった部分を考察すれば、速いグリーンで使いやすいように開発されていることがわかります。一番明確なのは、パターの重さです。現在のパターは、どれも重いのです。重いほうが速いグリーンにアジャストしやすいことは、科学的にも証明されています。
諸説ありますが、歴史に残っていない初期のゴルフは、現在のパットパットゴルフのような転がすゲームだったと考えられています。近代ゴルフになっていく課程で、ゴルフは、ゲームとしての面白さが増す飛距離や空中戦などの要素を次々に取り込んできました。しかし、ストロークを競うという根幹をゴルフは捨てることなく、現在まで守り通しています。
最も1打の重みを感じるのが、グリーン上です。例えば、200ヤードという途方もない差をつけられても、追い着いたり、追い越したりできるのがパッティングの醍醐味だからです。
狙い通りに打てるという技術を極めても、ライン読みが未熟では、実力を活かせません。グリーンを知ることは、ライン読みのスキルの向上に直結します。積極的に、グリーンの勉強はするべきなのです。
グリーンを制するものはゴルフを制す。太古の昔から、変わらない真理をスルーすれば、未来の道を進めないのです。
グリーンは生き物ですから、全く同じコンディションで365日ゴルファーを迎えるわけにはいかないのです。例えば、ベント系のグリーンであれば、夏場の高温多湿が苦手ですので、夏バテして元気がなくなります。そういうときには、ストレスを減らして、光合成を促す意味で、刈高を上げて、葉の面積を多くします。転がりは悪くなるので、遅いグリーンになるのです。
夏場に無理をして、ハゲてしまえば、修復するのに1年では済みません。長い目で見れば、そういう色々なメンテナンスを経て、最高のコンディションでゴルファーを迎える日数を1日でも多くしようと、日々、努力をしているのです。
この20年で、グリーンは2割ぐらい速くなったという話をすると、そんなことはない、と否定するオールドゴルファーがいるのですが、少しずつ変化したので、わからなくなっているだけなのです。それを裏付ける誰にでもわかる証拠があります。パターです。
この20年でパターは、どんどん進化して、新しいスタンダードが、いくつか生まれつつあります。色々な理論が生まれて、それを具現化した新製品が市場に認められるという歴史は繰り返されていますが、昔に比べて変わった部分を考察すれば、速いグリーンで使いやすいように開発されていることがわかります。一番明確なのは、パターの重さです。現在のパターは、どれも重いのです。重いほうが速いグリーンにアジャストしやすいことは、科学的にも証明されています。
諸説ありますが、歴史に残っていない初期のゴルフは、現在のパットパットゴルフのような転がすゲームだったと考えられています。近代ゴルフになっていく課程で、ゴルフは、ゲームとしての面白さが増す飛距離や空中戦などの要素を次々に取り込んできました。しかし、ストロークを競うという根幹をゴルフは捨てることなく、現在まで守り通しています。
最も1打の重みを感じるのが、グリーン上です。例えば、200ヤードという途方もない差をつけられても、追い着いたり、追い越したりできるのがパッティングの醍醐味だからです。
狙い通りに打てるという技術を極めても、ライン読みが未熟では、実力を活かせません。グリーンを知ることは、ライン読みのスキルの向上に直結します。積極的に、グリーンの勉強はするべきなのです。
グリーンを制するものはゴルフを制す。太古の昔から、変わらない真理をスルーすれば、未来の道を進めないのです。
【著者紹介】篠原嗣典
ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。
連載
ロマン派ゴルフ作家篠原の “今日も打打打坐”