第29回 3年前に『日本プロキャディー協会』発足! そもそも日本でプロキャディはいつ生まれた?【小田美奈のキャディ目線】
かつては専属キャディとして宮里藍を支え、現在は二児の母として家庭を支え、ハウスキャディとして一般ゴルファーも支える小田美奈さんが、ツアーの裏側やゴルフに役立つ情報をお届け!
配信日時:2022年6月23日 02時30分
試合中に、唯一選手への助言が許されているキャディ。中でも、それを生業としている「プロキャディ」 という存在は、今のゴルフツアーを支える欠かせない存在となっている。しかし、未だ職業としての認知度は低い。そこで、3年前に認知度の向上と職場環境改善などを目指し、プロキャディ有志によって発足した「日本プロキャディー協会」。宮里藍の元専属キャディである小田美奈さんが、日本でプロキャディが生まれた当時を振り返る。
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全米シニアOPに出場する田村尚之のキャディは、“ホリエモン”こと堀江貴文氏【写真】
19年10月、日本プロキャディー協会が発足しました。協会の代表を務めるのは、キャディ歴26年の森本真祐さん。「シンさん」と皆から慕われる先輩キャディです。 私がシンさんに出会ったのは、1997年のこと。まだ、私が学生のアルバイトとしてツアーに関わっていた頃のことでした。
・日本人のプロキャディはいつ生まれたのか?
サイモンメモで有名なサイモン・クラーク氏を筆頭とした、数名のオーストラリアキャディが日本に来始めたのが1990年代中頃。そして、日本人初のプロキャディである今井哲男さんがキャディを始めたのが96年のことです。私がプロキャディという仕事を意識し始めたのが1998年。その当時、プロキャディとして活動していた日本人は、今井さんとシンさん、協会の副代表を務めるノリさん(清水重憲キャディ)など数名しかいませんでしたし、当時はまだコース以外でも選手と行動を共にしているキャディがほとんどでした。
朝、ホテルを出るときから、夕食を終えて解散になるまでほぼ選手と一緒。移動費や宿泊費といった経費は選手持ちで、日給をもらう形が主流でした。
そんな中、選手とはコースで関わるだけ、ラウンド後の練習が終われば解散という、今ではよく見られる形をとっていたのは、海外からきたキャディと、日本では伝説といわれるプロキャディの草分け的存在、今井さんぐらいではなかったかと思います。
当時、キャディは選手と行動することが当たり前であったため、キャディ用の駐車券は用意されていないことがほとんど。荷物を入れておくロッカーもないといった状況がよくありました。
その後、プロキャディという存在が徐々に増えるにつれて、そういった状況を少しでも改善するために動き出したのが、まさに日本プロキャディー協会を立ち上げた人たち。90年代に、数少ない日本人プロキャディとして活動していたシンさんやノリさんといった、昭和40年代後半世代の方々でした。
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全米シニアOPに出場する田村尚之のキャディは、“ホリエモン”こと堀江貴文氏【写真】
19年10月、日本プロキャディー協会が発足しました。協会の代表を務めるのは、キャディ歴26年の森本真祐さん。「シンさん」と皆から慕われる先輩キャディです。 私がシンさんに出会ったのは、1997年のこと。まだ、私が学生のアルバイトとしてツアーに関わっていた頃のことでした。
・日本人のプロキャディはいつ生まれたのか?
サイモンメモで有名なサイモン・クラーク氏を筆頭とした、数名のオーストラリアキャディが日本に来始めたのが1990年代中頃。そして、日本人初のプロキャディである今井哲男さんがキャディを始めたのが96年のことです。私がプロキャディという仕事を意識し始めたのが1998年。その当時、プロキャディとして活動していた日本人は、今井さんとシンさん、協会の副代表を務めるノリさん(清水重憲キャディ)など数名しかいませんでしたし、当時はまだコース以外でも選手と行動を共にしているキャディがほとんどでした。
朝、ホテルを出るときから、夕食を終えて解散になるまでほぼ選手と一緒。移動費や宿泊費といった経費は選手持ちで、日給をもらう形が主流でした。
そんな中、選手とはコースで関わるだけ、ラウンド後の練習が終われば解散という、今ではよく見られる形をとっていたのは、海外からきたキャディと、日本では伝説といわれるプロキャディの草分け的存在、今井さんぐらいではなかったかと思います。
当時、キャディは選手と行動することが当たり前であったため、キャディ用の駐車券は用意されていないことがほとんど。荷物を入れておくロッカーもないといった状況がよくありました。
その後、プロキャディという存在が徐々に増えるにつれて、そういった状況を少しでも改善するために動き出したのが、まさに日本プロキャディー協会を立ち上げた人たち。90年代に、数少ない日本人プロキャディとして活動していたシンさんやノリさんといった、昭和40年代後半世代の方々でした。
・日本プロキャディー協会とは?
現在、日本プロキャディ協会に登録しているキャディは、男女シニア全ツアーを合わせて49名。ツアーだけでなく、イベントなどにも積極的に参加することにより、プロキャディという存在を広く知ってもらうこと。そして、プロキャディの育成、質向上のための勉強会といったイベントを開催しています。スポンサー企業を募るなどして、プロキャディを職業として確立し、日本ゴルフ界の発展に貢献することを目指しているそうです。
日本プロキャディー協会のホームページでは、『マッチリスト』と称して、その週にどのキャディがどのプロについているかを紹介しています。プロキャディといっても、そのキャディの仕方はそれぞれ。個性的でありながら、陰となりプロを支えるプロキャディという存在に、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。
■小田美奈/おだみな 元プロキャディ。大学のサークルでゴルフを覚え、トーナメント運営のアルバイトからプロキャディに転身。男子、女子両ツアーで活動し、宮里藍のデビューからアメリカ本格参戦まで専属キャディを務めた。これまでに宮里藍で9勝、今井克宗で2勝の計11勝をサポート。同じプロキャディの小田亨さんと結婚し、現在は二児の母をしながら、近所のゴルフ場でハウスキャディとしてアルバイト中。