連載
PICK UP
あれから1年。日本一のドラコン王が大きくなった
取材・文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト) 写真/山上忠
配信日時:2022年7月5日 01時30分
希望に溢れる日本のドラコン王、豊永智大プロに初めて会ったのは、昨年のちょうど今ごろだった。
かつてツアープロを目指して挫折した豊永プロは、やがてロングドライブの魅力に憑りつかれ、ついに日本一のドラコン王へ。
「次は世界の舞台に立ち、ギャラリーを沸かせたい」
日本の海から世界の大海原へ漕ぎ出そうとしていた豊永プロは、夢と希望を膨らませ、目を輝かせていた。あれから1年が経過した今年6月。再会した豊永プロは、元々大柄な身体がさらに一回り大きくなり、その表情からは確固とした意思や自信が溢れ出し、以前よりずっとプロらしくなっていた。
しかし、「どんな1年だったか?」と問いかけると、彼は堂々たる姿とは正反対に「悔しい1年でした」と答えた。謙虚な返答だったからこそ、豊永プロがより一層、大きく感じられた。
かつてツアープロを目指して挫折した豊永プロは、やがてロングドライブの魅力に憑りつかれ、ついに日本一のドラコン王へ。
「次は世界の舞台に立ち、ギャラリーを沸かせたい」
日本の海から世界の大海原へ漕ぎ出そうとしていた豊永プロは、夢と希望を膨らませ、目を輝かせていた。あれから1年が経過した今年6月。再会した豊永プロは、元々大柄な身体がさらに一回り大きくなり、その表情からは確固とした意思や自信が溢れ出し、以前よりずっとプロらしくなっていた。
しかし、「どんな1年だったか?」と問いかけると、彼は堂々たる姿とは正反対に「悔しい1年でした」と答えた。謙虚な返答だったからこそ、豊永プロがより一層、大きく感じられた。
【悔しさを糧に「次こそは世界だ!」】
豊永プロの歩みをざっと振り返ると、長崎県壱岐市出身、国体出場を経験した両親のDNAを受け継いだ彼は、中学3年からゴルフを始め、ツアープロを目指して奈良県のグランテージゴルフ倶楽部で研修生になった。しかし、研修生生活6年目にアプローチ・イップスを発症。それでも、それから4年も食い下がったが、10年目にツアープロへの夢を断念した。
それからはサラリーマン・インストラクターとして働きながら、「振れば飛ぶ」と自負していた自身の能力を試したいと思い、ロングドライブの大会に挑み始めた。そんなある日、大会会場で出会ったIT系企業ライトカフェの柴田剛人副社長からサポートのオファーを得る幸運に預かった。
以後、同社の社員として働きながら、国内外のロングドライブ大会に挑戦。2019年に日本一に輝いた。
同年、米テキサス州で開かれたWLD世界大会では日本人初の予選通過を果たした。だが、ベスト32進出をかけたプレーオフでは55ヤード幅のグリッドを一度も捉えられず、全球ファウルで敗退。その悔しさを噛み締めながら、「次こそは世界の舞台で上に行きたい」と彼は目を輝かせていた。
それからはサラリーマン・インストラクターとして働きながら、「振れば飛ぶ」と自負していた自身の能力を試したいと思い、ロングドライブの大会に挑み始めた。そんなある日、大会会場で出会ったIT系企業ライトカフェの柴田剛人副社長からサポートのオファーを得る幸運に預かった。
以後、同社の社員として働きながら、国内外のロングドライブ大会に挑戦。2019年に日本一に輝いた。
同年、米テキサス州で開かれたWLD世界大会では日本人初の予選通過を果たした。だが、ベスト32進出をかけたプレーオフでは55ヤード幅のグリッドを一度も捉えられず、全球ファウルで敗退。その悔しさを噛み締めながら、「次こそは世界の舞台で上に行きたい」と彼は目を輝かせていた。
【戦うための準備、「ギア」と「肉体」】
あれから1年。再会した豊永プロは、またしても「悔しい」という言葉を開口一番、口にした。しかし、1年前と今とでは、悔しさの意味も受け止め方も、すっかり変わっている様子だ。振り返れば、1年前の豊永プロは、感情が先に立ち、漠然と悔しがっていたように思う。
しかし今は、何がどう悔しくて、その悔しさを晴らすために自分が何をすべきかに気付いている。そして、課題にしっかり取り組み、手ごたえを得て、それが自信につながっていることを、しっかり認識している様子だ。
昨夏、世界を目指しているつもりの自分が日本大会に挑んだら「ベスト8にも残れず、情けなさと悔しさでいっぱいになりました」。自分には戦うための準備ができていなかったことに気付いた豊永プロは、まず戦うためのギアの見直しに取り組んだそうだ。
「日本大会のときは、ドライバーのロフトやシャフトに迷いがあるまま出てしまったんです。周囲から勧められたとか、他の選手が使っているからとか、そういう理由で自分も使っていたし、“ドラコン専用”を使わなきゃと思い込んでいた。でも、あるときシャフトを一般ゴルフ用に変えてみたら、むしろ飛距離が伸びて、大会でも一人だけ380ヤードを記録した。ギアは自分なりの選び方でいいし、そのほうがいいと気付いたら、すごくほっとして、そこから先はショットが安定したんです」
ギアの見直しの次は体づくりに取り組んだ。生来の恵まれた体格と若さは、いずれ限界を迎えることに、ようやく気付いたと豊永プロは明かした。
「あるときウォーミングアップ無しで打って、体に違和感を覚え、怖くなりました。今年で35歳。ケガをしない体を作らなければと痛感し、ライトカフェのグループ会社であるライトカフェスタジオが運営しているローメルのトレーナーの指示の下でコンディショニングに取り組み始めました」
一般的には、飛ばすためには体幹やビッグマッスルをひたすら鍛えるべきと考えられている。だが、ボディメイクのプロである2人の女性トレーナーは、足の指先から体をほぐしていくことで腰を保護するといったトレーニングを教え、「肉より魚、そして野菜をたくさん食べましょう。水を1日最大で12リットル飲み、細胞に水を含ませることが筋肉量を増やし、血流を促す」と教えている。
昨秋から今春にかけて「体重は変わらずに筋肉量が増え、ヘッドスピードも初速もアップしました。その結果、飛距離は15ヤードぐらい伸びました」
しかし今は、何がどう悔しくて、その悔しさを晴らすために自分が何をすべきかに気付いている。そして、課題にしっかり取り組み、手ごたえを得て、それが自信につながっていることを、しっかり認識している様子だ。
昨夏、世界を目指しているつもりの自分が日本大会に挑んだら「ベスト8にも残れず、情けなさと悔しさでいっぱいになりました」。自分には戦うための準備ができていなかったことに気付いた豊永プロは、まず戦うためのギアの見直しに取り組んだそうだ。
「日本大会のときは、ドライバーのロフトやシャフトに迷いがあるまま出てしまったんです。周囲から勧められたとか、他の選手が使っているからとか、そういう理由で自分も使っていたし、“ドラコン専用”を使わなきゃと思い込んでいた。でも、あるときシャフトを一般ゴルフ用に変えてみたら、むしろ飛距離が伸びて、大会でも一人だけ380ヤードを記録した。ギアは自分なりの選び方でいいし、そのほうがいいと気付いたら、すごくほっとして、そこから先はショットが安定したんです」
ギアの見直しの次は体づくりに取り組んだ。生来の恵まれた体格と若さは、いずれ限界を迎えることに、ようやく気付いたと豊永プロは明かした。
「あるときウォーミングアップ無しで打って、体に違和感を覚え、怖くなりました。今年で35歳。ケガをしない体を作らなければと痛感し、ライトカフェのグループ会社であるライトカフェスタジオが運営しているローメルのトレーナーの指示の下でコンディショニングに取り組み始めました」
一般的には、飛ばすためには体幹やビッグマッスルをひたすら鍛えるべきと考えられている。だが、ボディメイクのプロである2人の女性トレーナーは、足の指先から体をほぐしていくことで腰を保護するといったトレーニングを教え、「肉より魚、そして野菜をたくさん食べましょう。水を1日最大で12リットル飲み、細胞に水を含ませることが筋肉量を増やし、血流を促す」と教えている。
昨秋から今春にかけて「体重は変わらずに筋肉量が増え、ヘッドスピードも初速もアップしました。その結果、飛距離は15ヤードぐらい伸びました」
次ページ
ドラコンはメンタル面がモノを言うPICK UP