アスリート、エリート、エンジョイ、アベレージ… ゴルファーは勝手にクラス分けされることをどう思う?
世の中には様々な区分けランク分けなどがありますが、ゴルファーもご多分に漏れず、様々なシーンですでに区分けされています。
配信日時:2023年9月18日 21時31分
昭和40年代に「国民生活に関する世論調査」で、自身の生活の程度を聞く質問に、8割以上の国民が“中”を選択し、“上”と“下”は1割に満たないという結果から『1億総中流』という言葉で、国民の意識を表すようになりました。
江戸時代から続いた階級制度から、約100年かけて民衆が脱したという分析もありますが、誰でも一所懸命に頑張れば、中流階級になり、上流階級にすらなれるという夢が叶うのが昭和だったのかもしれません。何ともいい時代でした。ちなみに、10年前の2013年の同じ調査統計でも、“中”という回答は9割を超えていました。理由は、世の中は不景気かもしれないが周囲を見渡せば自分はまだマシだと思うから、というのが圧倒的多数だったそうです。
2023年、貧富の格差は決定的に広がり、1割の富裕層と8割の貧困層という分析もありますが、8割の中で比較して自分はまだマシだと夢を見続けている国民だらけなんて、出来が悪いSF小説みたいでちょっと怖いです。それに、知らない間に区分けされて、「あなたはこの層ですよ」って言われてるみたいで何だか嫌ですね。
さて、ゴルフというサンクチュアリに逃げ込めばそんな怖い現実も区別もない、と思いたいのですが…。ゴルファーも、一部の富裕層とそうでない多くの人たちという形に区分けされ、来場するゴルフ場も違っているのが現実。その他の様々なシーンでもすでにゴルファーは区分けされています。
例えば用具選び。ボールのパッケージの裏側などを見ると、適応するヘッドスピードがわかるようになっています。ヘッドスピード35m/sから45m/sというような感じです。自分のヘッドスピードに合わせて、ボールだけではなくクラブなども選ぶのは、この国のゴルファーにとって当たり前のことになっていますが、世界のゴルフシーンを見渡すと、ヘッドスピードを基準にしているのは日本とその影響下にある国だけなのだそう。
欧米ではボールの初速の計測は盛んですが、自分のヘッドスピードは知らないのが普通のようです。ヘッドスピードが速くとも、もしくは遅くとも、飛距離に直結しません。スイートスポットに当たったときと、当たらなかったときに、ボールスピードが変わってしまうので、ヘッドスピードの数字を基準にしないというのが理由です。
国産のゴルフメーカーは、ヘッドスピードで対象ゴルファーを明確にします。日本市場を重く見ている欧米のメーカーであれば、同じようにヘッドスピードを参考にデータを出す例もありますが、速度の数値は一切出さないというメーカーもあります。
このときに使われるのが、エリートゴルファーとか、エンジョイゴルファーというクラス分けです。もっと詳細に分けるケースもありますが、エリートは競技に出て成績を残そうとしているタイプのゴルファーで、エンジョイは、楽しむことを優先しているタイプのゴルファー。最近のクラブは、すべてその2タイプに分類できるという考え方もあり、ゴルファーも知らないうちにクラス分けされているわけです。
日本では、ヘッドスピード45m/s以上のパワフルなゴルファーをアスリートゴルファーと分類することもあります。ハードヒットできるだけでなく、競技などにも出場するニュアンスが含まれる特別な分類。
ゴルフショップでは、ヘッドスピードは誤魔化せない数字で判断する明確さがありますが、新しいクラス分けならタイプ別で、曖昧でもあるので上手に融合させて利用しているそうです。
でも、ボールやクラブを選ぶユーザーからすれば、勝手にクラス分けされたりヘッドスピードで分類されて、「あなたにはコレは無理だからこっちを使った方がいい」なんて決めつけられるより、色々と試打をして夢も一緒に買いたいと考える人も多いようです。(もちろん、合わない用具を購入しないための目安となるアドバイスは聞きたいですが、決めるのはあくまでもゴルファー自身です)
ゴルフは誕生以来、最も多様化しつつある時代を迎えています。ゴルフコースも、プレー代、エリア、来場者の雰囲気など、自分に合うタイプを選べるようになってきました。これはゴルフ用具も同様。エンジョイゴルファーでも、たいしてスコアが良くなくても、別に道具にこだわったっていいんです。
上級者、中級者、初級者というクラス分けはもはや時代遅れ。エンジョイとかエリート、アスリートとかも余計なお世話。自分の好きなものを使って、夢を見ても誰にも迷惑はかかりません。思い通りに行かない現実を忘れ、コース選びや用具選びぐらいは自由に楽しみましょう。「どうせ俺はエンジョイ派だし」なんて区分けされた狭い範囲に自らを縛る必要などないのです。
(取材/文・篠原嗣典)