坂田信弘氏が永眠 京都大学→自衛隊→プロゴルファー→作家→指導者と、早足で駆け抜けた多才すぎる人生
ゴルフ漫画『風の大地』の原作者であり、自ら創設した『坂田塾』で数多くのプロゴルファーを育てた坂田信弘プロが永眠した。
配信日時:2024年7月25日 08時49分
平成から令和のゴルフ界に大きな影響を与えた坂田信弘プロが、7月22日0時33分に永眠した。
「1993年8月、坂田塾熊本校を開塾した。当時、坂田塾を快く思わない人は多かった。理解がなかった。ゴルフにかかわるもの、何もかもが無料というのが反発を招いた。「いい商売思いついたな。一枚かませてくれ」と、いってくる人がいた。みんな、プロゴルファーだった。その後、札幌、福岡、東海、神戸、船橋と開塾したが、ボランティアと分かった途端、彼らは背を向けた」
そんな書き出しで『坂田信弘のラウンド進化論』(週刊パーゴルフ連載)の最終回は始まる。まだ誰ひとりとして、本格的なジュニアゴルフ塾など始めていなかったころの話だ。坂田さんは私財を投じ、協力者たちから援助を受け、95人のプロテスト合格者を育てた。そのうちの13人がシード権を取得し、2人が賞金女王を獲得している。
1984年にゴルフ雑誌やスポーツ新聞で執筆活動を始め、多くの著作を残してきた。ゴルフ漫画『風の大地』を知らぬゴルファーはいないだろう。坂田さんが書く物語には人としてのあり方、多くの人生訓がメッセージとして盛り込まれていた。
スイングレッスンにおいても『ジャイロスイング』など、その後に定番化された新たな理論を打ち出した。プロゴルファーが感覚で行っていることを、言葉に置き換えさせたら右に出る者はいなかった。感覚的な難しい動きを、誰よりも分かりやすく読者に伝えていた。
そして毎年、どんなに忙しくても『マスターズ』と『全英オープン』には足を運んでいた。選手のほんの小さな変化を見逃さず、ゲームの流れを的確に推測した。スタート前の練習では、その日どの選手がバーディを連発してスコアを伸ばすかを見事なまでに見抜いた。「球の高さを見るんじゃ。いつもどおりの高さを安定して打てている者は、上がってくる」と、言っていたのが忘れられない。
1947年10月11日生まれ。熊本県出身。京都大学文学部を中退し、1969年に自衛隊体育学校に入隊。71年に陸上自衛隊を任期満了で退職し、プロゴルファーを目指した。鹿沼カントリー倶楽部(栃木県)で研修生となり、75年にプロテストに合格。ツアープロ生活の傍ら、84年から執筆活動。そして93年に坂田ジュニアゴルフ塾を開塾。2008年には大手前大学ゴルフ部監督に就任し、たった2年で女子チームを全国女子大学ゴルフ対抗戦優勝にまで導き、亡くなる直前まで総監督として部員の指導にあたっていた。
ツアーが開幕すると、毎週末、「いまスコアはどうなっとる?」と電話がかかってきた。一日に何度も。トーナメントに出ている坂田塾出身者、教え子のスコアと順位を確認するためだ。プロになって卒業した塾生の「面倒はみない」と言っていたが、いつまでも見守り続けていた。
プロゴルファー、作家、そして指導者。多才すぎる人生を早足で駆け抜けた坂田さん。非凡な76年と9カ月の生涯は、あとに続く者への大きな愛情にあふれていた。だからこそ、その教えは坂田塾門下生の心に、そして多くの読者の心にしっかりと根付いている。
坂田さんの教えが、ゴルフ界に与えた影響は計り知れない。これからは坂田塾門下生たちが、その教えを次世代につないでゆくだろう。坂田信弘の教えは、永遠だ。合掌。(文/元週刊パーゴルフ編集長・河合昌浩)
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