リリア・ヴが復帰初戦V! “不屈の精神”はボート難民だった祖父譲り!?
今年4月に開催された「シェブロン選手権」、「初めてのメジャーディフェンディングを楽しみしていた」リリア・ヴ(米国)だったが、腰のケガを理由にスタート前に棄権。そこから療養のため試合から離れていたが、復帰戦となった先日の「マイヤーLPGAクラシック」で見事優勝。リリアの強さは、祖父譲りの精神力にあるようだ。
配信日時:2024年6月17日 09時30分
昨年米国女子ツアー初優勝を挙げると、勢いそのままにメジャーでも2勝を挙げたリリア・ヴ(米国)。今年は3月末から腰のケガで戦線を離脱していたが、復帰戦となった先日の「マイヤーLPGAクラシック」で、レクシー・トンプソン(米国)、グレース・キム(オーストラリア)との三つ巴のプレーオフを制した。リリアの強さの根源は、祖父から受け継いだ精神力にあるようだ。
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昨年4月の「シェブロン選手権」、8月の「AIG女子オープン」(全英)とメジャー2勝を飾ったリリア・ヴ。ツアー初優勝を挙げたのは昨年2月の「ホンダLPGAタイランド」だったから、わずか半年で世界ランキング1位まで上り詰めたことになる。その強い精神力は祖父から受け継いだものだった。
本名はリリア・カーツ・デュ・ヴ、南カリフォルニアのファウンテンバレーで生まれた米国人だが、そのルーツはベトナムから米国に渡った祖父に遡る。メジャー初優勝を挙げたリリアは、「祖父が居なければ、私はここに居ない」とその生い立ちを赤裸々に語った。
1982年のある日、祖父のディン・デュさんが「旅立つときが来た」とリリアの母、イボンヌさんとその兄弟に伝えた。一家が暮らしていたベトナムはカンボジアとの戦地。そこから逃げ出すために祖父が必死に作り続けたボートが完成した日だった。定員は50名、「でも、あなたの祖父は80人を超える村の人、全員を乗せた」と母は幼少のリリアに語り続けたという。
2日間海をさまよった後、米国海軍の船に救助され無事に米国に難民として受け入れられた。南カリフォルニアを安住の地としたヴ一家。リリアがゴルフクラブを手にしたのは7歳。父と兄が通う練習場へと同行したのがきっかけだった。父のダグラスさんは地元のゴルフコースのティーチングプロ、今もリリアのスイングコーチを務めている。
ジュニアで活躍した後、UCLAへ進学し活躍。2018年には世界アマチュアランク1位にも就いた。鳴り物入りでプロ転向し、同年12月に米国女子ツアーのQシリーズを27位で通過。19年はルーキーイヤーだったが「自身にプレッシャーをかけ過ぎた」と9大会で予選通過は1試合だけ。20年、コロナ禍が始まったときに最愛の祖父を亡くすと、一度はプロを諦めることも考えたという。
そんなとき、母のイボンヌさんは「絶対に諦めてはいけない。それが祖父の教え」とリリアを奮い立たせた。「技術的なことは何も変えていない。ただ昔のように目の前の一打だけを考えてプレーをしたらプレッシャーから解放された」とリリア。「私のような難民一家でも世界のトップに立てることを伝えたい」と精神力の強さを武器に戦い続けている。(文・武川玲子=米国在住)
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