“グリーンの妖精”ローラ・ボー 昭和のお茶の間を彩った彼女を覚えていますか?
“グリーンの妖精”として人気を博したローラ・ボー(米国)を覚えている人も多いのではないだろうか?
配信日時:2024年7月22日 08時43分
日本が高度成長期の終わりを迎えるころ“グリーンの妖精”と呼ばれた美女がゴルフ界を席巻していた。昭和の日本の居間を“ローラ・ボー”のカレンダーが彩り、アーノルド・パーマー(米国)と夫婦役でテレビCMに登場するなど、文字通りお茶の間の人気者となった。そんな光景を覚えている人も多いだろう。
1955年、フロリダ州で生まれたローラ・ボーは、2歳で父ヘイルの指導によりクラブを握った。両親の離婚でカリフォルニア州へ移住し、14歳で「ロングビーチ・ジュニア選手権」を制すると公共コースのフリーパスを手に入れてゴルフに熱中した。
71年には、16歳で「全米女子アマ選手権」を制し、当時の最年少記録を更新。ボーの美貌、抜群のスタイルやファッションセンスは米国で大注目を集め、米ゴルフダイジェスト誌の「モースト・ビューティフル・ゴルファー」に選出された。
72年、17歳だったボーは、18歳にならないと米国女子ツアーに参戦できないことから大学進学かプロ転向かを迷った。しかし、日本のツアーなら17歳でも出場可能で、スポンサー契約もできると聞き、プロ転向を果たす。ボーが日本ツアーの第1回「ワールドレディス」に登場すると、ファンが殺到し「自分でもとても驚いた」というほどの人気ぶりだった。
18歳を迎えると米国女子ツアーに参戦。デビュー戦を2位で終えルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、プロとしては1勝も挙げられなかった。
華やかなスター選手として注目される裏側でアルコール依存症や、最初に結婚した夫からのDVに苦しめられ、1年で離婚。ボーの収入に頼るツアープロと2度目の結婚をし、またも離婚したが、夫が収入を得るようになってから再婚した。子供には恵まれ4女3男と7人の母に。中でも88年に誕生した長男、エリックは現在米国男子ツアーで戦うエリック・コールだ。
69歳になった今も「週に4~5回はカートでプレーする」日々を送っている。3年前には「全米シニア女子オープン」の出場を目指したこともあった。「やっぱりゴルフを愛していると分かった。今は家族とプレーすることが本当に楽しい」と幸せな時間を過ごしている。(文・武川玲子=米国在住)
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