新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、男子ツアーでは5月末までの試合が中止や延期となっている。今週行われるはずだったのは、民間トーナメントとして日本最古の歴史を持つ「中日クラウンズ」。昨年で60回の大台に乗った大会について、その歴史を振り返ってみよう。
19年、ジャンボ&石川遼組を見るためにギャラリーがミッチリ【写真】
第1回大会が行われたのは1960年。当時は「中部日本招待全日本アマ・プロ・ゴルフ選手権大会」の名称でスタートした。初代王者は、日本プロゴルフ殿堂入りを果たしている中村寅吉。翌年の第2回大会から、優勝の副賞としてトヨタ車が提供されるようになる。今でこそ副賞として車が贈られる試合は多いが、日本のゴルフ史上ではこれが初めてのことだった。昨年優勝した宮本勝昌は、真っ白のクラウン車を獲得。男子ツアーとしては新元号の「令和」初優勝者に輝いた。
現在の「中日クラウンズ」に名称が変わったのは66年の第7回大会から。中日クラウンズの歴史を振り返る中で切り離せないのは、ジャンボこと尾崎将司と青木功のレジェンド2人だ。青木は第10回大会(69年)、ジャンボは第12回大会(71年)に初出場。ともに大会最多の5勝を誇っており、ジャンボは97年大会で、大会最年長の50歳3カ月で5度目の優勝を収めた。
そして、10年前の51回大会(2010年)では、中日クラウンズで世界的な記録が生まれる。石川遼が最終日に12個ものバーディを奪い「58」をマーク。当時の世界6大ツアー(米、欧、亜、豪、南ア、日本)の最少スコア記録を塗り替え、首位との6打差を逆転して優勝を飾った。
かつては「東洋のマスターズ」とも言われ、アーノルド・パーマー(米国)やゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)など海外のビッグネームも招待選手として参戦してきた日本のビッグトーナメント。今年は行うことができなかった61回大会に向け、今一度大会の歴史を振り返ってみてはいかがだろうか。
【歴代優勝者】
2019年:宮本勝昌
2018年:Y・E・ヤン
2017年:宮里優作
2016年:金庚泰
2015年:I・J・ジャン
2014年:金亨成
2013年:松村道央
2012年:I・J・ジャン
2011年:B・ジョーンズ
2010年:石川遼
2009年:平塚哲二
2008年:近藤智弘
2007年:宮瀬博文
2006年:片山晋呉
2005年:尾崎直道
2004年:片山晋呉
2003年:星野英正
2002年:J・ローズ
2001年:D・クラーク
2000年:田中秀道
1999年:今野康晴
1998年:D・ラブIII
1997年:尾崎将司
1996年:尾崎将司
1995年:尾崎将司
1994年:R・マッカイ
1993年:P・シニア
1992年:尾崎将司
1991年:S・バレステロス
1990年:須貝昇
1989年:G・ノーマン
1988年:S・シンプソン
1987年:尾崎将司
1986年:D・イシイ
1985年:海老原清治
1984年:S・シンプソン
1983年:陳志明
1982年:G・ホルバーグ
1981年:G・マーシュ
1980年:青木功
1979年:青木功
1978年:青木功
1977年:G・マーシュ
1976年:D・グラハム
1975年:青木功
1974年:村上隆
1973年:青木功
1972年:P・トムソン
1971年:呂良煥
1970年:安田春雄
1969年:P・トムソン
1968年:安田春雄
1967年:謝永郁
1966年:内田繁
1965年:橘田規
1964年:杉原輝雄
1963年:細石憲二
1962年:橘田規
1961年:石井朝夫
1960年:中村寅吉
19年、ジャンボ&石川遼組を見るためにギャラリーがミッチリ【写真】
第1回大会が行われたのは1960年。当時は「中部日本招待全日本アマ・プロ・ゴルフ選手権大会」の名称でスタートした。初代王者は、日本プロゴルフ殿堂入りを果たしている中村寅吉。翌年の第2回大会から、優勝の副賞としてトヨタ車が提供されるようになる。今でこそ副賞として車が贈られる試合は多いが、日本のゴルフ史上ではこれが初めてのことだった。昨年優勝した宮本勝昌は、真っ白のクラウン車を獲得。男子ツアーとしては新元号の「令和」初優勝者に輝いた。
現在の「中日クラウンズ」に名称が変わったのは66年の第7回大会から。中日クラウンズの歴史を振り返る中で切り離せないのは、ジャンボこと尾崎将司と青木功のレジェンド2人だ。青木は第10回大会(69年)、ジャンボは第12回大会(71年)に初出場。ともに大会最多の5勝を誇っており、ジャンボは97年大会で、大会最年長の50歳3カ月で5度目の優勝を収めた。
そして、10年前の51回大会(2010年)では、中日クラウンズで世界的な記録が生まれる。石川遼が最終日に12個ものバーディを奪い「58」をマーク。当時の世界6大ツアー(米、欧、亜、豪、南ア、日本)の最少スコア記録を塗り替え、首位との6打差を逆転して優勝を飾った。
かつては「東洋のマスターズ」とも言われ、アーノルド・パーマー(米国)やゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)など海外のビッグネームも招待選手として参戦してきた日本のビッグトーナメント。今年は行うことができなかった61回大会に向け、今一度大会の歴史を振り返ってみてはいかがだろうか。
【歴代優勝者】
2019年:宮本勝昌
2018年:Y・E・ヤン
2017年:宮里優作
2016年:金庚泰
2015年:I・J・ジャン
2014年:金亨成
2013年:松村道央
2012年:I・J・ジャン
2011年:B・ジョーンズ
2010年:石川遼
2009年:平塚哲二
2008年:近藤智弘
2007年:宮瀬博文
2006年:片山晋呉
2005年:尾崎直道
2004年:片山晋呉
2003年:星野英正
2002年:J・ローズ
2001年:D・クラーク
2000年:田中秀道
1999年:今野康晴
1998年:D・ラブIII
1997年:尾崎将司
1996年:尾崎将司
1995年:尾崎将司
1994年:R・マッカイ
1993年:P・シニア
1992年:尾崎将司
1991年:S・バレステロス
1990年:須貝昇
1989年:G・ノーマン
1988年:S・シンプソン
1987年:尾崎将司
1986年:D・イシイ
1985年:海老原清治
1984年:S・シンプソン
1983年:陳志明
1982年:G・ホルバーグ
1981年:G・マーシュ
1980年:青木功
1979年:青木功
1978年:青木功
1977年:G・マーシュ
1976年:D・グラハム
1975年:青木功
1974年:村上隆
1973年:青木功
1972年:P・トムソン
1971年:呂良煥
1970年:安田春雄
1969年:P・トムソン
1968年:安田春雄
1967年:謝永郁
1966年:内田繁
1965年:橘田規
1964年:杉原輝雄
1963年:細石憲二
1962年:橘田規
1961年:石井朝夫
1960年:中村寅吉