この試合のウイニングショットといえば、71ホール目の17番ホール、バンカーからのチップインバーディでしょう。左足下がりのライで距離がある難しいバンカーでした。寄せることすら難しい状況で、しかも優勝がかかる状況で入れてしまった。しかし、うちのカメラマンはそのミラクルショットを撮り逃していたのです。
カメラマンの目線で考えると、最終日は36ホールの長丁場で、第4ラウンドに入ったときは順位による組み替えがなく、スコア上位の選手をすべて追うのは不可能な状況。ましてや人気選手の宮里優作プロの初優勝がかかっていたので、そっちを外したら編集部から後で文句を言われるのは目に見えていました。井上透さんが大興奮していた時点で、カメラマンに電話をして「15歳のアマチュアを追って」と指示できたのは自分だけでしたので、当時かなり後悔しました。撮れている媒体もあったので余計に悔しかったですね。
ともあれ、そこから取材スケジュールも一変。今まで取材することがなかった「関東アマ」、「全国高等学校ゴルフ選手権 東京地区予選」、「日本ジュニア」など、遼くんを追っかけて、アマチュアの試合にも取材に行くようになりました。そしてマンシング以降、遼くんはスコアが良い日も悪い日も毎日、報道陣の前に立って取材を受けています。それは本当にすごいことです。他にそんな選手いませんから。
あれから13年。遼くんは28歳になりました。彼が活躍する姿をまだまだ見たいと思うと同時に、彼の人気と“クラッチショット”をしのぐ次代の“救世主”が現れるのを期待しています。(文・下村耕平)
カメラマンの目線で考えると、最終日は36ホールの長丁場で、第4ラウンドに入ったときは順位による組み替えがなく、スコア上位の選手をすべて追うのは不可能な状況。ましてや人気選手の宮里優作プロの初優勝がかかっていたので、そっちを外したら編集部から後で文句を言われるのは目に見えていました。井上透さんが大興奮していた時点で、カメラマンに電話をして「15歳のアマチュアを追って」と指示できたのは自分だけでしたので、当時かなり後悔しました。撮れている媒体もあったので余計に悔しかったですね。
ともあれ、そこから取材スケジュールも一変。今まで取材することがなかった「関東アマ」、「全国高等学校ゴルフ選手権 東京地区予選」、「日本ジュニア」など、遼くんを追っかけて、アマチュアの試合にも取材に行くようになりました。そしてマンシング以降、遼くんはスコアが良い日も悪い日も毎日、報道陣の前に立って取材を受けています。それは本当にすごいことです。他にそんな選手いませんから。
あれから13年。遼くんは28歳になりました。彼が活躍する姿をまだまだ見たいと思うと同時に、彼の人気と“クラッチショット”をしのぐ次代の“救世主”が現れるのを期待しています。(文・下村耕平)