そして、2004年からは米ツアーや四大メジャーを撮影する機会が増えていきます。タイミング的に丸山選手の米ツアー優勝を撮影することはできませんでしたが、2004年の「全米オープン」で4位タイに入ったときは現場にいました。しかし、それよりも2007年頃の苦しい時代のほうが強く印象に残っています。米ツアーの賞金シードを失った後、2009年からは日本ツアーに本格復帰。苦しむ姿を見ていたからこそ、同年の最終戦、「日本シリーズ」は忘れられない優勝シーンとなりました。
特に記憶に残っているのは、最終日9番ホールのチップインバーディです。実はその日は、石川遼選手の最年少賞金王(18歳)が決まった日でもあり、前半は石川選手を追っていたのですが、このバーディで「丸山選手を撮らなくては」と気持ちが切り替わったのです。すると、丸山選手は後半も勢いを増して、15番ホールから3連続バーディを決めてガッツポーズ。もう撮影していてドキドキが止まりませんでした。
最後はキム・キョンテ選手とのプレーオフになり、4ホール目で丸山選手が優勝を決めました。この頃にはドキドキも落ち着いて、最後の瞬間は最高の場所で撮影できたと思っています。優勝インタビューで見せた男泣きも思い出の写真ですが、優勝を決めた渾身のガッツポーズは、長い苦しみを乗り越えた最高の瞬間でした。
特に記憶に残っているのは、最終日9番ホールのチップインバーディです。実はその日は、石川遼選手の最年少賞金王(18歳)が決まった日でもあり、前半は石川選手を追っていたのですが、このバーディで「丸山選手を撮らなくては」と気持ちが切り替わったのです。すると、丸山選手は後半も勢いを増して、15番ホールから3連続バーディを決めてガッツポーズ。もう撮影していてドキドキが止まりませんでした。
最後はキム・キョンテ選手とのプレーオフになり、4ホール目で丸山選手が優勝を決めました。この頃にはドキドキも落ち着いて、最後の瞬間は最高の場所で撮影できたと思っています。優勝インタビューで見せた男泣きも思い出の写真ですが、優勝を決めた渾身のガッツポーズは、長い苦しみを乗り越えた最高の瞬間でした。