「ジュニアの試合は観客を入れるものではないし、クラブハウスに人が集まる理由もない。トイレはしょうがないとして、どうにかクラブハウス内に入らないやり方で、導線も含めて考えていきました」と、これまで一緒に大会を運営してきたチーム一丸となって、安全に開催するための解決策を見いだしていった。
最初は1人で走り出した石川だったが、その“思い”に「全国高等学校ゴルフ選手権」を主催する日本高等学校ゴルフ連盟と、「日本ジュニア」を主催する日本ゴルフ協会が賛同し、企業の協賛も得られた。そんななか「コースが一番ネックだった」と石川は振り返る。「実は霞ヶ関カンツリー倶楽部さんにも相談させていただいたんです」。
霞ヶ関カンツリー倶楽部は、東京五輪の会場で、毎年「日本ジュニア」が行われる会場でもある。高校球児は甲子園、高校ゴルファーは霞ヶ関を目指すのだ。「霞ヶ関カンツリー倶楽部さんでは、やはり両方の声はありました。今年は日本ジュニア中止の決定をしているので、この試合をやるのはどうなのかと。一方でやってほしいという声もありました」。霞ヶ関カンツリー倶楽部での開催は実現しなかったが、「どこをどう当たっていこうかというときに、横浜カントリークラブさんに手を挙げていただいたんです」。
横浜カントリークラブは、14年から2年の歳月と約29億円をかけて西コースの大規模改修を行っている。設計家のビル・クーアと、マスターズ覇者でパットの名手、ベン・クレンショーのコンビが監修した。18年には日本オープンが行われ、そのとき石川は「すごく難しいですね。そして、すごく良いコースです。グリーン周りの作りはアメリカ。ベン・クレンショーですから」と印象を語っている。
つまり、横浜カントリークラブは「世界で戦えるゴルファーの育成には、質の高いコースとセッティングで試合をすることが重要」という石川の考えにピッタリだった。「横浜カントリークラブさんで開催させてもらえると決まってからは、ピンポジションも2日間、自分が決めた」。おかげで、ジュニアたちは普段体験することのない難しいピンポジションや、短く刈り込まれたグリーン周り、複雑なグリーンの傾斜に手を焼くことになる。その証拠に男子ではアンダーパーは4人、女子では優勝した1人しかいなかった。
競技を終えたジュニアの中には何かを感じたのか、「今から練習場でボールを打ってもいいですか?」という選手もいたくらい。これこそが石川の狙いなのかもしれない。
最初は1人で走り出した石川だったが、その“思い”に「全国高等学校ゴルフ選手権」を主催する日本高等学校ゴルフ連盟と、「日本ジュニア」を主催する日本ゴルフ協会が賛同し、企業の協賛も得られた。そんななか「コースが一番ネックだった」と石川は振り返る。「実は霞ヶ関カンツリー倶楽部さんにも相談させていただいたんです」。
霞ヶ関カンツリー倶楽部は、東京五輪の会場で、毎年「日本ジュニア」が行われる会場でもある。高校球児は甲子園、高校ゴルファーは霞ヶ関を目指すのだ。「霞ヶ関カンツリー倶楽部さんでは、やはり両方の声はありました。今年は日本ジュニア中止の決定をしているので、この試合をやるのはどうなのかと。一方でやってほしいという声もありました」。霞ヶ関カンツリー倶楽部での開催は実現しなかったが、「どこをどう当たっていこうかというときに、横浜カントリークラブさんに手を挙げていただいたんです」。
横浜カントリークラブは、14年から2年の歳月と約29億円をかけて西コースの大規模改修を行っている。設計家のビル・クーアと、マスターズ覇者でパットの名手、ベン・クレンショーのコンビが監修した。18年には日本オープンが行われ、そのとき石川は「すごく難しいですね。そして、すごく良いコースです。グリーン周りの作りはアメリカ。ベン・クレンショーですから」と印象を語っている。
つまり、横浜カントリークラブは「世界で戦えるゴルファーの育成には、質の高いコースとセッティングで試合をすることが重要」という石川の考えにピッタリだった。「横浜カントリークラブさんで開催させてもらえると決まってからは、ピンポジションも2日間、自分が決めた」。おかげで、ジュニアたちは普段体験することのない難しいピンポジションや、短く刈り込まれたグリーン周り、複雑なグリーンの傾斜に手を焼くことになる。その証拠に男子ではアンダーパーは4人、女子では優勝した1人しかいなかった。
競技を終えたジュニアの中には何かを感じたのか、「今から練習場でボールを打ってもいいですか?」という選手もいたくらい。これこそが石川の狙いなのかもしれない。