芝目がなく、素直に傾斜通りに切れるグリーンで入らなければ、読みやストロークが悪かった、とあれこれ考えることになるが、コーライグリーンでは「あまり気にせず、フラットな気持ちで毎ホール上がっていた」と開き直れたのだ。
実際、大槻は「毎週、毎週、ずっとショットの調子が良かったんですけど、パターが全然入らなくて、なかなか思うようにスコアが作れていなかった。きょうは入れたいところはけっこう入ってくれた」と“自分は悪くない”作戦が成功した。
もう1つ印象的だったのは、最終ホールをチップインバーディで締めて、2桁アンダーに乗せたのに、あまり大槻のテンションが高くなかったこと。ツアーで10アンダーが記録されたのは、パー72で行われた19年の「マイナビABCチャンピオンシップ」第3ラウンドで小平智がマークした「62」以来2年ぶり。「60」が記録されたのは、同じくパー72で行われた18年の「ダンロップ・スリクソン福島オープン」第3ラウンドで香妻陣一朗がたたき出して以来、3年ぶりのことだ。
大槻自身にとってもツアーでの18ホールの最少ストローク「64」を大幅に更新したことになる。ノリスもまた、自身の最少ストローク「61」を1打更新した。ツアー史上最多アンダーは、14年に「TOSHIN GOLF TOURNAMENT IN Central」でI・H・ホ(韓国)がマークした「-28」だが、その大記録更新も期待できるロケットスタートだ。
「最後はティショットが荒れてしまったのが残念だった」と、ビッグスコアを出しながら淡々と語った大槻だったが、そうでなければ、いったいどんなスコアが出たのだろうか。大槻のゴルフを同組で脳裏に焼き付けたアマチュアは、帰り道にきっと興奮気味で10アンダーの話をしていることだろう。(文・下村耕平)
実際、大槻は「毎週、毎週、ずっとショットの調子が良かったんですけど、パターが全然入らなくて、なかなか思うようにスコアが作れていなかった。きょうは入れたいところはけっこう入ってくれた」と“自分は悪くない”作戦が成功した。
もう1つ印象的だったのは、最終ホールをチップインバーディで締めて、2桁アンダーに乗せたのに、あまり大槻のテンションが高くなかったこと。ツアーで10アンダーが記録されたのは、パー72で行われた19年の「マイナビABCチャンピオンシップ」第3ラウンドで小平智がマークした「62」以来2年ぶり。「60」が記録されたのは、同じくパー72で行われた18年の「ダンロップ・スリクソン福島オープン」第3ラウンドで香妻陣一朗がたたき出して以来、3年ぶりのことだ。
大槻自身にとってもツアーでの18ホールの最少ストローク「64」を大幅に更新したことになる。ノリスもまた、自身の最少ストローク「61」を1打更新した。ツアー史上最多アンダーは、14年に「TOSHIN GOLF TOURNAMENT IN Central」でI・H・ホ(韓国)がマークした「-28」だが、その大記録更新も期待できるロケットスタートだ。
「最後はティショットが荒れてしまったのが残念だった」と、ビッグスコアを出しながら淡々と語った大槻だったが、そうでなければ、いったいどんなスコアが出たのだろうか。大槻のゴルフを同組で脳裏に焼き付けたアマチュアは、帰り道にきっと興奮気味で10アンダーの話をしていることだろう。(文・下村耕平)