【レジェンド部門】(敬称略)
■山本増二郎(やまもと・ますじろう)
戦後、関東プロゴルフ協会を復活させプロゴルフ界の復興に奔走。1969年には日本プロゴルフ協会の理事長(現会長職)に就任し、約5年間に渡って舵取りを担った。
■古賀春之輔(こが・はるのすけ)
戦後関西ゴルフ界の発展に努め、関東と関西に分かれていたプロゴルフ協会の統一に尽力。1957年の日本プロゴルフ協会設立にひと役買った。
■安田春雄(やすだ・はるお)
当時世界的スターだったパーマー、ニクラウス、プレーヤーのビック3になぞらえて、杉本英世、河野高明とともに“和製ビック3”と呼ばれた。歯に衣着せぬ言動とこぶしを突き上げるポーズが人気を呼び「ガッツ安田」というニックネームでファンに親しまれた。
【プレーヤー部門】
■尾崎直道
兄・将司(ジャンボ)、健夫(ジェット)の末っ子である直道はジョーの愛称で親しまれ、93年からは米ツアーにも挑戦して8年間シード権を獲得。99年には日本プロ、日本オープンを制して日本タイトル4冠を達成、賞金王にもなった。ツアー通算32勝を挙げている。
■塩谷育代
82年にプロテストに合格すると、プロ7年目となる89年にツアー初優勝。92年には賞金女王を獲得している。98年に第1子を出産し、翌年ツアー復帰。その後も優勝を重ね、通算20勝を挙げて2011年にツアーから引退した。現在はテレビ解説やジュニアの指導などで活躍している。
■山本増二郎(やまもと・ますじろう)
戦後、関東プロゴルフ協会を復活させプロゴルフ界の復興に奔走。1969年には日本プロゴルフ協会の理事長(現会長職)に就任し、約5年間に渡って舵取りを担った。
■古賀春之輔(こが・はるのすけ)
戦後関西ゴルフ界の発展に努め、関東と関西に分かれていたプロゴルフ協会の統一に尽力。1957年の日本プロゴルフ協会設立にひと役買った。
■安田春雄(やすだ・はるお)
当時世界的スターだったパーマー、ニクラウス、プレーヤーのビック3になぞらえて、杉本英世、河野高明とともに“和製ビック3”と呼ばれた。歯に衣着せぬ言動とこぶしを突き上げるポーズが人気を呼び「ガッツ安田」というニックネームでファンに親しまれた。
【プレーヤー部門】
■尾崎直道
兄・将司(ジャンボ)、健夫(ジェット)の末っ子である直道はジョーの愛称で親しまれ、93年からは米ツアーにも挑戦して8年間シード権を獲得。99年には日本プロ、日本オープンを制して日本タイトル4冠を達成、賞金王にもなった。ツアー通算32勝を挙げている。
■塩谷育代
82年にプロテストに合格すると、プロ7年目となる89年にツアー初優勝。92年には賞金女王を獲得している。98年に第1子を出産し、翌年ツアー復帰。その後も優勝を重ね、通算20勝を挙げて2011年にツアーから引退した。現在はテレビ解説やジュニアの指導などで活躍している。