身長が165センチと今でもツアープロの中では小柄な部類の藤本は、高校時代も大きい方ではなかった。高校時代はそれをカバーするかのようにジムで筋力トレーニングを行うことが日課になっていた。その甲斐あってか、78キロあった体重を65キロにまで落とし、体型もポッチャリ型からガッチリ型へと変わった。
■最も叱った生徒だがゴルフに関しては真面目キャラ
高校1年で出場した「全国高校ゴルフ選手権」の個人戦では、1学年上の永野竜太郎や同学年の薗田俊介ら身長180センチ級の大型選手を退け、2位に4打差の優勝を飾っている。男子としては初の個人タイトルを同校にもたらしたが、女子の部でも東北高の森桜子も優勝を飾りアベックV。同大会で同じ高校の男女が同時優勝を果たしたのは、後にも先にもこの年だけだ。
性格的にはヤンチャで授業中に邪魔をすることも珍しくなく、川崎氏をして最も叱った生徒だという。しかし、ことゴルフに関しては真面目キャラを貫き通した。「毎朝私が寮まで迎えに行き、練習場まで送っていました。授業が始まる前に練習をし、授業を受けて、13時から17、18時ぐらいまでまた打ち込み。その後にまたジムへ通う毎日でしたね」(川崎氏)。体づくりだけでなくクラブに関する知識も豊富。気に入ったものしか使わないなど、ゴルフに関してはすべての面に情熱を注いでいたという。
東北高といえば、宮里藍を筆頭に女子の強さが際立っていたが、男子も全国大会で上位に顔を出すことは少なくなかった。その中でも藤本のゴルフの上手さは際立っており、川崎氏にとって最も印象に残った生徒だった。東北大学進学後は、2学年後輩の松山英樹も藤本を見習うことが多かったという。昨季は不調から賞金シードを手放したが“真面目キャラ”で復活への糸口をつかむだろう。
■藤本佳則
ふじもと・よしのり/1989年10月25日生まれ、奈良県出身。身長165センチ、体重68キロ。祖父の影響で7歳からゴルフを始める。中学3年時には全国大会で2位に入り、東北高校に進学。1年時に「全国高校選手権」個人の部で優勝など早くから頭角を現す。高校卒業後は東北福祉大学に進学。松山英樹の2学年上でエースとして活躍。12年にツアーデビューし、5戦目でプロ初優勝。15年は未勝利ながら9864万円余りを稼いで賞金ランキング4位。未勝利選手の国内獲得賞金として歴代最高金額だった。通天閣の幸福の神様、ビリケンさんに似ていることから、“ビリケン”の愛称で親しまれる。ツアー通算2勝。
■最も叱った生徒だがゴルフに関しては真面目キャラ
高校1年で出場した「全国高校ゴルフ選手権」の個人戦では、1学年上の永野竜太郎や同学年の薗田俊介ら身長180センチ級の大型選手を退け、2位に4打差の優勝を飾っている。男子としては初の個人タイトルを同校にもたらしたが、女子の部でも東北高の森桜子も優勝を飾りアベックV。同大会で同じ高校の男女が同時優勝を果たしたのは、後にも先にもこの年だけだ。
性格的にはヤンチャで授業中に邪魔をすることも珍しくなく、川崎氏をして最も叱った生徒だという。しかし、ことゴルフに関しては真面目キャラを貫き通した。「毎朝私が寮まで迎えに行き、練習場まで送っていました。授業が始まる前に練習をし、授業を受けて、13時から17、18時ぐらいまでまた打ち込み。その後にまたジムへ通う毎日でしたね」(川崎氏)。体づくりだけでなくクラブに関する知識も豊富。気に入ったものしか使わないなど、ゴルフに関してはすべての面に情熱を注いでいたという。
東北高といえば、宮里藍を筆頭に女子の強さが際立っていたが、男子も全国大会で上位に顔を出すことは少なくなかった。その中でも藤本のゴルフの上手さは際立っており、川崎氏にとって最も印象に残った生徒だった。東北大学進学後は、2学年後輩の松山英樹も藤本を見習うことが多かったという。昨季は不調から賞金シードを手放したが“真面目キャラ”で復活への糸口をつかむだろう。
■藤本佳則
ふじもと・よしのり/1989年10月25日生まれ、奈良県出身。身長165センチ、体重68キロ。祖父の影響で7歳からゴルフを始める。中学3年時には全国大会で2位に入り、東北高校に進学。1年時に「全国高校選手権」個人の部で優勝など早くから頭角を現す。高校卒業後は東北福祉大学に進学。松山英樹の2学年上でエースとして活躍。12年にツアーデビューし、5戦目でプロ初優勝。15年は未勝利ながら9864万円余りを稼いで賞金ランキング4位。未勝利選手の国内獲得賞金として歴代最高金額だった。通天閣の幸福の神様、ビリケンさんに似ていることから、“ビリケン”の愛称で親しまれる。ツアー通算2勝。