ボギーを回避する“大人のゴルフ”だった。一つの例が4番パー5だ。ティショットを左に曲げると、ピンまで残り200ヤード。グリーンが狙えないワケではない。「6番アイアンでドローを打てば狙えたのですが、グリーン右に池があって、池に向かって打ち出さないといけなかったのでリスクがある。ウェッジで刻みました」。2打目は刻んで、結果的にはパーだったが、無理に狙って池に落とせばダブルボギーの可能性もあっただけに危険を回避した。その他のホールでもリスクを避けてボギーを防いだ。
姉である河本結、コーチの目澤秀憲らとオフに合宿を行い、考えが変わった。「昨年の反省をしたときに、気持ちでスコアを崩しているのが大きかった。気持ちが前のめりになりすぎと。例えば優勝争いで攻めすぎたり…」。アマチュア時代は少しでも狙えるチャンスがあれば危険をかえりみずにチャレンジしていたが、スコア的に痛みを感じることが多かったという。
それが色濃く出たのが、首位と1打差の4位タイで最終日を迎えた昨年のパナソニックオープンだった。河本は終盤に2つのダブルボギーをたたくなど「78」と崩れて、20位タイで終戦。優勝したのは最終日に「68」をマークした日本体育大学の1学年後輩で、同組でラウンドした中島啓太だった。「啓太はいいプレーをしていました。僕より大人でしたね」と振り返る。
爆発的なスコアを出せるポテンシャルを持ちながら、大人なゴルフを身に着ける河本。「どんなコンディションでも今週は毎日3アンダーで回るのが目標です。大人な感じでいけば、絶対いけるくらい練習はしてきたので」と自信を見せた。(文・小高拓)
【プロとしてツアーデビュー戦優勝者】
・重信秀人(1979年 中四国オープン)
・渋谷稔也(1984年 九州オープン)
姉である河本結、コーチの目澤秀憲らとオフに合宿を行い、考えが変わった。「昨年の反省をしたときに、気持ちでスコアを崩しているのが大きかった。気持ちが前のめりになりすぎと。例えば優勝争いで攻めすぎたり…」。アマチュア時代は少しでも狙えるチャンスがあれば危険をかえりみずにチャレンジしていたが、スコア的に痛みを感じることが多かったという。
それが色濃く出たのが、首位と1打差の4位タイで最終日を迎えた昨年のパナソニックオープンだった。河本は終盤に2つのダブルボギーをたたくなど「78」と崩れて、20位タイで終戦。優勝したのは最終日に「68」をマークした日本体育大学の1学年後輩で、同組でラウンドした中島啓太だった。「啓太はいいプレーをしていました。僕より大人でしたね」と振り返る。
爆発的なスコアを出せるポテンシャルを持ちながら、大人なゴルフを身に着ける河本。「どんなコンディションでも今週は毎日3アンダーで回るのが目標です。大人な感じでいけば、絶対いけるくらい練習はしてきたので」と自信を見せた。(文・小高拓)
【プロとしてツアーデビュー戦優勝者】
・重信秀人(1979年 中四国オープン)
・渋谷稔也(1984年 九州オープン)