水巻善典初優勝の記憶は、1989年関東オープン。第2ラウンドで2打のペナナルティを払いながら、青木功相手に1打差をつける堂々の優勝劇は、その後のゴルフ人生に大きな影響を与えるものとなる。
残暑厳しい8月末から9月初めの日高CC(埼玉県)。当時は同日程で各地区オープンが、いずれもツアー競技として開催されていた。その後、なくなってしまった関東オープンは、地区オープンの中でも、有力選手が出場する傾向にあった。
水巻は当時、ツアー未勝利で、まだシードも手にしたことがないプロ5年目で、31歳の誕生日を迎えたばかり。並のプロゴルファーなら喉から手が出るほど優勝が欲しい頃合いだ。4月に長男、賢人君も誕生していたが、本人は淡々とプレーを続けていた。「う〜ん。学生時代から試合よりもみんなでワイワイやってるのが楽しいタイプ。(シニア入りした)今でもそうだけど、勝ちたいという気持ちより、自分が(うまくプレーを)できないことがイヤと言う気持ちの方が強いから、それほど勝ちたい、とかじゃないんだよね」と、あっさりしたものだった。
この大会までに10試合に出場して予選落ちが5つ。トップ10入りはNST新潟オープンの9位タイ1回だけと、今一つの成績に甘んじていた。
初日、4アンダー68でプレーして西川哲、横山明仁と並ぶ首位発進。1打差で青木、鈴木弘一、福沢孝秋の3人が追う。
2日目。5つスコアを伸ばしてトータル9アンダー単独首位に立ったと思ったところで事件は起きた。NHKの中継を見たファンから「17番のバーディパットを打つときにボールが動いた」という連絡があったと知らされる。競技委員に言われてVTRを確認。「ボールをアップにして、動いてますよね?と言われた」と、2打罰(当時)を受け入れる。
一転、このホールはボギーとなってトータル7アンダー。それでも、横島由一、横山に2打差単独首位をキープした。さらに1打遅れて青木、須貝昇のベテランが追う。
3日目は2つスコアを落としてトータル5アンダー。首位の座を譲り渡した横山に3打差、横島には1打差で青木とともに追う展開で最終日を迎える。
首位の横山は3つのボギーが先行。8番、9番連続バーディで息を吹き返したかに見えたが、10番からなんと3連続ダブルボギーを叩いて優勝戦線から脱落してしまう。2位の横島も前半に2つスコアを落として後退。水巻は、3番でボギーが先行したが、6番バーディ、8番イーグル、9番バーディでトータル8アンダーの首位に躍り出る。6番、9番のバーディでじわじわ追い上げる青木が10番、11番連続バーディを獲ったときには逆転されるが、ここから一進一退の勝負となった。
12番から3連続ボギーの青木は6アンダーに一度、後退するが、15番バーディで復活。水巻に1打差で大詰めを迎える。先にプレーしている水巻が17番ボギーを叩いて1度、並んだが、青木の17番もボギーで再び1打差。リードして迎えた18番では、さすがの水巻も緊張した。「グリーンでファーストパットから手が動かない。50〜60センチのパーパットはもっと」と言いながらも、これを沈めてトータル7アンダーでホールアウトした。
「後ろから来る青木さんのアプローチを見てると、入りそうな気がするんだよね。ああいうときは」と笑うが、青木の18番はパー止まり。1打差で水巻の優勝が決まった。
初優勝がかかった試合で、2日目とはいえテレビ視聴者の指摘で2打罰が付くアクシデントがあれば、その後に引きずってもおかしくない。だが、そんなことはまったくなかった。
「それよりも、なんで(ボールが動いてるのに)気づかなかったのかな?と思って。たぶんパターのヘッドしか見てなかったんだろうなぁ、と思って。もちろん、ドキドキはしたけど、相手に対して、っていうことじゃない」と言い切った。優勝の喜びも、家族や周囲が喜んでくれることでより強く感じたという。
プレー以上に強く印象に残っているのは表彰式の一場面だ。優勝者として青木と並んでいるときにふと、目線が合う瞬間があった。そこで「ああ、同じ人間なんだ。こんな感じなんだな、と思ったのをすごく覚えてる。渡辺(司)さんとか、大町(昭義)とかと一緒にいたこともあって、縁あって合宿とかには(青木と)一緒に行ってたけど、(自分は)試合に出始めたばっかりだったし、横に並んで立つことなんてなかった。それまでは下から見上げてたんだな、って気が付いた。まぁ、それから俺の大口(ビッグマウス)が始まっちゃったんだけど」と笑う。
“世界のアオキ"に競り勝ったことで、この年賞金ランキング57位となって初めてのシード権も獲得した。以来、ツアー通算7勝。シニア入り後も第一線でプレーを続けている水巻。どんな相手にも臆することなく戦いを挑み、モノをいうことができる水巻の原点となった一戦でもあった。(文・小川淳子)
残暑厳しい8月末から9月初めの日高CC(埼玉県)。当時は同日程で各地区オープンが、いずれもツアー競技として開催されていた。その後、なくなってしまった関東オープンは、地区オープンの中でも、有力選手が出場する傾向にあった。
水巻は当時、ツアー未勝利で、まだシードも手にしたことがないプロ5年目で、31歳の誕生日を迎えたばかり。並のプロゴルファーなら喉から手が出るほど優勝が欲しい頃合いだ。4月に長男、賢人君も誕生していたが、本人は淡々とプレーを続けていた。「う〜ん。学生時代から試合よりもみんなでワイワイやってるのが楽しいタイプ。(シニア入りした)今でもそうだけど、勝ちたいという気持ちより、自分が(うまくプレーを)できないことがイヤと言う気持ちの方が強いから、それほど勝ちたい、とかじゃないんだよね」と、あっさりしたものだった。
この大会までに10試合に出場して予選落ちが5つ。トップ10入りはNST新潟オープンの9位タイ1回だけと、今一つの成績に甘んじていた。
初日、4アンダー68でプレーして西川哲、横山明仁と並ぶ首位発進。1打差で青木、鈴木弘一、福沢孝秋の3人が追う。
2日目。5つスコアを伸ばしてトータル9アンダー単独首位に立ったと思ったところで事件は起きた。NHKの中継を見たファンから「17番のバーディパットを打つときにボールが動いた」という連絡があったと知らされる。競技委員に言われてVTRを確認。「ボールをアップにして、動いてますよね?と言われた」と、2打罰(当時)を受け入れる。
一転、このホールはボギーとなってトータル7アンダー。それでも、横島由一、横山に2打差単独首位をキープした。さらに1打遅れて青木、須貝昇のベテランが追う。
3日目は2つスコアを落としてトータル5アンダー。首位の座を譲り渡した横山に3打差、横島には1打差で青木とともに追う展開で最終日を迎える。
首位の横山は3つのボギーが先行。8番、9番連続バーディで息を吹き返したかに見えたが、10番からなんと3連続ダブルボギーを叩いて優勝戦線から脱落してしまう。2位の横島も前半に2つスコアを落として後退。水巻は、3番でボギーが先行したが、6番バーディ、8番イーグル、9番バーディでトータル8アンダーの首位に躍り出る。6番、9番のバーディでじわじわ追い上げる青木が10番、11番連続バーディを獲ったときには逆転されるが、ここから一進一退の勝負となった。
12番から3連続ボギーの青木は6アンダーに一度、後退するが、15番バーディで復活。水巻に1打差で大詰めを迎える。先にプレーしている水巻が17番ボギーを叩いて1度、並んだが、青木の17番もボギーで再び1打差。リードして迎えた18番では、さすがの水巻も緊張した。「グリーンでファーストパットから手が動かない。50〜60センチのパーパットはもっと」と言いながらも、これを沈めてトータル7アンダーでホールアウトした。
「後ろから来る青木さんのアプローチを見てると、入りそうな気がするんだよね。ああいうときは」と笑うが、青木の18番はパー止まり。1打差で水巻の優勝が決まった。
初優勝がかかった試合で、2日目とはいえテレビ視聴者の指摘で2打罰が付くアクシデントがあれば、その後に引きずってもおかしくない。だが、そんなことはまったくなかった。
「それよりも、なんで(ボールが動いてるのに)気づかなかったのかな?と思って。たぶんパターのヘッドしか見てなかったんだろうなぁ、と思って。もちろん、ドキドキはしたけど、相手に対して、っていうことじゃない」と言い切った。優勝の喜びも、家族や周囲が喜んでくれることでより強く感じたという。
プレー以上に強く印象に残っているのは表彰式の一場面だ。優勝者として青木と並んでいるときにふと、目線が合う瞬間があった。そこで「ああ、同じ人間なんだ。こんな感じなんだな、と思ったのをすごく覚えてる。渡辺(司)さんとか、大町(昭義)とかと一緒にいたこともあって、縁あって合宿とかには(青木と)一緒に行ってたけど、(自分は)試合に出始めたばっかりだったし、横に並んで立つことなんてなかった。それまでは下から見上げてたんだな、って気が付いた。まぁ、それから俺の大口(ビッグマウス)が始まっちゃったんだけど」と笑う。
“世界のアオキ"に競り勝ったことで、この年賞金ランキング57位となって初めてのシード権も獲得した。以来、ツアー通算7勝。シニア入り後も第一線でプレーを続けている水巻。どんな相手にも臆することなく戦いを挑み、モノをいうことができる水巻の原点となった一戦でもあった。(文・小川淳子)