ツアー5勝目になかなか手が届かない。2000年のシーズン終盤、鈴木亨がそんな苦しい時間を乗り越えることができたのは、尾崎将司の猛追を振り切って優勝したカシオワールドオープンだった。まもなく開幕する第40回記念大会からさかのぼること21年。まだ、鹿児島県のいぶすきゴルフクラブ開聞コースが舞台だった頃の名勝負だ。
「あの試合はでき過ぎでしたね。自分の中に入れたんです」。感慨深げに、振り返る戦いは、最後の最後まで気の抜けないものだった。
初優勝の93年ジュンクラシック、94年日経カップ、96年ノベルKSBオープン。鈴木の最初の3勝はすべて、最終日に追い上げる逆転勝ちだった。通算4勝目となった1998年札幌とうきゅうオープンが、初めての逃げ切り優勝。さらなるステップアップを目指して、千葉県のゴルフコースに隣接する場所に居を構えた。よりよい練習環境を求めてのこと。ところが、次が勝てない。
当時のこんな言葉が残っている。「本気でゴルフをやめたい、と思った。そのくらい追い込まれていた」。1999年から2000年の間には2度、声をあげて泣いたことを打ち明けてもいる。プロゴルファーであり最大の理解者である妻、京子さんに隠れてのことだった。5月には34歳となり、当時のツアーにおいてももはや若手ではなく中堅に差しかかりかけていた。
苦しい日々から抜け出す転機は10月末に訪れた。『魔法のボール』に出会うことができたのだ。タイトリストから発売されたボール『PROプロV1』。飛んで止まる、とプロたちの間に瞬く間に広まった3ピースのソリッドボールを、フィリップモリス・チャンピオンシップから使い始めたのだ。効果はてきめん。飛距離が15〜20ヤードも伸びて、グリーン上ではピタリと止まる。その試合で4位になった。シーズン後半になって、初めてのトップ10入りだ。
2試合後の住友VISA太平洋マスターズでも4位。続くダンロップフェニックスは11位タイと、まずまずの調子で乗り込んだのがカシオワールドの20回記念大会だ。
『さつま富士』と呼ばれる開聞岳の麓に広がる雄大な景色の中で、2日目に5バーディ、ノーボギーでプレー。トータル9アンダー。飯合肇と並ぶ首位に浮上する。
3日目には出だしから3連続バーディで波に乗り、7つスコアを伸ばす。トータル16アンダーで、2位の桑原克典に3打差単独首位。さらに1打差遅れた3位には尾崎将司がどっかりと腰を据えるという展開だ。
90年代に5年連続賞金王に君臨した王者、ジャンボとの優勝争いになると、戦う前から威圧されてしまう選手も多い。だが、鈴木は初優勝からジャンボに打ち勝っていた。最終日に65とまくって優勝した93年のジュンクラシックの2位にジャンボと中嶋常幸がいた。
ジャンボと初めて一緒に回った時のことを、鈴木は鮮明に覚えている。初優勝の前週、全日空オープンでのことだった。ドキドキしている鈴木にアドバイスをくれたのは中嶋常幸だった。
AONと呼ばれ、ジャンボとはライバルだった中嶋だが、鈴木にとっては一緒に練習し、かわいがってくれる先輩だ。「ジャンボと回って『緊張するから見ないようにしよう』と思ったらもう負けなんだ。だからジャンボを見ないようにしちゃダメだ。そうじゃなくて、絶対にジャンボから視線を外さないようにしろ」。こう言われた鈴木は、ジャンボの足だけを見続けてプレーし、集中できたという。
最終日、ジャンボは1組前で回っていたが、プレーが見える場面は何度もある。強烈な追い上げは感じていた。
バーディ、ボギー、イーグルと派手なスタートを切ったジャンボは、フロントナインだけで4つスコアを伸ばす。鈴木も負けずに3バーディ。3打差だ。
バックナインでは、鈴木が5ホール連続パート忍耐を強いられる間に、ジャンボは2バーディ。13番を終わって差は1打まで縮まっていた。
張り詰める緊張感。先に動いたのは鈴木のスコアだった。15番で奥から3メートルを沈めてバーディ奪取。トータル20アンダーでジャンボとの差を2打に広げた。
しかし、相手は百戦錬磨。このままでは終われない。続く16番のパーパットを打つ前に、隣の17番から大歓声が聞こえた。パー3のティショットを、ジャンボがピタリとピンそばに寄せたのがわかった。これを聞いた鈴木は1.5メートルを外してしまう。ボギーだ。差は再び1打になった。
ジャンボが17番をイージーバーディとして、トータル19アンダーで首位に並んだ。「心臓がバクバクした」(鈴木)という中で打った17番のティショットは、ピン2メートルのバーディチャンス。「あとでテレビの映像を見たら、ぼくのティショットがかっこよくて」と振り返る1打だが、この時はただただ夢中だった。しっかりとしたストロークでこれをカップに沈め、再びジャンボに1打差をつけた。
しかし、ジャンボも最後まで攻めてくる。パー5の18番で4メートルに2オンし、イーグルトライ。惜しくも外れたが、トータル20アンダーで最終組を待っていた。
バーディを取らなければプレーオフにもつれ込むのは覚悟している。手前8メートルに2オンした鈴木は、祈るような気持ちでイーグルパットを打った。これがしっかりとOKの距離によってバーディ。1打差でジャンボを振り切る待望のツアー5勝目を、ガッツポーズで自ら祝福した。
「2位にジャンボさんの名前があることに価値がある」と、当時口にした鈴木だが、20年以上たってこうも話している。「隙のないプレーで追い上げられたけど、いい流れがあったと思います。僕は自分より強い人との(優勝争い)のほうが頑張れるのかな」。この後、さらに3勝を重ねて、現在はシニアツアーで活躍する鈴木の、粘り強さが際立ったジャンボとの優勝争いだった。(文・小川淳子)
「あの試合はでき過ぎでしたね。自分の中に入れたんです」。感慨深げに、振り返る戦いは、最後の最後まで気の抜けないものだった。
初優勝の93年ジュンクラシック、94年日経カップ、96年ノベルKSBオープン。鈴木の最初の3勝はすべて、最終日に追い上げる逆転勝ちだった。通算4勝目となった1998年札幌とうきゅうオープンが、初めての逃げ切り優勝。さらなるステップアップを目指して、千葉県のゴルフコースに隣接する場所に居を構えた。よりよい練習環境を求めてのこと。ところが、次が勝てない。
当時のこんな言葉が残っている。「本気でゴルフをやめたい、と思った。そのくらい追い込まれていた」。1999年から2000年の間には2度、声をあげて泣いたことを打ち明けてもいる。プロゴルファーであり最大の理解者である妻、京子さんに隠れてのことだった。5月には34歳となり、当時のツアーにおいてももはや若手ではなく中堅に差しかかりかけていた。
苦しい日々から抜け出す転機は10月末に訪れた。『魔法のボール』に出会うことができたのだ。タイトリストから発売されたボール『PROプロV1』。飛んで止まる、とプロたちの間に瞬く間に広まった3ピースのソリッドボールを、フィリップモリス・チャンピオンシップから使い始めたのだ。効果はてきめん。飛距離が15〜20ヤードも伸びて、グリーン上ではピタリと止まる。その試合で4位になった。シーズン後半になって、初めてのトップ10入りだ。
2試合後の住友VISA太平洋マスターズでも4位。続くダンロップフェニックスは11位タイと、まずまずの調子で乗り込んだのがカシオワールドの20回記念大会だ。
『さつま富士』と呼ばれる開聞岳の麓に広がる雄大な景色の中で、2日目に5バーディ、ノーボギーでプレー。トータル9アンダー。飯合肇と並ぶ首位に浮上する。
3日目には出だしから3連続バーディで波に乗り、7つスコアを伸ばす。トータル16アンダーで、2位の桑原克典に3打差単独首位。さらに1打差遅れた3位には尾崎将司がどっかりと腰を据えるという展開だ。
90年代に5年連続賞金王に君臨した王者、ジャンボとの優勝争いになると、戦う前から威圧されてしまう選手も多い。だが、鈴木は初優勝からジャンボに打ち勝っていた。最終日に65とまくって優勝した93年のジュンクラシックの2位にジャンボと中嶋常幸がいた。
ジャンボと初めて一緒に回った時のことを、鈴木は鮮明に覚えている。初優勝の前週、全日空オープンでのことだった。ドキドキしている鈴木にアドバイスをくれたのは中嶋常幸だった。
AONと呼ばれ、ジャンボとはライバルだった中嶋だが、鈴木にとっては一緒に練習し、かわいがってくれる先輩だ。「ジャンボと回って『緊張するから見ないようにしよう』と思ったらもう負けなんだ。だからジャンボを見ないようにしちゃダメだ。そうじゃなくて、絶対にジャンボから視線を外さないようにしろ」。こう言われた鈴木は、ジャンボの足だけを見続けてプレーし、集中できたという。
最終日、ジャンボは1組前で回っていたが、プレーが見える場面は何度もある。強烈な追い上げは感じていた。
バーディ、ボギー、イーグルと派手なスタートを切ったジャンボは、フロントナインだけで4つスコアを伸ばす。鈴木も負けずに3バーディ。3打差だ。
バックナインでは、鈴木が5ホール連続パート忍耐を強いられる間に、ジャンボは2バーディ。13番を終わって差は1打まで縮まっていた。
張り詰める緊張感。先に動いたのは鈴木のスコアだった。15番で奥から3メートルを沈めてバーディ奪取。トータル20アンダーでジャンボとの差を2打に広げた。
しかし、相手は百戦錬磨。このままでは終われない。続く16番のパーパットを打つ前に、隣の17番から大歓声が聞こえた。パー3のティショットを、ジャンボがピタリとピンそばに寄せたのがわかった。これを聞いた鈴木は1.5メートルを外してしまう。ボギーだ。差は再び1打になった。
ジャンボが17番をイージーバーディとして、トータル19アンダーで首位に並んだ。「心臓がバクバクした」(鈴木)という中で打った17番のティショットは、ピン2メートルのバーディチャンス。「あとでテレビの映像を見たら、ぼくのティショットがかっこよくて」と振り返る1打だが、この時はただただ夢中だった。しっかりとしたストロークでこれをカップに沈め、再びジャンボに1打差をつけた。
しかし、ジャンボも最後まで攻めてくる。パー5の18番で4メートルに2オンし、イーグルトライ。惜しくも外れたが、トータル20アンダーで最終組を待っていた。
バーディを取らなければプレーオフにもつれ込むのは覚悟している。手前8メートルに2オンした鈴木は、祈るような気持ちでイーグルパットを打った。これがしっかりとOKの距離によってバーディ。1打差でジャンボを振り切る待望のツアー5勝目を、ガッツポーズで自ら祝福した。
「2位にジャンボさんの名前があることに価値がある」と、当時口にした鈴木だが、20年以上たってこうも話している。「隙のないプレーで追い上げられたけど、いい流れがあったと思います。僕は自分より強い人との(優勝争い)のほうが頑張れるのかな」。この後、さらに3勝を重ねて、現在はシニアツアーで活躍する鈴木の、粘り強さが際立ったジャンボとの優勝争いだった。(文・小川淳子)