• カテゴリ別に見る
  • ギア
  • レッスン
  • ライフ
  • 漫画
  • ALBA TV TOP
  • 新着動画
  • マイナビネクストヒロインツアー
  • トッププロのレッスン
  • 話題のギア・ゴルフクラブ
  • 女子プロの素顔に迫る
  • バラエティ / 密着ドキュメント
  • ゴルフニュース / 業界情報
  • プロコーチのレッスン
  • 注目のネクストヒロイン
  • トーナメント中継
  • ゴルフ界のSNS
  • 雑誌出版
  • ショッピング
  • ゴルフ場予約
  • 連載
  • ゴルフ辞典
  • プレゼント
  • ALBA 公式SNS
  • facebook
  • X
  • instagram
  • LINE お友達登録
  • YouTube (ALBA TV)
  • 関連サイト
  • Regina-Web
  • マイナビネクストヒロイン公式
  • 掲載されている全てのコンテンツの無断での
    転載、転用、コピー等は禁じます。
    © ALBA Net

    ALBA Net  ゴルフ

    メルマガ登録
    注目!
    • 女子プロ写真館
    ツアー情報

    JGTOツアー

    国内男子

    ジャンボも振り切り、首位トミーとの7打差も逆転! スリムな男が青木功の手で宙を舞う【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2021年12月1日 23時00分

    • JGTO
    (写真提供:報知新聞社)
    (写真提供:報知新聞社)
    この記事の写真 1 枚を見る
    1989年12月4日。冬の木漏れ日を浴びながら、185センチ、65キロのスリムな体が2度、3度と宙に舞った。日本シリーズ優勝といえども、ここは球場ではなく、ゴルフ場。すり鉢形状の東京よみうりカントリークラブの名物ホール、18番パー3を取り巻く1万8407人の大ギャラリーから祝福を浴びながら、グリーンサイドで胴上げされていたのは31歳の大町昭義だった。

    胴上げをする顔触れの中には、この試合のテレビ中継を実況解説していた大町の師匠・青木功の姿もあった。「まさか青木さんに胴上げしてもらうとは。宙にも舞うような気持ちです」とジョークも冴えた。

    その青木からは、スタート前から千金のアドバイスを授けられていた。最終日はこの年もすでに7勝を挙げ2年連続賞金王を手中にしていたジャンボ尾崎と、豪州のベテラン、グラハム・マーシュとのラウンド。「ジャンボやマーシュに実力や実績でかなう訳ないんだし、お前は今年調子いいんだから、自分のゴルフでガンガン行くしかないんだ」。

    自分のゴルフ―。それはまさに大町自身が、自分の意志で飛び込んだ、米ツアー生活での経験により築き上げたものだった。3シーズン前の1986年春、大町は開幕戦の静岡オープンで大ベテランの杉原輝雄をプレーオフのすえ下し、プロ初優勝。その勢いのままに秋の米ツアーQTを39位でクリアして翌年からフル参戦に打って出た。

    1年目はシード権も確保する健闘を見せたが、翌88年は賞金ランク175位と低迷しシード落ち。帰国して国内で立て直す道を選んだが2年間留守にしていた代償は大きかった。「ズタボロになって帰って来て、シード権もないみじめな生活」を送っていた時、米ツアーを共に戦った中島常幸が所属先のミズノに掛け合ってくれ、推薦出場を果たしたミズノトーナメントで優勝。シーズン終盤のエリートトーナメント・日本シリーズの出場権も獲得したのだ。

    どん底から復活して、初出場となった日本シリーズの最終日18ホール。順位はトータル4アンダーの4位タイ。首位を行く中島常幸との差は7打もあり、一緒に回るジャンボもマーシュも、青木が言う通りはるかに格上のベテラン。大町は青木から受けた「自分のゴルフでガンガン行くしかない」というアドバイスに徹することを心に決めてスタートした。

    するとどうだ、スタートホールの1番、大町のショットはジャンボの到達地点にわずか10ヤードのところまで迫る。「いつもは30ヤードくらい置いて行かれるのに、今日は俺も当たってるな」と好調を確信した大町は、上りの残り135ヤードを9番アイアンで30センチにつけるスーパーショット。これを見て10ヤード先で第2打を、PWで打ったジャンボがまさかの大ダフリを演じるのだ。

    グリーンに向かいながらジャンボが大町に話しかける。「お前がすごい球打つから、俺がダフッてしまったじゃないか」。実は尾崎も、初優勝してしばらくたった頃、大町にアドバイスを贈っていた。「お前はそんなに飛ばないけど、グリップはいいから、基本を大事にしろ」。

    無敵の勢いを誇ったジャンボがまさかのボギー発進。一方、朝一番でバーディを奪った大町は、午前中勝負だ。朝から行くしかない」とさらにギアを1段上げる。

    4番のパー5は完璧なドライバーショットから残り約220ヤードを5番ウッドで見事2オン。上りの5メートル、最後にスライスするラインを読み切り1発で沈めて、イーグル奪取に成功した。さらに6番のパー5もドライバー、3番ウッドでグリーン左手前まで運び、右手前2メートルにつけ1パットのバーディ。続く7番のパー4もドライバー、8番アイアンとつないで右2.5メートルにパーオン。このパットも沈めて連続バーディ。パットの好調を支えていたのは、前週のカシオワールドで一緒に回った時に見た青木と渡辺司のパッティング。

    「一緒に回っている先輩たちは、強気にコンコン打っていた。それを見て、『上位に行く人は、強気に打っているんだな』と先輩方からヒントをいただいた。それで自分も強気に打って行こうと決めていたんです」。“前半勝負”と“強気のパット”。心に決めた作戦がズバリとはまり、アウトを「31」で折り返した。

    トータル9アンダーまでスコアを伸ばした大町。しかし、10番のティイングエリアで、見てはいけないものを見てしまった。7アンダーの単独2位からスタートした友利勝良がチャージをかけ、トータル11アンダーまでスコアを伸ばしていたことを、隣にある18番のリーダーボードを見て知ってしまうのだ。

    大町の精神状態に、変化が生じた。「まだ俺、負けてるじゃん」と自覚すると、10番で2段グリーンの手前の段、10メートルから「狙いすぎて」3パット。ついにボギーが出てしまった。

    13番まで小康状態が続くが、まだまだ強気は失っていなかった。14番は下りのスライス、15番は上りのともに2.5メートルを1発で沈めて連続バーディ。トータル10アンダーで単独トップに立ち、上がり3ホールへと突入した。

    「アメリカのいい環境で練習もできて、いろんな経験をして、いつかはラッキーな日が来ると思ってやってきた」大町に、隙はなかった。「1打差くらいだろうから、ボードを見ないで全力でやろう」と心に決め、16、17番とパーで切り抜け難関の18番へと向かう。この時ようやく見上げたボードには、一番上に自分の名前が。2位の中嶋、友利との差は2ストロークに離れていた。

    18番のピンの位置は「恒例の右手前。『ボギーは絶対ダメだな、パーでいい』と心に決めた5番ウッドのティショットは、右手前にキックしてグリーンをショート。アプローチを1メートルに付けてパーをセーブ。2ストロークの差を守り切った。

    復活したシーズンの有終の美を飾る優勝劇の持つ価値を、大町はこんな言葉で表現した。

    「青木さんが解説していて、ジャンボさんとラウンドして、中嶋さんを逆転することができた日本シリーズだった。本当にこの3人には、大きな影響を受けましたから」。

    「心を強く持て」と励ましてくれた師匠の青木、「基本を大事にしろ」とアドバイスをくれたジャンボ、「米ツアーではたまにごちそうになったり、いろんなことを教えてもらったりした」上、日本シリーズ出場への道を開くことになったミズノオープンの推薦獲得に尽力してくれたのも中嶋だった。そのAONに“恩返し”をした形になったのが、1989年の日本シリーズにおける優勝劇だった。(日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
    1989年12月4日。冬の木漏れ日を浴びながら、185センチ、65キロのスリムな体が2度、3度と宙に舞った。日本シリーズ優勝といえども、ここは球場ではなく、ゴルフ場。すり鉢形状の東京よみうりカントリークラブの名物ホール、18番パー3を取り巻く1万8407人の大ギャラリーから祝福を浴びながら、グリーンサイドで胴上げされていたのは31歳の大町昭義だった。

    胴上げをする顔触れの中には、この試合のテレビ中継を実況解説していた大町の師匠・青木功の姿もあった。「まさか青木さんに胴上げしてもらうとは。宙にも舞うような気持ちです」とジョークも冴えた。

    その青木からは、スタート前から千金のアドバイスを授けられていた。最終日はこの年もすでに7勝を挙げ2年連続賞金王を手中にしていたジャンボ尾崎と、豪州のベテラン、グラハム・マーシュとのラウンド。「ジャンボやマーシュに実力や実績でかなう訳ないんだし、お前は今年調子いいんだから、自分のゴルフでガンガン行くしかないんだ」。

    自分のゴルフ―。それはまさに大町自身が、自分の意志で飛び込んだ、米ツアー生活での経験により築き上げたものだった。3シーズン前の1986年春、大町は開幕戦の静岡オープンで大ベテランの杉原輝雄をプレーオフのすえ下し、プロ初優勝。その勢いのままに秋の米ツアーQTを39位でクリアして翌年からフル参戦に打って出た。

    1年目はシード権も確保する健闘を見せたが、翌88年は賞金ランク175位と低迷しシード落ち。帰国して国内で立て直す道を選んだが2年間留守にしていた代償は大きかった。「ズタボロになって帰って来て、シード権もないみじめな生活」を送っていた時、米ツアーを共に戦った中島常幸が所属先のミズノに掛け合ってくれ、推薦出場を果たしたミズノトーナメントで優勝。シーズン終盤のエリートトーナメント・日本シリーズの出場権も獲得したのだ。

    どん底から復活して、初出場となった日本シリーズの最終日18ホール。順位はトータル4アンダーの4位タイ。首位を行く中島常幸との差は7打もあり、一緒に回るジャンボもマーシュも、青木が言う通りはるかに格上のベテラン。大町は青木から受けた「自分のゴルフでガンガン行くしかない」というアドバイスに徹することを心に決めてスタートした。

    するとどうだ、スタートホールの1番、大町のショットはジャンボの到達地点にわずか10ヤードのところまで迫る。「いつもは30ヤードくらい置いて行かれるのに、今日は俺も当たってるな」と好調を確信した大町は、上りの残り135ヤードを9番アイアンで30センチにつけるスーパーショット。これを見て10ヤード先で第2打を、PWで打ったジャンボがまさかの大ダフリを演じるのだ。

    グリーンに向かいながらジャンボが大町に話しかける。「お前がすごい球打つから、俺がダフッてしまったじゃないか」。実は尾崎も、初優勝してしばらくたった頃、大町にアドバイスを贈っていた。「お前はそんなに飛ばないけど、グリップはいいから、基本を大事にしろ」。

    無敵の勢いを誇ったジャンボがまさかのボギー発進。一方、朝一番でバーディを奪った大町は、午前中勝負だ。朝から行くしかない」とさらにギアを1段上げる。

    4番のパー5は完璧なドライバーショットから残り約220ヤードを5番ウッドで見事2オン。上りの5メートル、最後にスライスするラインを読み切り1発で沈めて、イーグル奪取に成功した。さらに6番のパー5もドライバー、3番ウッドでグリーン左手前まで運び、右手前2メートルにつけ1パットのバーディ。続く7番のパー4もドライバー、8番アイアンとつないで右2.5メートルにパーオン。このパットも沈めて連続バーディ。パットの好調を支えていたのは、前週のカシオワールドで一緒に回った時に見た青木と渡辺司のパッティング。

    「一緒に回っている先輩たちは、強気にコンコン打っていた。それを見て、『上位に行く人は、強気に打っているんだな』と先輩方からヒントをいただいた。それで自分も強気に打って行こうと決めていたんです」。“前半勝負”と“強気のパット”。心に決めた作戦がズバリとはまり、アウトを「31」で折り返した。

    トータル9アンダーまでスコアを伸ばした大町。しかし、10番のティイングエリアで、見てはいけないものを見てしまった。7アンダーの単独2位からスタートした友利勝良がチャージをかけ、トータル11アンダーまでスコアを伸ばしていたことを、隣にある18番のリーダーボードを見て知ってしまうのだ。

    大町の精神状態に、変化が生じた。「まだ俺、負けてるじゃん」と自覚すると、10番で2段グリーンの手前の段、10メートルから「狙いすぎて」3パット。ついにボギーが出てしまった。

    13番まで小康状態が続くが、まだまだ強気は失っていなかった。14番は下りのスライス、15番は上りのともに2.5メートルを1発で沈めて連続バーディ。トータル10アンダーで単独トップに立ち、上がり3ホールへと突入した。

    「アメリカのいい環境で練習もできて、いろんな経験をして、いつかはラッキーな日が来ると思ってやってきた」大町に、隙はなかった。「1打差くらいだろうから、ボードを見ないで全力でやろう」と心に決め、16、17番とパーで切り抜け難関の18番へと向かう。この時ようやく見上げたボードには、一番上に自分の名前が。2位の中嶋、友利との差は2ストロークに離れていた。

    18番のピンの位置は「恒例の右手前。『ボギーは絶対ダメだな、パーでいい』と心に決めた5番ウッドのティショットは、右手前にキックしてグリーンをショート。アプローチを1メートルに付けてパーをセーブ。2ストロークの差を守り切った。

    復活したシーズンの有終の美を飾る優勝劇の持つ価値を、大町はこんな言葉で表現した。

    「青木さんが解説していて、ジャンボさんとラウンドして、中嶋さんを逆転することができた日本シリーズだった。本当にこの3人には、大きな影響を受けましたから」。

    「心を強く持て」と励ましてくれた師匠の青木、「基本を大事にしろ」とアドバイスをくれたジャンボ、「米ツアーではたまにごちそうになったり、いろんなことを教えてもらったりした」上、日本シリーズ出場への道を開くことになったミズノオープンの推薦獲得に尽力してくれたのも中嶋だった。そのAONに“恩返し”をした形になったのが、1989年の日本シリーズにおける優勝劇だった。(日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
    連載

    名勝負ものがたり

    JGTO (国内男子) メニュー
    ツアーTOP
    年間日程
    ニュース一覧
    ライブフォト一覧
    ツアー登録選手
    記録成績

    JGTOツアー 週間アクセスランキング

    ツアー別に見る

    全ツアーTOPJLPGA (国内女子)
    JGTO (国内男子)LPGA (米国女子)
    PGA (米国男子)DP World (欧州男子)
    AsianLIV GOLF
    ステップアップネクストヒロイン
    PGAシニアABEMA
    アマチュア・他LADY GO CUP

    大会情報

    1. JGTO (国内男子)
      2024年11月21日 11月24日
      開催中
      カシオワールドオープン
    2. JLPGA (国内女子)
      2024年11月21日 11月24日
      開催中
      JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ
    3. PGA (米国男子)
      2024年11月21日 11月24日
      速報中
      ザ・RSMクラシック
    4. LPGA (米国女子)
      2024年11月21日 11月24日
      速報中
      CMEグループ・ツアー選手権
    5. DP World (欧州男子)
      2024年11月21日 11月24日
      速報中
      オーストラリアPGA選手権
    6. Asian
      2024年11月21日 11月24日
      開催中
      LINK香港オープン
    7. PGAシニア
      2024年11月22日 11月24日
      開催前
      いわさき白露シニア
    8. アマチュア・他
      2024年11月19日 11月22日
      開催中
      JLPGAファーストQT【A地区】
    9. アマチュア・他
      2024年11月19日 11月22日
      開催中
      JLPGAファーストQT【B地区】

    おすすめコンテンツ

    アルバをラインの友達に追加するバナー。アルバからおすすめの記事がラインに届きます

    関連サイト