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    75分の中断後に見えたスキ “九州の若鷹”がマッチ世界王者に引導を渡した5番アイアン【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2022年2月15日 23時00分

    • JGTO
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    「米ツアーがそのまま輸入された」と称されたほど、豪華な顔ぶれが揃ったのが、1979年の太平洋クラブマスターズだった。

    “新帝王”トム・ワトソン、“スーパー・メックス”リー・トレビノ、“ジーン・ザ・マシーン”ジーン・リトラー、“ドクター”ギル・モーガン…。そこに割って入ったのが当時28歳、伸び盛りの鈴木規夫だった。

    1976年、ロイヤルバークデールで行われた全英オープンではマンデートーナメントから出場し、本選の初日にトップに立ち“スペインの星”セベ・バレステロスと激しく競り合うなどして10位のフィニッシュ。「スズキはバイクだけじゃない」と現地で評価され、心身ともに充実の時を迎えていた。

    3日目を終え、その鈴木とトータル7アンダーで首位に並んだのは同年代のビル・ロジャース。鈴木は1951年10月12日、ロジャースは同年9月10日生まれで誕生日もわずか1カ月違いだった。ロジャースもまた前年の米ツアー、ボブ・ホープ・デザートクラシックでツアー初優勝を飾ると、この年大きく飛躍して平均ストロークは70.76。賞金王とバードントロフィー(平均ストローク第1位)の2冠を3年連続して続けていたワトソン(70.27)に次いで2位に入っていた。また、英国ウエントワースクラブで行われた世界マッチプレー選手権決勝では青木功の2連覇を阻み、見事優勝。この大会にもやる気満々で乗り込んできていた。

    170センチ、68キロの鈴木に対し、ロジャースは183センチ、66キロの長身。体格差は歴然としていたが、鈴木はこの週、好調だった。キャディとしてバッグを担いだ立教大学1年で体育会ゴルフ部員の斎孝浩氏(富嶽カントリークラブ前支配人)が、こう振り返る。

    「学連のアルバイトで初めて鈴木プロについたのですが、アプローチにほとんどすべてのクラブを使うのに驚きました。4番アイアンを使うときもあれば、7番の時も。状況に応じて変えて、それが見事に決まっていました」

    勝負のかかった最終日はあいにくの雨。晩秋の御殿場は、天候が悪いと一気に寒くなる。気温は12度に下がり、コース内の茶店にも暖房が入った。選手たちはタートルネックにカシミヤのセーターを重ねてもなお、寒さに震えながらのプレーとなっていた。

    試合は最終組の2人によるマッチレースの様相を呈していく。まず4番パー3(177ヤード)で鈴木が12メートルのロングパットを決めてバーディ。きれいな先制パンチを決めるが、8番、9番と連続ボギーで37。ロジャースも2ボギーの38とスコアを落とし、勝負は一進一退の状況でサンデーバックナインへと突入していった。

    緊迫感が増してくる。前の組にはワトソンとロッド・カール。「日本人の少ない、緊張感のある中でもリラックスできるようなやり取りをするように心がけました」(前出の斎氏)。ここから鈴木が勝負に出た。寒さに耐えながら固唾を飲んで激闘を見守る7291人の前で、10番1.5メートル、12番では10メートルのロングパットを1発で沈めて8アンダー。一気にロジャースとの差を3打まで広げた。

    残すは上がり3ホール。試合が終盤にさしかかる頃、富士山を覆っていた霧が音もなくコースに降りてきた。視界は一気に悪くなり、最終組が16番パー4のティーショットを打ったところで中断のサイレンが鳴った。この時、ちょうど午後3時。鈴木はロジャースとの3打差をキープしていたが、前の組のワトソンが猛追を開始。17番で2メートルにつけてバーディを奪いロジャースと並び5アンダーとなったところでプレーを止められた。

    ワトソンはギャラリーの立場に立って「中断するべきではない」と猛抗議に出ていた。米ツアーの賞金王も、まだまだあきらめていなかった。鈴木にとっても予断を許さない状況だった。

    選手や関係者のイライラをよそに、霧はコースに居座った。鈴木とロジャースは優勝の行方を大きく左右する16番のセカンドショットに待ったをかけられたまま、実に1時間15分も待たされることになる。

    鈴木の回想。「周りには休む場所もなく、ケヤキの木のところで立ったまま待つしかなかった。ただ左のバンカーの手前にいたファンやコース関係者の人たちがチョコレートをくれたりね、いろいろサポートしてくれたのは助かった」。

    4時15分――。霧が晴れた。サイレンがコースに響き渡りようやく再開となった時、鈴木には残り180ヤードの第2打が残っていた。体は冷え切っていたが、スムーズに動いた。「余分な力が入っておらず、クラブをムチのように使って打てた」。

    富士の冷気を切り裂くように飛び出したボールは、軽いフェードの軌道を描きながら3.5メートルのバーディチャンスにピタリとついた。

    このホールは結局2人ともパ―。残り2ホールとなった時の心境を、鈴木はこう振り返る「ロジャースはこの試合の後、夜の飛行機でアメリカに帰ることになっていた。心はもう、半分成田にある、そういう心の動きが見て取れた。こちらは日本の良く知っているコースで、終わってからも余裕を持っての移動とあって何の心配もない。精神的に、優位に立っていたと思う」。

    中断が75分にも及んだことで、ジョーンズが御殿場から成田への移動に気をもんでいたのは想像に難くない。そんな気持ちを読み取れるだけの余裕が、鈴木にはあった。

    最終18番のパー5。ティイングエリアに8アンダーの鈴木が上がった時、ワトソンが2ホールを連続バーディで終え、6アンダーの2位でホールアウトしていた。一緒に回る3位のロジャースとは3打差があった。

    鈴木はこのティショットできっちりとフェアウェイをキープ。残り230ヤードを3番ウッドで打ち、奥のバンカーにつかまった。しかし難なくこのショット寄せ、2パットのパー。ワトソンとこのホールでバーディを奪ったジョーンズに2打差をつけて優勝を飾った。すでに陽は暮れかかり、カメラマンたちが焚くフラッシュの閃光が、勝者の姿を浮き上がらせた。

    コースでは予想に反したことがよく起こる。75分もの中断は、鈴木にとっても、ロジャースにとっても予想外の出来事であったに違いない。「コース上では多くのアクシデントが起こるもの。それをいかに冷静に、処理していくかが大事」と鈴木はしみじみとした口調で振り返った。

    生家から100ヤードの場所にある高松CC城山C(香川)が遊び場で、伝説の年間グランドスラマー「トイチ」こと戸田藤一郎のプレーを見て育った鈴木は、のちに同コースの所属プロになった「小さな巨人」こと増田光彦に師事し、腕を磨いた。

    再開後に流れを手放さなかった16番の第2打は、2人の偉大な師匠の教えが結実した、究極の1打と言えるかもしれない。(日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川 朗)
    「米ツアーがそのまま輸入された」と称されたほど、豪華な顔ぶれが揃ったのが、1979年の太平洋クラブマスターズだった。

    “新帝王”トム・ワトソン、“スーパー・メックス”リー・トレビノ、“ジーン・ザ・マシーン”ジーン・リトラー、“ドクター”ギル・モーガン…。そこに割って入ったのが当時28歳、伸び盛りの鈴木規夫だった。

    1976年、ロイヤルバークデールで行われた全英オープンではマンデートーナメントから出場し、本選の初日にトップに立ち“スペインの星”セベ・バレステロスと激しく競り合うなどして10位のフィニッシュ。「スズキはバイクだけじゃない」と現地で評価され、心身ともに充実の時を迎えていた。

    3日目を終え、その鈴木とトータル7アンダーで首位に並んだのは同年代のビル・ロジャース。鈴木は1951年10月12日、ロジャースは同年9月10日生まれで誕生日もわずか1カ月違いだった。ロジャースもまた前年の米ツアー、ボブ・ホープ・デザートクラシックでツアー初優勝を飾ると、この年大きく飛躍して平均ストロークは70.76。賞金王とバードントロフィー(平均ストローク第1位)の2冠を3年連続して続けていたワトソン(70.27)に次いで2位に入っていた。また、英国ウエントワースクラブで行われた世界マッチプレー選手権決勝では青木功の2連覇を阻み、見事優勝。この大会にもやる気満々で乗り込んできていた。

    170センチ、68キロの鈴木に対し、ロジャースは183センチ、66キロの長身。体格差は歴然としていたが、鈴木はこの週、好調だった。キャディとしてバッグを担いだ立教大学1年で体育会ゴルフ部員の斎孝浩氏(富嶽カントリークラブ前支配人)が、こう振り返る。

    「学連のアルバイトで初めて鈴木プロについたのですが、アプローチにほとんどすべてのクラブを使うのに驚きました。4番アイアンを使うときもあれば、7番の時も。状況に応じて変えて、それが見事に決まっていました」

    勝負のかかった最終日はあいにくの雨。晩秋の御殿場は、天候が悪いと一気に寒くなる。気温は12度に下がり、コース内の茶店にも暖房が入った。選手たちはタートルネックにカシミヤのセーターを重ねてもなお、寒さに震えながらのプレーとなっていた。

    試合は最終組の2人によるマッチレースの様相を呈していく。まず4番パー3(177ヤード)で鈴木が12メートルのロングパットを決めてバーディ。きれいな先制パンチを決めるが、8番、9番と連続ボギーで37。ロジャースも2ボギーの38とスコアを落とし、勝負は一進一退の状況でサンデーバックナインへと突入していった。

    緊迫感が増してくる。前の組にはワトソンとロッド・カール。「日本人の少ない、緊張感のある中でもリラックスできるようなやり取りをするように心がけました」(前出の斎氏)。ここから鈴木が勝負に出た。寒さに耐えながら固唾を飲んで激闘を見守る7291人の前で、10番1.5メートル、12番では10メートルのロングパットを1発で沈めて8アンダー。一気にロジャースとの差を3打まで広げた。

    残すは上がり3ホール。試合が終盤にさしかかる頃、富士山を覆っていた霧が音もなくコースに降りてきた。視界は一気に悪くなり、最終組が16番パー4のティーショットを打ったところで中断のサイレンが鳴った。この時、ちょうど午後3時。鈴木はロジャースとの3打差をキープしていたが、前の組のワトソンが猛追を開始。17番で2メートルにつけてバーディを奪いロジャースと並び5アンダーとなったところでプレーを止められた。

    ワトソンはギャラリーの立場に立って「中断するべきではない」と猛抗議に出ていた。米ツアーの賞金王も、まだまだあきらめていなかった。鈴木にとっても予断を許さない状況だった。

    選手や関係者のイライラをよそに、霧はコースに居座った。鈴木とロジャースは優勝の行方を大きく左右する16番のセカンドショットに待ったをかけられたまま、実に1時間15分も待たされることになる。

    鈴木の回想。「周りには休む場所もなく、ケヤキの木のところで立ったまま待つしかなかった。ただ左のバンカーの手前にいたファンやコース関係者の人たちがチョコレートをくれたりね、いろいろサポートしてくれたのは助かった」。

    4時15分――。霧が晴れた。サイレンがコースに響き渡りようやく再開となった時、鈴木には残り180ヤードの第2打が残っていた。体は冷え切っていたが、スムーズに動いた。「余分な力が入っておらず、クラブをムチのように使って打てた」。

    富士の冷気を切り裂くように飛び出したボールは、軽いフェードの軌道を描きながら3.5メートルのバーディチャンスにピタリとついた。

    このホールは結局2人ともパ―。残り2ホールとなった時の心境を、鈴木はこう振り返る「ロジャースはこの試合の後、夜の飛行機でアメリカに帰ることになっていた。心はもう、半分成田にある、そういう心の動きが見て取れた。こちらは日本の良く知っているコースで、終わってからも余裕を持っての移動とあって何の心配もない。精神的に、優位に立っていたと思う」。

    中断が75分にも及んだことで、ジョーンズが御殿場から成田への移動に気をもんでいたのは想像に難くない。そんな気持ちを読み取れるだけの余裕が、鈴木にはあった。

    最終18番のパー5。ティイングエリアに8アンダーの鈴木が上がった時、ワトソンが2ホールを連続バーディで終え、6アンダーの2位でホールアウトしていた。一緒に回る3位のロジャースとは3打差があった。

    鈴木はこのティショットできっちりとフェアウェイをキープ。残り230ヤードを3番ウッドで打ち、奥のバンカーにつかまった。しかし難なくこのショット寄せ、2パットのパー。ワトソンとこのホールでバーディを奪ったジョーンズに2打差をつけて優勝を飾った。すでに陽は暮れかかり、カメラマンたちが焚くフラッシュの閃光が、勝者の姿を浮き上がらせた。

    コースでは予想に反したことがよく起こる。75分もの中断は、鈴木にとっても、ロジャースにとっても予想外の出来事であったに違いない。「コース上では多くのアクシデントが起こるもの。それをいかに冷静に、処理していくかが大事」と鈴木はしみじみとした口調で振り返った。

    生家から100ヤードの場所にある高松CC城山C(香川)が遊び場で、伝説の年間グランドスラマー「トイチ」こと戸田藤一郎のプレーを見て育った鈴木は、のちに同コースの所属プロになった「小さな巨人」こと増田光彦に師事し、腕を磨いた。

    再開後に流れを手放さなかった16番の第2打は、2人の偉大な師匠の教えが結実した、究極の1打と言えるかもしれない。(日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川 朗)
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