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    陳清波から学んだ技で“恩返し”! 「ビッグ・スギ」初V秘話【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2022年4月5日 23時00分

    • JGTO
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    杉本英世がスターへの第1歩を踏み出したのは東京五輪の開催中、1964年10月29日のことだった。パー4のティーショットで楽々1オンするほどの飛距離から「ビッグ・スギ」と呼ばれ、のちに河野高明、安田春雄とともに「和製ビッグスリー」として一時代をリードすることになる杉本は、この時まだ無名の一選手でしかなかった。その一方で出場選手中ナンバーワンの飛距離を身につけていた。

    杉本は川奈ホテルからほど近い、静岡県田方郡小室村川奈(現伊東市)に生まれた。子供の頃の遊び場も川奈ホテル内のゴルフ場。木箱に竹2本のソリをつけた芝ソリだったという。中学の頃からはキャディのアルバイトも始めたが、両肩に2つずつバッグを担いでも「全然平気」(杉本)というほど、すでに屈強な肉体を有していた。

    というのも、杉本の家は集落の高台にあり、共同で使用している井戸は300メートル下った場所にあった。水をたっぷり満たした桶を二つ、天秤棒を通して3往復。これを3日おきに行うのが末っ子である杉本の仕事だった。「稲尾(和久=元西鉄ライオンズ投手)さんは舟の櫓(ろ)をこいで二枚腰を得たというけど、私はこの作業が源。階段の幅が広くて、大股で上り下りしなくちゃならない。それが良かった」(杉本)。バランス感覚に加え腹筋、背筋、下半身、体幹の強さを身につけたのだ。

    ソフトボールで垣間見せた桁外れのパワーは、プロ野球関係者の耳にも入った。県立伊東高校卒業を目前にした年の正月、プロ野球の近鉄パールス(現オリックス・バッファローズ)の選手兼任監督・別当薫氏の来訪を受け、直接入団を勧誘されてもいた。しかし杉本は川奈でのキャディ生活に入り、練習に来ていた陳清波の指導を受ける。その後も「18歳ぐらいの時に陳さんのスイングを見て気づいたんです。ほかのプロは手首を返そうとしないのに、陳さんだけはインパクトで手首を返していた。それを真似しているうちに飛ぶようになった」(杉本)。

    この後、杉本は伝説を作っている。大島コースの1番パー4。パーシモンのドライバーで351ヤードをかっ飛ばし、ティーショットでグリーンをオーバーしているのだ。

    練習をするうち、フックばかりだった球筋にも変化が表れた。「右に重心を置いてボールを見ていたアドレスを、スクエアにして練習するうち」(杉本)フェードで安定するようになった。そのタイミングで、1964年の日本オープンがやってくる。「東京クラブはフックはダメなコースです。フェード向きのコースなんです。しかもフェードを打つようになって、アイアンがめちゃくちゃ楽になった。距離は10ヤードから15ヤード落ちましたが、狙ったところに打てるようになった」。

    現在はトーナメントの最終日といえば日曜日に行われるのが当たり前だが、当時は火曜日に第1ラウンド、水曜日に第2ラウンド、木曜日に決勝の36ホールを行うのが通例だった。当時を振り返って、杉本が言う。

    「まだ26歳で、ただ一生懸命回っていたら、2ラウンドを終えて、3位だったんです。トップは林由郎さん。でも優勝するなんて思っていませんでした。そこまでは全く覚えていないんですが、最終日だけは不思議に覚えてますね」

    「それで最終日の前半は69。15番のパー5をドライバーと5番アイアンで打って2オンしてバーディ。それで16番に向かう途中、知人に会ったんです。そこで『おい、君が今、2ストローク差でトップだぞ』と言われて、めちゃくちゃ硬くなってしまった」。

    16番は軽い打ち上げのパー4。杉本の第1打は右サイドのバンカーにつかまる。さらに5番アイアンの第2打もバンカーへ。さらにこのショットも大きくグリーンをオーバー。そこからのアプローチも寄せられず、ダブルボギーを叩いてしまう。

    今のように終盤のグリーンサイドのリーダーボードに上位選手のスコアが掲示される時代ではない。上位陣の情報がない中「こりゃダメだ」とがっくり肩を落としてティに立った杉本に「今度はJGAの関係者が『今、陳がここで4パットしてダブルボギーにしたよ』と教えてくれた。途端にまた2点(ストローク)離れた(リードした)、と思って勇気が出たんです。それで1オンしたら、私もまた硬くなってスリーパット」。

    パー3の17番で杉本はボギーを叩き、1ストロークのリードで最終ホールを迎えることになる。

    最終ホール。第2打は180ヤードを残していた。そこに今度は一緒に回っていた松田司郎が歩み寄り「陳さんが終わるまで打つな」とささやいてから離れていく。「この時、私は何を言われているのか、理解できなかった」。飛ばし屋の杉本なら届く距離だけに、もとより陳がホールアウトするまでは第2打を打つ気はなかったからだ。この後、陳がボギーを叩いたのを自分の目で確認した時、杉本はその言葉の意味を反すうした。陳のスコアを確認してから第2打を打て、という意味だったように思えた。

    1ストロークの差が2ストロークに開いた。となれば、ここから無理をすることはない。杉本の回想。「ボギーでもいいんです。それでキャディと相談したんです。グリーンの手前にバンカーがある。あのバンカーに入れると面倒だから、バンカーに届かないクラブで打とう、と。それで6番アイアンを選択した。第2打を残り40ヤードまで打って。そこからアプローチ。2メートルから2パットのボギーで上がって、優勝することができたんです」。

    初優勝が、日本オープン。世界にも通用するパワーを持った、ニュースター誕生の瞬間だった。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会・小川朗)
    杉本英世がスターへの第1歩を踏み出したのは東京五輪の開催中、1964年10月29日のことだった。パー4のティーショットで楽々1オンするほどの飛距離から「ビッグ・スギ」と呼ばれ、のちに河野高明、安田春雄とともに「和製ビッグスリー」として一時代をリードすることになる杉本は、この時まだ無名の一選手でしかなかった。その一方で出場選手中ナンバーワンの飛距離を身につけていた。

    杉本は川奈ホテルからほど近い、静岡県田方郡小室村川奈(現伊東市)に生まれた。子供の頃の遊び場も川奈ホテル内のゴルフ場。木箱に竹2本のソリをつけた芝ソリだったという。中学の頃からはキャディのアルバイトも始めたが、両肩に2つずつバッグを担いでも「全然平気」(杉本)というほど、すでに屈強な肉体を有していた。

    というのも、杉本の家は集落の高台にあり、共同で使用している井戸は300メートル下った場所にあった。水をたっぷり満たした桶を二つ、天秤棒を通して3往復。これを3日おきに行うのが末っ子である杉本の仕事だった。「稲尾(和久=元西鉄ライオンズ投手)さんは舟の櫓(ろ)をこいで二枚腰を得たというけど、私はこの作業が源。階段の幅が広くて、大股で上り下りしなくちゃならない。それが良かった」(杉本)。バランス感覚に加え腹筋、背筋、下半身、体幹の強さを身につけたのだ。

    ソフトボールで垣間見せた桁外れのパワーは、プロ野球関係者の耳にも入った。県立伊東高校卒業を目前にした年の正月、プロ野球の近鉄パールス(現オリックス・バッファローズ)の選手兼任監督・別当薫氏の来訪を受け、直接入団を勧誘されてもいた。しかし杉本は川奈でのキャディ生活に入り、練習に来ていた陳清波の指導を受ける。その後も「18歳ぐらいの時に陳さんのスイングを見て気づいたんです。ほかのプロは手首を返そうとしないのに、陳さんだけはインパクトで手首を返していた。それを真似しているうちに飛ぶようになった」(杉本)。

    この後、杉本は伝説を作っている。大島コースの1番パー4。パーシモンのドライバーで351ヤードをかっ飛ばし、ティーショットでグリーンをオーバーしているのだ。

    練習をするうち、フックばかりだった球筋にも変化が表れた。「右に重心を置いてボールを見ていたアドレスを、スクエアにして練習するうち」(杉本)フェードで安定するようになった。そのタイミングで、1964年の日本オープンがやってくる。「東京クラブはフックはダメなコースです。フェード向きのコースなんです。しかもフェードを打つようになって、アイアンがめちゃくちゃ楽になった。距離は10ヤードから15ヤード落ちましたが、狙ったところに打てるようになった」。

    現在はトーナメントの最終日といえば日曜日に行われるのが当たり前だが、当時は火曜日に第1ラウンド、水曜日に第2ラウンド、木曜日に決勝の36ホールを行うのが通例だった。当時を振り返って、杉本が言う。

    「まだ26歳で、ただ一生懸命回っていたら、2ラウンドを終えて、3位だったんです。トップは林由郎さん。でも優勝するなんて思っていませんでした。そこまでは全く覚えていないんですが、最終日だけは不思議に覚えてますね」

    「それで最終日の前半は69。15番のパー5をドライバーと5番アイアンで打って2オンしてバーディ。それで16番に向かう途中、知人に会ったんです。そこで『おい、君が今、2ストローク差でトップだぞ』と言われて、めちゃくちゃ硬くなってしまった」。

    16番は軽い打ち上げのパー4。杉本の第1打は右サイドのバンカーにつかまる。さらに5番アイアンの第2打もバンカーへ。さらにこのショットも大きくグリーンをオーバー。そこからのアプローチも寄せられず、ダブルボギーを叩いてしまう。

    今のように終盤のグリーンサイドのリーダーボードに上位選手のスコアが掲示される時代ではない。上位陣の情報がない中「こりゃダメだ」とがっくり肩を落としてティに立った杉本に「今度はJGAの関係者が『今、陳がここで4パットしてダブルボギーにしたよ』と教えてくれた。途端にまた2点(ストローク)離れた(リードした)、と思って勇気が出たんです。それで1オンしたら、私もまた硬くなってスリーパット」。

    パー3の17番で杉本はボギーを叩き、1ストロークのリードで最終ホールを迎えることになる。

    最終ホール。第2打は180ヤードを残していた。そこに今度は一緒に回っていた松田司郎が歩み寄り「陳さんが終わるまで打つな」とささやいてから離れていく。「この時、私は何を言われているのか、理解できなかった」。飛ばし屋の杉本なら届く距離だけに、もとより陳がホールアウトするまでは第2打を打つ気はなかったからだ。この後、陳がボギーを叩いたのを自分の目で確認した時、杉本はその言葉の意味を反すうした。陳のスコアを確認してから第2打を打て、という意味だったように思えた。

    1ストロークの差が2ストロークに開いた。となれば、ここから無理をすることはない。杉本の回想。「ボギーでもいいんです。それでキャディと相談したんです。グリーンの手前にバンカーがある。あのバンカーに入れると面倒だから、バンカーに届かないクラブで打とう、と。それで6番アイアンを選択した。第2打を残り40ヤードまで打って。そこからアプローチ。2メートルから2パットのボギーで上がって、優勝することができたんです」。

    初優勝が、日本オープン。世界にも通用するパワーを持った、ニュースター誕生の瞬間だった。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会・小川朗)
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