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    名手・青木功が痛恨のミス!“延長戦”で生まれた藤木三郎の「生涯最高の一打」【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2022年8月30日 23時00分

    • JGTO
    1991年5月12日「フジサンケイクラシック」最終日のプレーオフを制した藤木三郎(写真:ALBA)
    1991年5月12日「フジサンケイクラシック」最終日のプレーオフを制した藤木三郎(写真:ALBA)
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    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    青木功 若かりし頃の勇姿【写真】

    フジサンケイクラシックは、1981年から2004年まで、川奈ホテルGC富士コースで開催されていた。同コースは当初大谷光明監修・赤星六郎設計のコンビで設計作業が進められていたが、1930年の暮れに東京ゴルフクラブ朝霞コースの設計で来日していたチャールズ・ヒュー・アリソンに創業者の大倉喜七郎が注目。廣野ゴルフ倶楽部の設計のため関西に移動するアリソンを川奈に招待した大谷は、「より完璧なものを造るなら本場の英国人がいい」と大倉に主張し、自らが途中まで手掛けたコースの修正をアリソンに委ねた。

    アリソンも背後に富士を控え、太平洋が眼前に広がる最高のロケーションに衝撃を受けた。「うるわしい景色そのものに幻惑されて、正しい設計を誤る恐れがある」と、3日間は景色の印象が薄らぐのを待ってから構想を練り、屈指の名コース・川奈の設計図を描き上げた。アリソンの“修正料”は1万円で、旅費・宿泊費別の当時では好待遇だったわけだが、完成後に川奈が世界的な名声と評価を受けることとなったことを考えれば「最良の選択」だったことは確かだ。

    ■1991年フジサンケイクラシック最終日、川奈は本来の難しさを見せた■

    その舞台で行われた1991年のフジサンケイクラシックは、決勝ラウンドに入り強風が吹きすさび、シーサイドコース川奈本来の難しさを見せた。スコアが伸び悩む中、上位には実力者たちが顔を出していた。

    最終日の主役は49歳、シニア入りを目前にした青木功だった。前半のアウトで6バーディー、ノーボギーの29というすさまじい猛チャージを演じ、一気にリーダーボードを駆け上がる。後半こそ1バーディーながら、その日7アンダーの64。通算5アンダーのクラブハウスリーダーとなり、後続組のホールアウトを悠然と待った。

    そこに67で回った飛ばし屋の加瀬秀樹も5アンダーで青木と並びホールアウト。続いて最終組の1組前で回っていたオーストラリアの強豪ブライアン・ジョーンズが18番でチップインバーディー。5アンダーでホールアウトした。

    最終組でプレーしていた藤木三郎と鈴木弘一が18番のティイングエリアに立ったとき、6アンダーでトップに並んでいたが、先に鈴木が川奈のアリソンバンカーで地獄を見る。入れてはいけない右のラフから、強引に狙っていってグリーン右手前のバンカーへ。ここから脱出に2打を費やし、4オン2パットのダブルボギー。一気に4アンダーへと転落した。藤木のティーショットは右フェアウェイでバウンドしながら、右にキックしてラフにつかまる。第2打はグリーン左手前の花道に運ぶのがやっと。約30ヤードのアプローチはピンの右下6.5メートルと寄せ切れなかった。

    藤木がこのパットを決めれば優勝という場面。大観衆が固唾を飲んで見守る中、藤木が勝負を賭けたパットは一直線にカップに向かった。だがわずかにタッチが強すぎた。ボールはカップの向こう側の縁に当たり、無情にも飛び出した。痛恨のボギーで通算5アンダーに後退。5アンダーでホールアウトしていた青木、加瀬、ジョーンズにしてみれば、6アンダーで首位に立つふたりのミスにより、あきらめかけていた番外勝負の権利が転がり込んだ形だった。

    ■4人によるプレーオフに突入■

    大会史上4回目で過去最多の4人によるプレーオフは、藤木がボギーを叩いたばかりの18番、410ヤードのパー4で始まった。ティーショットは青木だけが左ラフに入れ、他の3人はフェアウェイ右サイドをキープ。第2打を最初に打ったジョーンズは、グリーン手前のバンカーよりもさらに手前にショート。25ヤードのアプローチはグリーンをオーバーさせてボギー必至のピンチとなる。この後打った加瀬、藤木とも、やはりグリーンをオーバーした。

    ティーショットでただひとりラフにつかまり、最も不利な状況だった青木が7番アイアンでピン左18メートルに2オン。こうなると藤木と加瀬にもプレッシャーがかかる。ふたりとも寄らず入らずのボギーを叩いてしまった。

    バーディーパットをしっかりと寄せ、90センチのウイニングパットの芝目を読む青木には、余裕の笑みさえ浮かんでいた。藤木も加瀬も、あきらめの表情でグリーンを離れようと歩き出す。1ホール目で、あっさりと勝負あり。そう誰もが思った瞬間、さらなるドラマが用意されていた。

    ■名手・青木が痛恨のミスパット■

    名手・青木から放たれたパットが、カップにけられたのだ。青木の顔に、悔恨の表情が浮かんだ。青木までもが、まさかのボギー。ジョーンズも40センチを入れて4人全員がボギーで勝負は2ホール目に持ち越された。このときの心境を、藤木はこう振り返る。

    「青木さんは最終日、7アンダーで回って来たんだから、当然入るだろうな、と思って見ていたんです。それがペロッて外れた。やっぱり川奈は何かが起きるなと思いました。チャンスをもらえた、という気持ちになりましたね。青木さんはやはり相当悔しかったんでしょう。カートには乗らず、17番まで歩いて来ていましたからね」。

    十中八九、青木が勝つと思われた展開。その場に居合わせたギャラリーはもとより、当の青木も確信していた優勝が、白紙に戻された。「安心しきって簡単に打ってしまった」(試合終了後の青木談)。青木は他の3選手を、自らのミスパットで生き返らせてしまったわけだ。

    2ホール目は、当時ツアーでも屈指の難所に挙げられていた17番のパー3。ティイングエリアから6.74メートルの打ち上げで、グリーン周りはすべて崖。ピンは右のエッジから5.5ヤード、手前から12ヤードと極端に右寄りに切られていた。

    「グリーン面は見えないんですが、歓声でだいたい分かる。まず青木さんが4番アイアンでグリーンの左奥に乗せたんです。ピンは右手前だから、かなりのロングパットにはなる。で、2番目が僕です。本戦のときは6番で打って、まあまあのところに乗っかってパー。プレーオフのときは左からの風が2〜3メートルは増して、6〜7メートルは吹いていたんです。で、あの砲台グリーンには高い球でないと止められない。ただ高く上げれば、その分ショートするんで、5番アイアンに1番手上げて、上から落とそうというつもりで振ったら、そのとおりの球が出たんです」と、藤木は回想する。

    川奈の空に舞い上がったボールは、「3〜4メートル左に出てから」(藤木)やや風の影響を受けピンに吸い寄せられるように飛んでいった。グリーンでは2バウンドしてピンに寄って行く。どよめきがだんだん大きくなり、ついには天を突くような大歓声になる。ティイングエリアにいる選手たちにはグリーンの面はまったく見えないが、藤木のショットがあわやホールインワンのショットであることはハッキリと分かった。

    まさに一撃必殺のショット。残るふたりにも強烈なプレッシャーを与えることになり、加瀬のティショットは力なく右のがけ下に落ちていく。続くジョーンズも左のがけ下と窮地に立った。こうなると、藤木の優勝に待ったをかけられるのは青木のみ。約14メートル、下りのスライスラインに乗ってボールはカップに向かった。だがカップをなめたものの入らず、下のグリーンエッジまで4メートル近く転がった。

    ■青木の駆け引きに乗らず、藤木は慎重にウイニングパットを決めた■

    ここで青木は藤木に「それ(藤木の40センチのパーパットを)入れたら、勝ちだから先にやれよ」と、声をかける。再び藤木の回想。「いったんは先にやろうかな、と思いましたが踏みとどまりました。川奈のグリーンですから、40センチでも何があるか分からない。それで『青木さんのほうが遠いんですから、どうぞどうぞ』と譲ったんです」。

    これもベテランならではの駆け引き。藤木は誘いに乗らず、慎重にウイニングパットを打つことを選択した。結果、青木のパーパットは決まらずボギー。「3人はボギー、ボギー、ダボだったので外しても勝ちじゃないですか。外れるわけないですよね」と難なく決めてバーディー。藤木が強豪3人を下して優勝を決めた瞬間だった。

    しみじみと、藤木は言う。「あの(プレーオフ2ホール目の)ティーショットが、後にも先にも、生涯最高の一打です」。藤木のベストショットは、お膳立ての整った川奈の難所・17番で生まれた。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    青木功 若かりし頃の勇姿【写真】

    フジサンケイクラシックは、1981年から2004年まで、川奈ホテルGC富士コースで開催されていた。同コースは当初大谷光明監修・赤星六郎設計のコンビで設計作業が進められていたが、1930年の暮れに東京ゴルフクラブ朝霞コースの設計で来日していたチャールズ・ヒュー・アリソンに創業者の大倉喜七郎が注目。廣野ゴルフ倶楽部の設計のため関西に移動するアリソンを川奈に招待した大谷は、「より完璧なものを造るなら本場の英国人がいい」と大倉に主張し、自らが途中まで手掛けたコースの修正をアリソンに委ねた。

    アリソンも背後に富士を控え、太平洋が眼前に広がる最高のロケーションに衝撃を受けた。「うるわしい景色そのものに幻惑されて、正しい設計を誤る恐れがある」と、3日間は景色の印象が薄らぐのを待ってから構想を練り、屈指の名コース・川奈の設計図を描き上げた。アリソンの“修正料”は1万円で、旅費・宿泊費別の当時では好待遇だったわけだが、完成後に川奈が世界的な名声と評価を受けることとなったことを考えれば「最良の選択」だったことは確かだ。

    ■1991年フジサンケイクラシック最終日、川奈は本来の難しさを見せた■

    その舞台で行われた1991年のフジサンケイクラシックは、決勝ラウンドに入り強風が吹きすさび、シーサイドコース川奈本来の難しさを見せた。スコアが伸び悩む中、上位には実力者たちが顔を出していた。

    最終日の主役は49歳、シニア入りを目前にした青木功だった。前半のアウトで6バーディー、ノーボギーの29というすさまじい猛チャージを演じ、一気にリーダーボードを駆け上がる。後半こそ1バーディーながら、その日7アンダーの64。通算5アンダーのクラブハウスリーダーとなり、後続組のホールアウトを悠然と待った。

    そこに67で回った飛ばし屋の加瀬秀樹も5アンダーで青木と並びホールアウト。続いて最終組の1組前で回っていたオーストラリアの強豪ブライアン・ジョーンズが18番でチップインバーディー。5アンダーでホールアウトした。

    最終組でプレーしていた藤木三郎と鈴木弘一が18番のティイングエリアに立ったとき、6アンダーでトップに並んでいたが、先に鈴木が川奈のアリソンバンカーで地獄を見る。入れてはいけない右のラフから、強引に狙っていってグリーン右手前のバンカーへ。ここから脱出に2打を費やし、4オン2パットのダブルボギー。一気に4アンダーへと転落した。藤木のティーショットは右フェアウェイでバウンドしながら、右にキックしてラフにつかまる。第2打はグリーン左手前の花道に運ぶのがやっと。約30ヤードのアプローチはピンの右下6.5メートルと寄せ切れなかった。

    藤木がこのパットを決めれば優勝という場面。大観衆が固唾を飲んで見守る中、藤木が勝負を賭けたパットは一直線にカップに向かった。だがわずかにタッチが強すぎた。ボールはカップの向こう側の縁に当たり、無情にも飛び出した。痛恨のボギーで通算5アンダーに後退。5アンダーでホールアウトしていた青木、加瀬、ジョーンズにしてみれば、6アンダーで首位に立つふたりのミスにより、あきらめかけていた番外勝負の権利が転がり込んだ形だった。

    ■4人によるプレーオフに突入■

    大会史上4回目で過去最多の4人によるプレーオフは、藤木がボギーを叩いたばかりの18番、410ヤードのパー4で始まった。ティーショットは青木だけが左ラフに入れ、他の3人はフェアウェイ右サイドをキープ。第2打を最初に打ったジョーンズは、グリーン手前のバンカーよりもさらに手前にショート。25ヤードのアプローチはグリーンをオーバーさせてボギー必至のピンチとなる。この後打った加瀬、藤木とも、やはりグリーンをオーバーした。

    ティーショットでただひとりラフにつかまり、最も不利な状況だった青木が7番アイアンでピン左18メートルに2オン。こうなると藤木と加瀬にもプレッシャーがかかる。ふたりとも寄らず入らずのボギーを叩いてしまった。

    バーディーパットをしっかりと寄せ、90センチのウイニングパットの芝目を読む青木には、余裕の笑みさえ浮かんでいた。藤木も加瀬も、あきらめの表情でグリーンを離れようと歩き出す。1ホール目で、あっさりと勝負あり。そう誰もが思った瞬間、さらなるドラマが用意されていた。

    ■名手・青木が痛恨のミスパット■

    名手・青木から放たれたパットが、カップにけられたのだ。青木の顔に、悔恨の表情が浮かんだ。青木までもが、まさかのボギー。ジョーンズも40センチを入れて4人全員がボギーで勝負は2ホール目に持ち越された。このときの心境を、藤木はこう振り返る。

    「青木さんは最終日、7アンダーで回って来たんだから、当然入るだろうな、と思って見ていたんです。それがペロッて外れた。やっぱり川奈は何かが起きるなと思いました。チャンスをもらえた、という気持ちになりましたね。青木さんはやはり相当悔しかったんでしょう。カートには乗らず、17番まで歩いて来ていましたからね」。

    十中八九、青木が勝つと思われた展開。その場に居合わせたギャラリーはもとより、当の青木も確信していた優勝が、白紙に戻された。「安心しきって簡単に打ってしまった」(試合終了後の青木談)。青木は他の3選手を、自らのミスパットで生き返らせてしまったわけだ。

    2ホール目は、当時ツアーでも屈指の難所に挙げられていた17番のパー3。ティイングエリアから6.74メートルの打ち上げで、グリーン周りはすべて崖。ピンは右のエッジから5.5ヤード、手前から12ヤードと極端に右寄りに切られていた。

    「グリーン面は見えないんですが、歓声でだいたい分かる。まず青木さんが4番アイアンでグリーンの左奥に乗せたんです。ピンは右手前だから、かなりのロングパットにはなる。で、2番目が僕です。本戦のときは6番で打って、まあまあのところに乗っかってパー。プレーオフのときは左からの風が2〜3メートルは増して、6〜7メートルは吹いていたんです。で、あの砲台グリーンには高い球でないと止められない。ただ高く上げれば、その分ショートするんで、5番アイアンに1番手上げて、上から落とそうというつもりで振ったら、そのとおりの球が出たんです」と、藤木は回想する。

    川奈の空に舞い上がったボールは、「3〜4メートル左に出てから」(藤木)やや風の影響を受けピンに吸い寄せられるように飛んでいった。グリーンでは2バウンドしてピンに寄って行く。どよめきがだんだん大きくなり、ついには天を突くような大歓声になる。ティイングエリアにいる選手たちにはグリーンの面はまったく見えないが、藤木のショットがあわやホールインワンのショットであることはハッキリと分かった。

    まさに一撃必殺のショット。残るふたりにも強烈なプレッシャーを与えることになり、加瀬のティショットは力なく右のがけ下に落ちていく。続くジョーンズも左のがけ下と窮地に立った。こうなると、藤木の優勝に待ったをかけられるのは青木のみ。約14メートル、下りのスライスラインに乗ってボールはカップに向かった。だがカップをなめたものの入らず、下のグリーンエッジまで4メートル近く転がった。

    ■青木の駆け引きに乗らず、藤木は慎重にウイニングパットを決めた■

    ここで青木は藤木に「それ(藤木の40センチのパーパットを)入れたら、勝ちだから先にやれよ」と、声をかける。再び藤木の回想。「いったんは先にやろうかな、と思いましたが踏みとどまりました。川奈のグリーンですから、40センチでも何があるか分からない。それで『青木さんのほうが遠いんですから、どうぞどうぞ』と譲ったんです」。

    これもベテランならではの駆け引き。藤木は誘いに乗らず、慎重にウイニングパットを打つことを選択した。結果、青木のパーパットは決まらずボギー。「3人はボギー、ボギー、ダボだったので外しても勝ちじゃないですか。外れるわけないですよね」と難なく決めてバーディー。藤木が強豪3人を下して優勝を決めた瞬間だった。

    しみじみと、藤木は言う。「あの(プレーオフ2ホール目の)ティーショットが、後にも先にも、生涯最高の一打です」。藤木のベストショットは、お膳立ての整った川奈の難所・17番で生まれた。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
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