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    イップス病を克服! ジェット尾崎、難所川奈で7年2カ月振りの復活優勝【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2022年9月7日 02時00分

    • JGTO
    1983年当時、絶好調時代!左手首の違和感を感じる前の尾崎健夫
    1983年当時、絶好調時代!左手首の違和感を感じる前の尾崎健夫 (撮影:ALBA)
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    2000年5月7日、川奈ホテルGC富士コース。18番グリーン上で、ジェットの愛称で親しまれる尾崎健夫は、7年2カ月ぶりのウィニングパットのアドレスに入ろうとしていた。ピン左6メートル。2位の佐藤信人、葉彰廷とは1打差とあって、ここから2パットでも優勝という場面だった。

    だが、その表情は硬かった。ジェットだけの、特別な事情があったからだ。2位グループに3打差をつけて迎えた13番で、30センチのパーパットが右のカップをなめて外れた。その原因がイップスであることは、すでに多くの関係者に知れ渡っていた。

    ■イップスの入り口は痛風だった■

    長兄ジャンボをして「3兄弟のうち、才能では健夫が一番」と絶賛されたほどの男が、1993年のKSBオープンを制してから7年2カ月も暗いトンネルの中に入り込んだ。その原因が、この病だった。

    スポーツ選手が、大事な場面でプレッシャーにより思いどおりのパフォーマンスができなくなるのがイップス。ジェットの場合、その入り口は痛風だった。94年のシーズンを振り返って、ジェットが言う。「右手首が固まっちゃって、動かなくなったのよ。それでこんな腱鞘炎ってあるのかな、と思って、日本の有名な人を3人訪ねたんだけど、みんな『ゆっくり、リハビリやりましょう』というくらいで……。3カ月間、(右手首が)固まったままだった。箸が持てない状態が続いてね。そんなときジャンボが、ふと「痛風と違うか?」と言ったの。それで尿酸値測ったら痛風だったけど、薬飲んだら3日で治った」。

    しかし問題は、その後だった。「9月から出られるようになったんで、試合に出始めたらもう、やるたびにスリーパターなのよ。30センチを何度も外した。それでも来年に向けてのリハビリだと思ってやっていたんだけど、翌年になったら、それを目が覚えてたんだね。それから30センチのパターが入らなくなっちゃった」。

    ■全盛期を迎えていたプロ人生が暗転■

    75年にプロ入りし、79年の白竜湖オープンで初優勝。82年からずっとシード権を守ってきた男が、94年は出場できたのがわずかに16試合。そのうち11試合で予選落ちし、棄権も4試合に及んだ。賞金も日本プロマッチプレーの1回戦で室田淳に敗れての45万円だけで、ランキングは252位にまで落ちた。

    全盛期を迎えていたプロ人生が暗転。しかし試練はまだ続いた。ショートパットを外しても構わずに試合に出ていたことで、「それからパットがまったく入らなくなった。右手首をやわらかく動かないせいで、アプローチもまったく当たらなくなった。その後、手が治ったが、強烈なイップスになってしまった。

    94年の平均パット数は1.913で130位。30センチのミスが頭から離れず、手が動かない。見えない敵、イップスとの戦いが続いた。95年には長尺パターに活路を求め、平均パット数は1.829で90位まで改善したが、96年の開幕前には足首の腱を断裂、その後も腰痛、右肩痛、さらには職業病ともいえる左ヒザと、相次ぐ故障が追い打ちをかけた。

    ■2000年フジサンケイクラシックで訪れたビッグチャンス■

    それでも「何かを変えたい」と視力回復の手術を受けるなど、苦難の中でトンネルの出口を探した。99年の中日クラウンズ、日本プロでは初日トップで、ともに3位に入るなど復調の兆しが徐々に見え始めていた。

    そんな日々が続いたのち、2000年の春、フジサンケイクラシックでビッグチャンスがやってきた。「まだショットだけは、だれにも負けない」と言い切れるだけのショットが、屈指の難コース川奈で炸裂する。初日は70で首位の久保谷健一に1打差2位の好スタート。2日目も69で3位に踏ん張り、3日目も69でついに久保谷と並んで首位。7年2カ月ぶりの優勝が眼前にぶら下がった。

    最終日。「(イップスで)手が動かなくなったらなったで面白い」と半ば達観した表情で語ったジェットが、15番では手前から15メートルのロングパットをど真ん中から沈めてバーディ。2位との差を「2」から「3」に広げ、優勝へと突き進んだ。

    そして冒頭の18番。2パットなら優勝という場面で、6メートルのパットはカップの手前でわずかにスライスして10センチに止まった。

    外しようがない、タップインの位置まで寄せたファーストパット。その瞬間、ジェットは両手を天へと突きあげ、目をつぶった。最後は何のプレッシャーもない、最高のウィニングパットが残っていた。

    カップにボールが消えたとき、その顔に満面の笑みが広がった。ただ一人、4日間アンダーパーをマークして、実に177試合ぶりの15勝目。それはイップスで悩むゴルファーたちの心に、一筋の光となって差し込む1勝でもあった。(取材・構成/日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川 朗)
    2000年5月7日、川奈ホテルGC富士コース。18番グリーン上で、ジェットの愛称で親しまれる尾崎健夫は、7年2カ月ぶりのウィニングパットのアドレスに入ろうとしていた。ピン左6メートル。2位の佐藤信人、葉彰廷とは1打差とあって、ここから2パットでも優勝という場面だった。

    だが、その表情は硬かった。ジェットだけの、特別な事情があったからだ。2位グループに3打差をつけて迎えた13番で、30センチのパーパットが右のカップをなめて外れた。その原因がイップスであることは、すでに多くの関係者に知れ渡っていた。

    ■イップスの入り口は痛風だった■

    長兄ジャンボをして「3兄弟のうち、才能では健夫が一番」と絶賛されたほどの男が、1993年のKSBオープンを制してから7年2カ月も暗いトンネルの中に入り込んだ。その原因が、この病だった。

    スポーツ選手が、大事な場面でプレッシャーにより思いどおりのパフォーマンスができなくなるのがイップス。ジェットの場合、その入り口は痛風だった。94年のシーズンを振り返って、ジェットが言う。「右手首が固まっちゃって、動かなくなったのよ。それでこんな腱鞘炎ってあるのかな、と思って、日本の有名な人を3人訪ねたんだけど、みんな『ゆっくり、リハビリやりましょう』というくらいで……。3カ月間、(右手首が)固まったままだった。箸が持てない状態が続いてね。そんなときジャンボが、ふと「痛風と違うか?」と言ったの。それで尿酸値測ったら痛風だったけど、薬飲んだら3日で治った」。

    しかし問題は、その後だった。「9月から出られるようになったんで、試合に出始めたらもう、やるたびにスリーパターなのよ。30センチを何度も外した。それでも来年に向けてのリハビリだと思ってやっていたんだけど、翌年になったら、それを目が覚えてたんだね。それから30センチのパターが入らなくなっちゃった」。

    ■全盛期を迎えていたプロ人生が暗転■

    75年にプロ入りし、79年の白竜湖オープンで初優勝。82年からずっとシード権を守ってきた男が、94年は出場できたのがわずかに16試合。そのうち11試合で予選落ちし、棄権も4試合に及んだ。賞金も日本プロマッチプレーの1回戦で室田淳に敗れての45万円だけで、ランキングは252位にまで落ちた。

    全盛期を迎えていたプロ人生が暗転。しかし試練はまだ続いた。ショートパットを外しても構わずに試合に出ていたことで、「それからパットがまったく入らなくなった。右手首をやわらかく動かないせいで、アプローチもまったく当たらなくなった。その後、手が治ったが、強烈なイップスになってしまった。

    94年の平均パット数は1.913で130位。30センチのミスが頭から離れず、手が動かない。見えない敵、イップスとの戦いが続いた。95年には長尺パターに活路を求め、平均パット数は1.829で90位まで改善したが、96年の開幕前には足首の腱を断裂、その後も腰痛、右肩痛、さらには職業病ともいえる左ヒザと、相次ぐ故障が追い打ちをかけた。

    ■2000年フジサンケイクラシックで訪れたビッグチャンス■

    それでも「何かを変えたい」と視力回復の手術を受けるなど、苦難の中でトンネルの出口を探した。99年の中日クラウンズ、日本プロでは初日トップで、ともに3位に入るなど復調の兆しが徐々に見え始めていた。

    そんな日々が続いたのち、2000年の春、フジサンケイクラシックでビッグチャンスがやってきた。「まだショットだけは、だれにも負けない」と言い切れるだけのショットが、屈指の難コース川奈で炸裂する。初日は70で首位の久保谷健一に1打差2位の好スタート。2日目も69で3位に踏ん張り、3日目も69でついに久保谷と並んで首位。7年2カ月ぶりの優勝が眼前にぶら下がった。

    最終日。「(イップスで)手が動かなくなったらなったで面白い」と半ば達観した表情で語ったジェットが、15番では手前から15メートルのロングパットをど真ん中から沈めてバーディ。2位との差を「2」から「3」に広げ、優勝へと突き進んだ。

    そして冒頭の18番。2パットなら優勝という場面で、6メートルのパットはカップの手前でわずかにスライスして10センチに止まった。

    外しようがない、タップインの位置まで寄せたファーストパット。その瞬間、ジェットは両手を天へと突きあげ、目をつぶった。最後は何のプレッシャーもない、最高のウィニングパットが残っていた。

    カップにボールが消えたとき、その顔に満面の笑みが広がった。ただ一人、4日間アンダーパーをマークして、実に177試合ぶりの15勝目。それはイップスで悩むゴルファーたちの心に、一筋の光となって差し込む1勝でもあった。(取材・構成/日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川 朗)
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