丸山大輔には、忘れられない1打がある。2003年8月11日。サンクロレラクラシック最終日、18番の3打目だ。
3日目を終えて通算8アンダー。矢野東と並んで首位に立ち、2打差で追ってくる大先輩、飯合肇と3人での最終組だった。終盤は激戦模様。1組前のブレンダン・ジョーンズが上がり4ホールで3バーディとして通算8アンダー。前の組の手島多一も同じスコアで先にホールアウトしていた。丸山は17番のバーディでトータル9アンダー。1打差の単独首位で迎えた最終ホールだった
初優勝がかかる18番は507ヤードのパー5。当時のこんなコメントが残っている。「少し気持ちの整理がつかないまま行ってしまった」。ティーショットは右のラフ。木がスタイミーになってグリーンは狙えない。
「(ピンまで)98ヤードの3打目をPSで打ってグリーンオーバー。アプローチをミスしてボギーにして、プレーオフでブレンダン・ジョーンズに負けたんです」。簡潔に振り返る様子に、20年近く経った今でも悔しい思いがにじむ。
「(3打目がグリーンを)オーバーしたのにはびっくりした。(3.5メートルのパー)パットを打つときは、焦って速く打っちゃった。優勝したことがなかったから。初優勝がかかっていると思うと冷静に打てなかった」。そう苦笑した。
結局、ジョーンズ、手嶋とのプレーオフも同じ18番で、ただ一人バーディを奪ったジョーンズが1ホール目で優勝を決めている。
32歳の悔しい敗北。これを糧にするための言葉をくれたのは、尾崎直道だった。「次に直道さんに会った時に言われたんです。『オマエ、右端のピンに斜めに打つとか考えなかったの?あんなときはキャディに歩測させたりしなくちゃ。返しのパット(5打目)だって、もっとじっくり仕切り直して打っていいんだよ』って」。この言葉が、大きな結果につながるのは2年後のことだ。
2005年フジサンケイクラシックは、川奈ホテルゴルフコース富士コース(静岡県)から、富士桜カントリー倶楽部に舞台を移した最初の開催だった。
3日目を終えてトータル13アンダーの丸山は、2位のI・J・ジャンに7打の大差をつける単独首位。今度こそ初優勝が狙える位置にいた。1バーディ、1ボギーで迎えた17番。後続との差は大きく開き、危なげないムードが漂っていた。それでも、丸山は忘れなかった。2年前の悔しい敗北と、直道からかけられたあの言葉を。
「17番で1メートルのバーディパットを1メートルオーバーさせちゃった。そこで(直道の言葉を)思い出して、じっくりと時間を取ってパーパットが打てました。勝負どころの間の取り方がわかって、納得いくように打てたんです」。ここをパーで切り抜けて、18番もパー。7打差を守り切った。“初優勝に最も近い男"と言われた丸山が、念願の勝利を手にした瞬間だった。
2013年のブリヂストンオープンでも、直道の言葉は丸山を支えた。2009年アジアパシフィックパナソニックオープンゴルフチャンピオンシップ・パナソニックオープンの2勝目から4年。42歳になった丸山は、前週までシード権が気になるような状態だった。だが、隅から隅まで知り尽くした地元、千葉県の袖ケ浦CC袖ケ浦Cでの戦いは、3日目が中止になった54ホールの短期決戦。最終日は、谷口徹、朴銀信と3人がトータル7アンダーで首位を並走する最終組だ。
ていねいにホールを重ねて、単独首位で迎えた18番。この大事な場面で、再び"金言“思い出す。左のバンカーからレイアップした3打目は「114ヤードでピッチングウエッジを持った。この時も、直道さんの言葉を思いだして、すごい落ち着いてできた」と、3メートルにつけて見事にバーディフィニッシュ。2位のI・J・ジャンに3打差で通算3勝目を手にした。
敗北から大きなものを得た丸山大輔のツアー3勝を支えた大切な言葉。2021年からシニアツアーを主戦場に戦う男は、新たなフィールドでもそれを忘れずに大事な場面を乗り越えるに違いない。(文・小川淳子)
3日目を終えて通算8アンダー。矢野東と並んで首位に立ち、2打差で追ってくる大先輩、飯合肇と3人での最終組だった。終盤は激戦模様。1組前のブレンダン・ジョーンズが上がり4ホールで3バーディとして通算8アンダー。前の組の手島多一も同じスコアで先にホールアウトしていた。丸山は17番のバーディでトータル9アンダー。1打差の単独首位で迎えた最終ホールだった
初優勝がかかる18番は507ヤードのパー5。当時のこんなコメントが残っている。「少し気持ちの整理がつかないまま行ってしまった」。ティーショットは右のラフ。木がスタイミーになってグリーンは狙えない。
「(ピンまで)98ヤードの3打目をPSで打ってグリーンオーバー。アプローチをミスしてボギーにして、プレーオフでブレンダン・ジョーンズに負けたんです」。簡潔に振り返る様子に、20年近く経った今でも悔しい思いがにじむ。
「(3打目がグリーンを)オーバーしたのにはびっくりした。(3.5メートルのパー)パットを打つときは、焦って速く打っちゃった。優勝したことがなかったから。初優勝がかかっていると思うと冷静に打てなかった」。そう苦笑した。
結局、ジョーンズ、手嶋とのプレーオフも同じ18番で、ただ一人バーディを奪ったジョーンズが1ホール目で優勝を決めている。
32歳の悔しい敗北。これを糧にするための言葉をくれたのは、尾崎直道だった。「次に直道さんに会った時に言われたんです。『オマエ、右端のピンに斜めに打つとか考えなかったの?あんなときはキャディに歩測させたりしなくちゃ。返しのパット(5打目)だって、もっとじっくり仕切り直して打っていいんだよ』って」。この言葉が、大きな結果につながるのは2年後のことだ。
2005年フジサンケイクラシックは、川奈ホテルゴルフコース富士コース(静岡県)から、富士桜カントリー倶楽部に舞台を移した最初の開催だった。
3日目を終えてトータル13アンダーの丸山は、2位のI・J・ジャンに7打の大差をつける単独首位。今度こそ初優勝が狙える位置にいた。1バーディ、1ボギーで迎えた17番。後続との差は大きく開き、危なげないムードが漂っていた。それでも、丸山は忘れなかった。2年前の悔しい敗北と、直道からかけられたあの言葉を。
「17番で1メートルのバーディパットを1メートルオーバーさせちゃった。そこで(直道の言葉を)思い出して、じっくりと時間を取ってパーパットが打てました。勝負どころの間の取り方がわかって、納得いくように打てたんです」。ここをパーで切り抜けて、18番もパー。7打差を守り切った。“初優勝に最も近い男"と言われた丸山が、念願の勝利を手にした瞬間だった。
2013年のブリヂストンオープンでも、直道の言葉は丸山を支えた。2009年アジアパシフィックパナソニックオープンゴルフチャンピオンシップ・パナソニックオープンの2勝目から4年。42歳になった丸山は、前週までシード権が気になるような状態だった。だが、隅から隅まで知り尽くした地元、千葉県の袖ケ浦CC袖ケ浦Cでの戦いは、3日目が中止になった54ホールの短期決戦。最終日は、谷口徹、朴銀信と3人がトータル7アンダーで首位を並走する最終組だ。
ていねいにホールを重ねて、単独首位で迎えた18番。この大事な場面で、再び"金言“思い出す。左のバンカーからレイアップした3打目は「114ヤードでピッチングウエッジを持った。この時も、直道さんの言葉を思いだして、すごい落ち着いてできた」と、3メートルにつけて見事にバーディフィニッシュ。2位のI・J・ジャンに3打差で通算3勝目を手にした。
敗北から大きなものを得た丸山大輔のツアー3勝を支えた大切な言葉。2021年からシニアツアーを主戦場に戦う男は、新たなフィールドでもそれを忘れずに大事な場面を乗り越えるに違いない。(文・小川淳子)