2009年5月31日。その日を兼本貴司は鮮明に覚えている。三菱ダイヤモンドカップ最終日。首位に2打差2位タイから、初優勝をかけて臨んだ最終組だった。
プロ17年目の38歳。1999年に賞金ランキング68位で滑り込みの初シードを獲得したが、06年にシード落ちしたあと、中嶋常幸の門を叩く。トレーニングや練習を一緒にする中で球筋をドローからフェードに替えて翌07年にふたたびシード選手として返り咲いた。「いつ優勝するの?」と、中嶋から言われている頃でもあった。
「調子もあんまりよくなかったんです。でも、ちょうどこの週からシャフトをやわらかいものに変えたらしっくりくるようになって」と迎えた大会の舞台は大洗GC(茨城県)。日本オープンも開催しているタフなコースは、松林の上を吹き抜ける太平洋からの風が曲者だ。第2ラウンドが特に難しかった。大会公式発表では、北東から秒速7メートルの風となっているが、瞬間的にははるかに強い風が吹いた。「瞬間最大風速19メートル」と、兼本が記憶しているほどの1日だった。
防風林でもある松林に守られた場所とそうでない場所で風の流れが微妙に違う。高い球が松林の上に出た瞬間に風の影響を大きく受けるコンディションは、大洗ではおなじみだ。ただ一人、イーブンパーでプレーしたチャワリット・プラポール(タイ)がトータル1アンダーで首位に立ったが、兼本も「パターが入ったので安心できました」と、4オーバーで耐え、トータル4オーバーで32位タイから16位タイにジワリと順位を上げる。
風が弱まった3日目は4アンダー。首位のブレンダン・ジョーンズ(オーストラリア)とは2打差のトータルイーブンパーで、中嶋常幸、プラポールと並ぶ2位タイにつけた。
初優勝の絶好のチャンス。だが、本人にそんな意識はまったくといっていいほどなかった。米ツアーも経験し、07,08年と日本ツアーのバーディー数No1。通算8勝のジョーンズに対し「胸を借りる気持ちでした。ブレンダン相手にどこまでできるのかワクワクしていた。大洗で(通算)イーブンなら悪くない」と肩の力は抜けていた。
同じ最終組に、日頃から親しい中嶋がいるのも、心強かった。「話をする相手がいるのはよかったですね」といつも通りにスタートした。2番パー5は兼本、ジョーンズともにバーディ。ジョーンズの3番ボギーで差は1打に縮まる。兼本は5番バーディで首位に並ぶと、6番もバーディで単独首位。ジョーンズが7番バーディで再び追いつき、9番も取ってトータル4アンダーのジョーンズが首位を奪い返す。フロントナインは手に汗握る展開だった。
兼本はスコアを「あまり見ていなかった」と、1打1打に集中していた。「大きかったのは5番、6番(の連続バーディ)。前半、ブレンダンはパットが全然入っていないな、という印象でした。オレのほうが入っていた。9番でブレンダンがバーディ?1打差?意識してません」。両者一歩も譲らず、バックナインに突入する。
ジョーンズがバーディの10番で、兼本は初めてボギー。差が3打に広がったが、この時もボードは見ていない。高い集中力を保ったまま迎えた12番は380ヤードの短いパー4。「2番アイアンのティショット、ピッチングウェッジのセカンドが絶好の位置に打てた。右手前から4メートルのフックラインがはっきり見えて入った。3つ(のショット)ともよかった」と、手応えのあるプレーでトータル3アンダーだ。
一方のジョーンズは、前半、兼本が感じたようにパットがことごとく決まらず、11番以降はパーを重ねるガマンのゴルフを強いられる。それを尻目に、自分のプレーを続けた兼本は、15番パー5のバーディで1打差に迫る。
迎えた16番は245ヤードの長いパー3。アゲンストに感じられたが、オナーの中嶋が3番ユーティリティでグリーンオーバーするのを見て、兼本はランの出る2番から3番アイアンに持ち替えてティショットを放つ。これがホールインワンになりそうなスーパーショットで、この日6つ目のバーディ。トータル5アンダーでついにジョーンズをとらえた。
ジョーンズもそのまま耐えきり、勝負はプレーオフへ。この時、兼本の心をよぎったのは「これで2位は確定した」という安心感だった。大会前までは、3試合で予選通過が1試合だけ。獲得賞金が30万円にも満たない状況が気になっていたからだ。2人のプレーオフなら、勝てなくても単独2位。1500万円の賞金が入ってくる。これで気持ちが楽になった。
「中嶋さんに『運があれば勝てるよ』と言われて」送り出されたプレーオフは、18番の繰り返し。最初の2ホールはどちらもパー。3ホール目にピン位置が切り替えられた。「パーだと勝てない。勝つなら狙ってバーディしかない。ようやく勝つ方向に頭が働いた」と、スイッチが入った。
3ホール目のティショット。「シビアなピン位置だけど緊張しながらでもいい球が打ちたかった。風がまっすぐかと思ったら、右からのフォローに変わっていた。ドローで攻めて曲がりすぎて(左)バンカーにつかまってしまった。ブレンダンはフェアウェイにいたから、行くしかない」と決断。バンカーから残り186ヤードを7番アイアンで「しっかり目に」打った。「ラインより気持ち右に出て、フィニッシュが崩れてドローがかかった球がピンに重なった。『近くに行ったな。勝つなら今しかない』と思った」と、明確に勝ちに行く。
「2.5メートルくらいあったかな」という兼本より、やや長いバーディに臨むジョーンズを見て「(今日は)パットが入ってないからたぶん外れる」と、自分の番を待っていた。
その瞬間「オレが勝った」と思って臨んだウイニングパッは「ボール1コ左にはずすかはずさないか。ラインもはっきり見えていたから」と、しっかりと沈めてバーディ。「やっとこの日が来たか」と、初優勝の喜びに涙した。
「一皮むけたな、と晴れ間がのぞきました。勝てたうれしさと同時に、また1勝しなくちゃ」プロの宿命を感じた大洗での激戦。中嶋にビールかけで祝福され、びしょ濡れの服のまま抱きついて一緒にびしょ濡れにした記憶。翌週も同じ茨城県で試合があったが、すぐに心配をかけた両親に優勝の報告をするために広島に帰った。
涙の初優勝は、翌2010年のThe Chanpionship by Lexusでの2勝目、さらには現在プレーするシニアツアーにつながっている。(文・小川淳子)
プロ17年目の38歳。1999年に賞金ランキング68位で滑り込みの初シードを獲得したが、06年にシード落ちしたあと、中嶋常幸の門を叩く。トレーニングや練習を一緒にする中で球筋をドローからフェードに替えて翌07年にふたたびシード選手として返り咲いた。「いつ優勝するの?」と、中嶋から言われている頃でもあった。
「調子もあんまりよくなかったんです。でも、ちょうどこの週からシャフトをやわらかいものに変えたらしっくりくるようになって」と迎えた大会の舞台は大洗GC(茨城県)。日本オープンも開催しているタフなコースは、松林の上を吹き抜ける太平洋からの風が曲者だ。第2ラウンドが特に難しかった。大会公式発表では、北東から秒速7メートルの風となっているが、瞬間的にははるかに強い風が吹いた。「瞬間最大風速19メートル」と、兼本が記憶しているほどの1日だった。
防風林でもある松林に守られた場所とそうでない場所で風の流れが微妙に違う。高い球が松林の上に出た瞬間に風の影響を大きく受けるコンディションは、大洗ではおなじみだ。ただ一人、イーブンパーでプレーしたチャワリット・プラポール(タイ)がトータル1アンダーで首位に立ったが、兼本も「パターが入ったので安心できました」と、4オーバーで耐え、トータル4オーバーで32位タイから16位タイにジワリと順位を上げる。
風が弱まった3日目は4アンダー。首位のブレンダン・ジョーンズ(オーストラリア)とは2打差のトータルイーブンパーで、中嶋常幸、プラポールと並ぶ2位タイにつけた。
初優勝の絶好のチャンス。だが、本人にそんな意識はまったくといっていいほどなかった。米ツアーも経験し、07,08年と日本ツアーのバーディー数No1。通算8勝のジョーンズに対し「胸を借りる気持ちでした。ブレンダン相手にどこまでできるのかワクワクしていた。大洗で(通算)イーブンなら悪くない」と肩の力は抜けていた。
同じ最終組に、日頃から親しい中嶋がいるのも、心強かった。「話をする相手がいるのはよかったですね」といつも通りにスタートした。2番パー5は兼本、ジョーンズともにバーディ。ジョーンズの3番ボギーで差は1打に縮まる。兼本は5番バーディで首位に並ぶと、6番もバーディで単独首位。ジョーンズが7番バーディで再び追いつき、9番も取ってトータル4アンダーのジョーンズが首位を奪い返す。フロントナインは手に汗握る展開だった。
兼本はスコアを「あまり見ていなかった」と、1打1打に集中していた。「大きかったのは5番、6番(の連続バーディ)。前半、ブレンダンはパットが全然入っていないな、という印象でした。オレのほうが入っていた。9番でブレンダンがバーディ?1打差?意識してません」。両者一歩も譲らず、バックナインに突入する。
ジョーンズがバーディの10番で、兼本は初めてボギー。差が3打に広がったが、この時もボードは見ていない。高い集中力を保ったまま迎えた12番は380ヤードの短いパー4。「2番アイアンのティショット、ピッチングウェッジのセカンドが絶好の位置に打てた。右手前から4メートルのフックラインがはっきり見えて入った。3つ(のショット)ともよかった」と、手応えのあるプレーでトータル3アンダーだ。
一方のジョーンズは、前半、兼本が感じたようにパットがことごとく決まらず、11番以降はパーを重ねるガマンのゴルフを強いられる。それを尻目に、自分のプレーを続けた兼本は、15番パー5のバーディで1打差に迫る。
迎えた16番は245ヤードの長いパー3。アゲンストに感じられたが、オナーの中嶋が3番ユーティリティでグリーンオーバーするのを見て、兼本はランの出る2番から3番アイアンに持ち替えてティショットを放つ。これがホールインワンになりそうなスーパーショットで、この日6つ目のバーディ。トータル5アンダーでついにジョーンズをとらえた。
ジョーンズもそのまま耐えきり、勝負はプレーオフへ。この時、兼本の心をよぎったのは「これで2位は確定した」という安心感だった。大会前までは、3試合で予選通過が1試合だけ。獲得賞金が30万円にも満たない状況が気になっていたからだ。2人のプレーオフなら、勝てなくても単独2位。1500万円の賞金が入ってくる。これで気持ちが楽になった。
「中嶋さんに『運があれば勝てるよ』と言われて」送り出されたプレーオフは、18番の繰り返し。最初の2ホールはどちらもパー。3ホール目にピン位置が切り替えられた。「パーだと勝てない。勝つなら狙ってバーディしかない。ようやく勝つ方向に頭が働いた」と、スイッチが入った。
3ホール目のティショット。「シビアなピン位置だけど緊張しながらでもいい球が打ちたかった。風がまっすぐかと思ったら、右からのフォローに変わっていた。ドローで攻めて曲がりすぎて(左)バンカーにつかまってしまった。ブレンダンはフェアウェイにいたから、行くしかない」と決断。バンカーから残り186ヤードを7番アイアンで「しっかり目に」打った。「ラインより気持ち右に出て、フィニッシュが崩れてドローがかかった球がピンに重なった。『近くに行ったな。勝つなら今しかない』と思った」と、明確に勝ちに行く。
「2.5メートルくらいあったかな」という兼本より、やや長いバーディに臨むジョーンズを見て「(今日は)パットが入ってないからたぶん外れる」と、自分の番を待っていた。
その瞬間「オレが勝った」と思って臨んだウイニングパッは「ボール1コ左にはずすかはずさないか。ラインもはっきり見えていたから」と、しっかりと沈めてバーディ。「やっとこの日が来たか」と、初優勝の喜びに涙した。
「一皮むけたな、と晴れ間がのぞきました。勝てたうれしさと同時に、また1勝しなくちゃ」プロの宿命を感じた大洗での激戦。中嶋にビールかけで祝福され、びしょ濡れの服のまま抱きついて一緒にびしょ濡れにした記憶。翌週も同じ茨城県で試合があったが、すぐに心配をかけた両親に優勝の報告をするために広島に帰った。
涙の初優勝は、翌2010年のThe Chanpionship by Lexusでの2勝目、さらには現在プレーするシニアツアーにつながっている。(文・小川淳子)