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    北の大地で決めた!天国の母に送るツアー初優勝【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2022年7月5日 23時00分

    • JGTO
    優勝を決めてようやく安ど
    優勝を決めてようやく安ど (撮影:ALBA)
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    前日の晴れた空とはうって変わって、頭上には重い雲が垂れ込めていた。それは弱冠25歳、ツアー未勝利である横田真一の心境にも似ていた。札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの18番。3段グリーンの1番上の段に切られたカップの、さらに上1メートル強の距離が残ったウイニングパット。これを決めることは、横田にとって重要な意味を持っていた。1年近くになる初優勝に向けての戦いに、ようやくピリオドが打つことも意味していたからだ。横田は、ゆっくりとそのパットのアドレスに入った――。

    話は約1年前、1996年の10月15日までさかのぼる。ブリヂストンオープン(千葉・袖ヶ浦CC袖ヶ浦C)の開幕を2日後に控えた火曜日の晩のことだ。「(母親の瑞枝さんが)家に帰ると黄色い顔して寝込んでいた。それで翌日病院に連れて行ったら、『末期のがんで余命半年』と言われたんです」。

    衝撃を受けるとともに、横田は「頑張らなきゃ」と一念発起。ブリヂストンの初日は8バーディ、1ボギーの「65」を叩き出す。しかし初優勝が、そう簡単に転がり込んでくるものでもない。結局この試合は10位タイに終わった。

    デビューシーズンから2年連続のシード獲得を決め、迎えた1997年のシーズン。「4月19日に母親が死ぬときに『私が死んだら、あんた優勝するよ』と言ったんです」(横田)。チャンスは約1か月後の日本プロ(茨城・セントラルGC西C)でやってきた。初日から68-69-66と好スコアを並べトータル13アンダーで首位タイに並んだ。しかし最終日は「自滅の格好」で「76」を叩く。9位に終わり霊前に優勝を報告することはできなかった。

    しかしこの経験が、次のチャンスで見事に生きる。9月の全日空オープンは初日に「68」で2打差2位の好スタート。2日目は母の余命宣告を聞いた直後のブリヂストン初日以来となる、「65」をマークして単独首位に立った。3日目は2バーディ、2ボギーのパープレーと、苦しみながらも秋葉真一とトータル11アンダーで首位に並んだ。

    勝負の最終日。ここで横田は5月の日本プロで「緊張して失敗した」経験を生かし「とにかく少年時代を思い出して、楽しくやる」ことに徹する。「実は子供の頃、よく自分で自分のプレーを実況中継しながらやっていた。『さあ、横田、2メートルのバーディパット。難しいパットですね〜』なんてね。それを再現して、周りに聞こえない程度の、小さな声で呟きながらやっていた。自分を俯瞰して見ることが出来て、リラックスして出来たんです」。

    東京都出身だが育ちは自然豊かな「高尾に近い八王子」。東浅川小学校時代は空き地でゴルフ大会。「トラックの資材置き場とか、ジャノメ(ミシン)のグラウンド、養鶏場の脇の300ヤードの空き地など、まあよく人んちでゴルフやってましたね。カップは缶カラです。神社の境内越えとか、グラウンドのサッカーゴール越えとかゴルフコースは4つぐらいありました。クラスの半分くらいは、僕のせいで『趣味はゴルフ』です。日曜日になると百円くらい出し合って、優勝賞品グローブとかにして、ゴルフコンペやってました。その時に、実況中継しながらやっていたんです」。

    その記憶が最終日前半のプレーに生きた。2番で左の林に入れたが「ナイスボギー」(横田)で切り抜けると、3番からは怒涛の3連続バーディ。7番では「ポアナが混じっていて難しいグリーンだけど、ちょっと引っかかったのが、ガ・ガ・ガとスライスがかかって」カップに消えバーディ。9番でもバーディを奪い、アウトを32。通算15アンダーで2位に3打差をつけて折り返した。

    12番でも右のバンカーに入れながら、1メートルにつけてこの日6個目のバーディ。ゾー・モウと尾崎健夫が猛追したが、横田との差を詰められない。しかし大詰めへと差し掛かると、初優勝の重圧が忍び寄る。

    16番で右奥2メートルのバーディチャンスを決められず2パットのパー。17番ではティーショットを左の林にぶち込んだ。しかしこのピンチを切り抜ける。「残り130ヤードくらいを8番アイアンでうまく木の間を抜くことが出来て」2オンに成功。「でも1.5メートル、上からのパーパットはすごく緊張していた」。パットは見事に決まったものの、胸中は穏やかではなかった。「あれは自分でも、良く入ったと思う。(ラウンド)解説の青木功さんも17番グリーンで『横田、顔が白くなってきちゃったよ』と言っていたらしいですから」。

    青木も、血の気の引いた横田の顔を間近に見て、重圧に苦しむ横田の心境を感じ取っていたわけだ。「ちょっと横田君がそわそわしてますよ。(パットが決まって)うれしいんだけど、ジェスチャーが出ないね。ハラハラしてるんだと思う」と18番に向かう横田の心境をおもんばかった。

    だが横田はすさまじい重圧を感じながらも、最終18番のティショットできっちりとフェアウェイをとらえる。「目いっぱいこのホールをやろうと、切り替えたかもしれないね。思い切りがいいよ。2ストローク差(に迫られている)というのを、全然感じさせないショットだった」と青木も絶賛する1打だった。

    こうなると追う立場のゾー・モウは苦しい。フェアウェイからの2打目を大きくプッシュアウトして、グリーンの右に外してしまう。それを見た横田は第2打を3段グリーンの2段目に手堅く2オン。ところが、祝福に駆け付けたツアーの先輩である丸山茂樹、深堀圭一郎、水城高校の後輩である片山晋呉らの前で手前10メートル弱のパットを、約1メートルもオーバーしてしまった。

    そこからが、冒頭のワンシーン。このパットも、「刻まなきゃいけないのに(重圧から)手がパッと動いちゃった。(このパットが入らず)4パットだったらやばかった」とひやりとしながらも、ボールはカップに吸い込まれた。

    「私が死んだら、あんたが勝つよ」という母の遺言が、わずか5か月後に実現した瞬間だった。この時の心境を、横田はこんな言葉で振り返った。「母親が、(優勝を)くれたんだな、と思いましたね」。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
    前日の晴れた空とはうって変わって、頭上には重い雲が垂れ込めていた。それは弱冠25歳、ツアー未勝利である横田真一の心境にも似ていた。札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの18番。3段グリーンの1番上の段に切られたカップの、さらに上1メートル強の距離が残ったウイニングパット。これを決めることは、横田にとって重要な意味を持っていた。1年近くになる初優勝に向けての戦いに、ようやくピリオドが打つことも意味していたからだ。横田は、ゆっくりとそのパットのアドレスに入った――。

    話は約1年前、1996年の10月15日までさかのぼる。ブリヂストンオープン(千葉・袖ヶ浦CC袖ヶ浦C)の開幕を2日後に控えた火曜日の晩のことだ。「(母親の瑞枝さんが)家に帰ると黄色い顔して寝込んでいた。それで翌日病院に連れて行ったら、『末期のがんで余命半年』と言われたんです」。

    衝撃を受けるとともに、横田は「頑張らなきゃ」と一念発起。ブリヂストンの初日は8バーディ、1ボギーの「65」を叩き出す。しかし初優勝が、そう簡単に転がり込んでくるものでもない。結局この試合は10位タイに終わった。

    デビューシーズンから2年連続のシード獲得を決め、迎えた1997年のシーズン。「4月19日に母親が死ぬときに『私が死んだら、あんた優勝するよ』と言ったんです」(横田)。チャンスは約1か月後の日本プロ(茨城・セントラルGC西C)でやってきた。初日から68-69-66と好スコアを並べトータル13アンダーで首位タイに並んだ。しかし最終日は「自滅の格好」で「76」を叩く。9位に終わり霊前に優勝を報告することはできなかった。

    しかしこの経験が、次のチャンスで見事に生きる。9月の全日空オープンは初日に「68」で2打差2位の好スタート。2日目は母の余命宣告を聞いた直後のブリヂストン初日以来となる、「65」をマークして単独首位に立った。3日目は2バーディ、2ボギーのパープレーと、苦しみながらも秋葉真一とトータル11アンダーで首位に並んだ。

    勝負の最終日。ここで横田は5月の日本プロで「緊張して失敗した」経験を生かし「とにかく少年時代を思い出して、楽しくやる」ことに徹する。「実は子供の頃、よく自分で自分のプレーを実況中継しながらやっていた。『さあ、横田、2メートルのバーディパット。難しいパットですね〜』なんてね。それを再現して、周りに聞こえない程度の、小さな声で呟きながらやっていた。自分を俯瞰して見ることが出来て、リラックスして出来たんです」。

    東京都出身だが育ちは自然豊かな「高尾に近い八王子」。東浅川小学校時代は空き地でゴルフ大会。「トラックの資材置き場とか、ジャノメ(ミシン)のグラウンド、養鶏場の脇の300ヤードの空き地など、まあよく人んちでゴルフやってましたね。カップは缶カラです。神社の境内越えとか、グラウンドのサッカーゴール越えとかゴルフコースは4つぐらいありました。クラスの半分くらいは、僕のせいで『趣味はゴルフ』です。日曜日になると百円くらい出し合って、優勝賞品グローブとかにして、ゴルフコンペやってました。その時に、実況中継しながらやっていたんです」。

    その記憶が最終日前半のプレーに生きた。2番で左の林に入れたが「ナイスボギー」(横田)で切り抜けると、3番からは怒涛の3連続バーディ。7番では「ポアナが混じっていて難しいグリーンだけど、ちょっと引っかかったのが、ガ・ガ・ガとスライスがかかって」カップに消えバーディ。9番でもバーディを奪い、アウトを32。通算15アンダーで2位に3打差をつけて折り返した。

    12番でも右のバンカーに入れながら、1メートルにつけてこの日6個目のバーディ。ゾー・モウと尾崎健夫が猛追したが、横田との差を詰められない。しかし大詰めへと差し掛かると、初優勝の重圧が忍び寄る。

    16番で右奥2メートルのバーディチャンスを決められず2パットのパー。17番ではティーショットを左の林にぶち込んだ。しかしこのピンチを切り抜ける。「残り130ヤードくらいを8番アイアンでうまく木の間を抜くことが出来て」2オンに成功。「でも1.5メートル、上からのパーパットはすごく緊張していた」。パットは見事に決まったものの、胸中は穏やかではなかった。「あれは自分でも、良く入ったと思う。(ラウンド)解説の青木功さんも17番グリーンで『横田、顔が白くなってきちゃったよ』と言っていたらしいですから」。

    青木も、血の気の引いた横田の顔を間近に見て、重圧に苦しむ横田の心境を感じ取っていたわけだ。「ちょっと横田君がそわそわしてますよ。(パットが決まって)うれしいんだけど、ジェスチャーが出ないね。ハラハラしてるんだと思う」と18番に向かう横田の心境をおもんばかった。

    だが横田はすさまじい重圧を感じながらも、最終18番のティショットできっちりとフェアウェイをとらえる。「目いっぱいこのホールをやろうと、切り替えたかもしれないね。思い切りがいいよ。2ストローク差(に迫られている)というのを、全然感じさせないショットだった」と青木も絶賛する1打だった。

    こうなると追う立場のゾー・モウは苦しい。フェアウェイからの2打目を大きくプッシュアウトして、グリーンの右に外してしまう。それを見た横田は第2打を3段グリーンの2段目に手堅く2オン。ところが、祝福に駆け付けたツアーの先輩である丸山茂樹、深堀圭一郎、水城高校の後輩である片山晋呉らの前で手前10メートル弱のパットを、約1メートルもオーバーしてしまった。

    そこからが、冒頭のワンシーン。このパットも、「刻まなきゃいけないのに(重圧から)手がパッと動いちゃった。(このパットが入らず)4パットだったらやばかった」とひやりとしながらも、ボールはカップに吸い込まれた。

    「私が死んだら、あんたが勝つよ」という母の遺言が、わずか5か月後に実現した瞬間だった。この時の心境を、横田はこんな言葉で振り返った。「母親が、(優勝を)くれたんだな、と思いましたね」。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
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