1982年。第111回全英オープンの舞台はスコットランド・ロイヤル・トゥルーンGC。スコットランド特有の強風を覚悟していた各選手が拍子抜けする穏やかなコンディションでの幕開けとなり、前半2日間は米国の22歳、ボビー・クランペットが飛び出した。当時、クランペットは「ゴルフィング・マシーン理論」の体現者として注目を集めており、初日は「67」、2日目も「66」をマークしてトータル11アンダーと独走態勢。2位のニック・プライス(ジンバブエ)に5打差をつけ、単独首位で決勝ラウンドへと突入した。
この年、26歳の倉本昌弘は初日、2日目と米国の生んだスーパースター、アーノルド・パーマーとのラウンド。常に「アーニーズ・アーミー」と呼ばれる熱狂的な大ギャラリーを引き連れているパーマーといえども、この時52歳。さすがに往年のようには行かない。それでも、20年前にこのトゥルーンで開催された全英で優勝しており、同コースの名誉会員となり表彰を受けて大会に臨んでおり、この組の注目度は抜群だった。
そんなパーマーを、倉本は冷静に見つめていた。「さすがに貫録があってすごいけど、年齢の衰えは感じました。でもパーマー人気でロストボールがなくていい」と冗談を言いながら、予選2日間をイーブンパーにまとめ、13位で前半を折り返した。
3日目も倉本は好調を維持してトータル1アンダーの6位タイに浮上。首位のクランペットとの差は4打まで詰まった。最終日はトータル2アンダーの単独5位につけた「新帝王」トム・ワトソンとのラウンドとなった。
当時のワトソンは、文字通り「世界最強」との評価を受けており、開幕前の予想オッズもワトソンが4-1でトップ。2位は「帝王」ジャック・ニクラウスで5-1、3位は「スペインの星」セベ・バレステロスで11-1となっていた。
ちょうど1か月前、ペブルビーチGL(カリフォルニア州)で行われた全米オープンで、ワトソンはニクラウスと壮絶な一騎打ちを演じ、優勝を飾ったばかりだった。17番でニクラウスに引導を渡す劇的なチップインは、今も伝説の名勝負として語り継がれている。
最終日の倉本は、いきなり1番で左のフェアウェイバンカーに打ち込みボギーを先行させたものの、2番で1メートルを決めてすかさずバーディを奪い返す。6番パー5でも3メートルをねじ込みバーディ。ワトソンと並んだままサンデーバックナインへと突入した。
この時点で優勝は、倉本が手を伸ばせば、すぐ届くところにあるかに見えた。だが11番、440ヤードのパー5で、大きなターニングポイントが訪れた。まず倉本が豪快なドライバーショットで2オン可能な最高のポジションに運んだ。そこにワトソンが、測ったように正確なティーショットを運んできた。1ヤードにも満たない距離ながら、ワトソンがわずかにアウトドライブした。
ここで、倉本は2番アイアンでグリーンをわずかに外した。その直後、ワトソンが3番アイアンで強烈なショットを見せ、1メートルにピタリと寄せた。これを難なく沈めてイーグルを奪ったワトソンは、一気に首位タイへ。パターで寄せて、バーディの倉本の、1歩先を行った。
この後、倉本は14番で3パットのボギー。優勝へとひた走るワトソンとの差は2打に開き、結局この差を詰めることはできずに終わった。ワトソンの優勝スコアは4アンダー。倉本は2打差4位のフィニッシュとなった。しかし青木功が保持していた7位の日本人最高位記録を塗り替え、優勝へあと1歩と迫る大健闘とあって、日本は大騒ぎとなっていた。
だが、倉本自身は冷静だった。「やっている間はもちろん負けたくないと思ってやっているけど、客観的に見れば勝てるような状況では、なかった。11番のセカンドショットも、こっちは2番アイアンで止めきれないから『止められないな』と思って打っているのに、ワトソンは3番アイアンの高いドローで球止めてイーグル取っているという…。結果的に2ストロークだけど。それ以上の差があったと思うよ」。
まさに絶頂期。わずか1か月の間に全米オープン、全英オープンを一気に連勝したワトソン。その強さを、倉本は目の前で見せつけられた。「すべてにおいてトップレベルだった。ティショットもうまかった。ドライバーは基本的にすべてドロー。しかもセカンドの距離感がすごかったよね。アイアンも高いドローで、球も止まったし。一緒に回っていたから、すごさもよく分かった。終わってみると、これは、かなわないかな、という感じだった」。
とはいえその後40年。中嶋常幸、友利勝良、丸山茂樹ら多くの日本人選手が全英制覇に近付いたかに見えたが、結局最終日に失速し倉本の4位のベストフィニッシュを塗り替えることができていない。
「2000年くらいまでの間は、日本勢が勝つチャンスは十分にあった。でも今年の全英を見ていると、難しくなりましたね。あんなに球が飛んじゃうとね。4つもワンオンできるパー4があるとね。昔ほど風も吹かなくなったし。今のボールだと、昔ほどには風に流されないし。ゴルフが違う、と感じますね」。
とはいえ、何とかならないものなのか。スコットランドのコースを、いかにして戦うべきか、倉本にその秘訣を聞いてみた。「全英のコースは、グリーンの硬さ、フェアウェイの硬さというのがあって、そこで風が吹くのでこの辺で止まっているだろう、と思っていたボールが、バウンドする場所によっては、とんでもなく先まで飛んでしまっていることがある。そういうことが1回、2回あってもめげずに、我慢し続けられるかです。だから全英のコースは、アゲンストよりも、フォローの方が難しい。だから、風上からじゃなく、いかに風下から攻めるかだよね」。
2週後には、ミュアフィールドでの全英女子オープンが待っている。日本の女子に、チャンスはあるのか。「他のコースよりも、やり易いんじゃないですかね。先週のエビアン同様、距離だけじゃなく方向性が大事なコースですから」。40年に渡り日本人最高位を維持してきた倉本の言葉。ミュアフィールドに挑む選手たちの心にも、響くアドバイスに違いない。(日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
この年、26歳の倉本昌弘は初日、2日目と米国の生んだスーパースター、アーノルド・パーマーとのラウンド。常に「アーニーズ・アーミー」と呼ばれる熱狂的な大ギャラリーを引き連れているパーマーといえども、この時52歳。さすがに往年のようには行かない。それでも、20年前にこのトゥルーンで開催された全英で優勝しており、同コースの名誉会員となり表彰を受けて大会に臨んでおり、この組の注目度は抜群だった。
そんなパーマーを、倉本は冷静に見つめていた。「さすがに貫録があってすごいけど、年齢の衰えは感じました。でもパーマー人気でロストボールがなくていい」と冗談を言いながら、予選2日間をイーブンパーにまとめ、13位で前半を折り返した。
3日目も倉本は好調を維持してトータル1アンダーの6位タイに浮上。首位のクランペットとの差は4打まで詰まった。最終日はトータル2アンダーの単独5位につけた「新帝王」トム・ワトソンとのラウンドとなった。
当時のワトソンは、文字通り「世界最強」との評価を受けており、開幕前の予想オッズもワトソンが4-1でトップ。2位は「帝王」ジャック・ニクラウスで5-1、3位は「スペインの星」セベ・バレステロスで11-1となっていた。
ちょうど1か月前、ペブルビーチGL(カリフォルニア州)で行われた全米オープンで、ワトソンはニクラウスと壮絶な一騎打ちを演じ、優勝を飾ったばかりだった。17番でニクラウスに引導を渡す劇的なチップインは、今も伝説の名勝負として語り継がれている。
最終日の倉本は、いきなり1番で左のフェアウェイバンカーに打ち込みボギーを先行させたものの、2番で1メートルを決めてすかさずバーディを奪い返す。6番パー5でも3メートルをねじ込みバーディ。ワトソンと並んだままサンデーバックナインへと突入した。
この時点で優勝は、倉本が手を伸ばせば、すぐ届くところにあるかに見えた。だが11番、440ヤードのパー5で、大きなターニングポイントが訪れた。まず倉本が豪快なドライバーショットで2オン可能な最高のポジションに運んだ。そこにワトソンが、測ったように正確なティーショットを運んできた。1ヤードにも満たない距離ながら、ワトソンがわずかにアウトドライブした。
ここで、倉本は2番アイアンでグリーンをわずかに外した。その直後、ワトソンが3番アイアンで強烈なショットを見せ、1メートルにピタリと寄せた。これを難なく沈めてイーグルを奪ったワトソンは、一気に首位タイへ。パターで寄せて、バーディの倉本の、1歩先を行った。
この後、倉本は14番で3パットのボギー。優勝へとひた走るワトソンとの差は2打に開き、結局この差を詰めることはできずに終わった。ワトソンの優勝スコアは4アンダー。倉本は2打差4位のフィニッシュとなった。しかし青木功が保持していた7位の日本人最高位記録を塗り替え、優勝へあと1歩と迫る大健闘とあって、日本は大騒ぎとなっていた。
だが、倉本自身は冷静だった。「やっている間はもちろん負けたくないと思ってやっているけど、客観的に見れば勝てるような状況では、なかった。11番のセカンドショットも、こっちは2番アイアンで止めきれないから『止められないな』と思って打っているのに、ワトソンは3番アイアンの高いドローで球止めてイーグル取っているという…。結果的に2ストロークだけど。それ以上の差があったと思うよ」。
まさに絶頂期。わずか1か月の間に全米オープン、全英オープンを一気に連勝したワトソン。その強さを、倉本は目の前で見せつけられた。「すべてにおいてトップレベルだった。ティショットもうまかった。ドライバーは基本的にすべてドロー。しかもセカンドの距離感がすごかったよね。アイアンも高いドローで、球も止まったし。一緒に回っていたから、すごさもよく分かった。終わってみると、これは、かなわないかな、という感じだった」。
とはいえその後40年。中嶋常幸、友利勝良、丸山茂樹ら多くの日本人選手が全英制覇に近付いたかに見えたが、結局最終日に失速し倉本の4位のベストフィニッシュを塗り替えることができていない。
「2000年くらいまでの間は、日本勢が勝つチャンスは十分にあった。でも今年の全英を見ていると、難しくなりましたね。あんなに球が飛んじゃうとね。4つもワンオンできるパー4があるとね。昔ほど風も吹かなくなったし。今のボールだと、昔ほどには風に流されないし。ゴルフが違う、と感じますね」。
とはいえ、何とかならないものなのか。スコットランドのコースを、いかにして戦うべきか、倉本にその秘訣を聞いてみた。「全英のコースは、グリーンの硬さ、フェアウェイの硬さというのがあって、そこで風が吹くのでこの辺で止まっているだろう、と思っていたボールが、バウンドする場所によっては、とんでもなく先まで飛んでしまっていることがある。そういうことが1回、2回あってもめげずに、我慢し続けられるかです。だから全英のコースは、アゲンストよりも、フォローの方が難しい。だから、風上からじゃなく、いかに風下から攻めるかだよね」。
2週後には、ミュアフィールドでの全英女子オープンが待っている。日本の女子に、チャンスはあるのか。「他のコースよりも、やり易いんじゃないですかね。先週のエビアン同様、距離だけじゃなく方向性が大事なコースですから」。40年に渡り日本人最高位を維持してきた倉本の言葉。ミュアフィールドに挑む選手たちの心にも、響くアドバイスに違いない。(日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)