四国で初開催となった伝統のプロ日本一決定戦。愛媛ゴルフ倶楽部でのクライマックスを前に、役者も揃っていた。3日目を終えての14アンダー・単独首位の座に、四国が生んだスーパースター・徳島出身のジャンボ尾崎がどっかりと座った。そのジャンボと1打差の2位につけたのは85、86年と賞金王に輝いている中嶋常幸(当時は中島、以下同じ)。同じ組の芹澤信雄とともに13アンダーでホールアウトしたが、先にスコアカードを提出。あえて尾崎との直接対決を選択した(編集部注:男子ツアーは提出順で翌日の組み合わせが決まる)。
4打差に9人がひしめく大混戦。最終組の1組前には、すでに1985年の日本プロ(茨城・セントラル西)を制しているジャンボの次弟・ジェット尾崎も2打差の6位につけていた。小雨の降るあいにくのコンディションとなったが、1万6225人もの大ギャラリーが詰めかけていることが注目度の高さを証明していた。
試合がサンデーバックナインに入ると、地元四国のファンにとっては期待を上回る展開となる。ターニング・ポイントは13番、200ヤードのパー3だった。ジェットの4番アイアンから放たれたティショットは、グリーンの右に外れるも約10メートルのPS(ピッチングサンド)でのアプローチが直接カップに吸い込まれる。トータル17アンダーとなり、この時点でジャンボとの差は「1」に詰まる。中嶋には逆に1打差を付けた形になった。
この1打が、大逆転ドラマの起点となる。「それまでは優勝は無理かな、と思いながらプレーしていたんだけど、ここで潮目が変わったのを実感した。そう、自分で勝手に思っちゃったんだな(笑)」と振り返るジェット。このホールに来たジャンボも、同じく4番アイアンでグリーン右に外し、アプローチを2メートルと寄せきれず2パットのボギー。ついにジャンボとジェットが17アンダーの首位に並んだ。
15番、370ヤードのパー4は2番アイアンで左のラフに曲げながらもPWで4メートルにつけバーディ。続く16番のパー5が圧巻だ。ドライバー、4番アイアンで2オンに成功。約10メートルのパットがカップに消えてイーグルを奪取。大きくジャンプして雄叫びを上げ、喜びを爆発させたジェットの勢いは止まらない。大詰めとなって来た17番、190ヤードのパー3は4番アイアンでグリーンの右奥にオーバー。ピンチと思われた7メートルのアプローチは、またもやカップに消えた。13番に続く、この日2つ目のチップインバーディだ。
優勝争いの真っただ中で、13番からバーディ、ボギー、バーディ、イーグル、バーディという猛チャージ。一気に20アンダーの大台に乗せ大会新記録を達成した。ジャンボは1打届かず19アンダー。中嶋との接戦には勝ったものの、弟に足元をすくわれる形で2位に終わった。
奇跡の逆転を振り返ってジェットはこう言った。「13番は右、17番は奥と、グリーンを外したとしても、上りのアプローチが残る、いわば『外してもいい』短いサイドの方に攻めて行って、グリーンをミスしてからのチップイン。この日のピンの位置は、固く行ったらパーは取れるけど、バーディは取れないピンの位置が多かった。だから後半バーディが取れたことで、達成感は大きかったよね」。
トータル20アンダー。歴史あるトーナメントで樹立した最多アンダーパー記録は「もちろん大変な自信になった。それまでショットはいいけどパットが決まらず「バーディラッシュの尾崎」じゃなくて「バーディチャンスラッシュの尾崎」なんて言われたこともあったほどだから(笑)」。
そんなありがたくない異名も、完全に返上することができた大逆転V。周囲から「弟がいい恩返しをしてくれたね」と祝福されたジャンボは「こんな恩返しはいらない!」と悔しさを露わにしたという。それを聞いたジェットは「うん、あの人はいつもそういう受け答えだから」と笑いながら、自分の勝ち方には及第点をつけた。
「あのラストスパートは、自分のゴルフ人生の中でも最高のフィニッシュ。周囲も盛り上がってくれたけど、自分の心も最高に盛り上がった。好位置から差した、いい勝ち方だったと思いましたね。あの頃は競馬にも凝っていたから、こんな表現になったけど」。
最強の兄、1975年秋のプロテストで同期合格の中嶋を相手に、会心の逆転劇。「ジャンボ3兄弟で最も素質に恵まれている」と評された男が、ようやくその本領を見せた13番からの6ホールだった。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
4打差に9人がひしめく大混戦。最終組の1組前には、すでに1985年の日本プロ(茨城・セントラル西)を制しているジャンボの次弟・ジェット尾崎も2打差の6位につけていた。小雨の降るあいにくのコンディションとなったが、1万6225人もの大ギャラリーが詰めかけていることが注目度の高さを証明していた。
試合がサンデーバックナインに入ると、地元四国のファンにとっては期待を上回る展開となる。ターニング・ポイントは13番、200ヤードのパー3だった。ジェットの4番アイアンから放たれたティショットは、グリーンの右に外れるも約10メートルのPS(ピッチングサンド)でのアプローチが直接カップに吸い込まれる。トータル17アンダーとなり、この時点でジャンボとの差は「1」に詰まる。中嶋には逆に1打差を付けた形になった。
この1打が、大逆転ドラマの起点となる。「それまでは優勝は無理かな、と思いながらプレーしていたんだけど、ここで潮目が変わったのを実感した。そう、自分で勝手に思っちゃったんだな(笑)」と振り返るジェット。このホールに来たジャンボも、同じく4番アイアンでグリーン右に外し、アプローチを2メートルと寄せきれず2パットのボギー。ついにジャンボとジェットが17アンダーの首位に並んだ。
15番、370ヤードのパー4は2番アイアンで左のラフに曲げながらもPWで4メートルにつけバーディ。続く16番のパー5が圧巻だ。ドライバー、4番アイアンで2オンに成功。約10メートルのパットがカップに消えてイーグルを奪取。大きくジャンプして雄叫びを上げ、喜びを爆発させたジェットの勢いは止まらない。大詰めとなって来た17番、190ヤードのパー3は4番アイアンでグリーンの右奥にオーバー。ピンチと思われた7メートルのアプローチは、またもやカップに消えた。13番に続く、この日2つ目のチップインバーディだ。
優勝争いの真っただ中で、13番からバーディ、ボギー、バーディ、イーグル、バーディという猛チャージ。一気に20アンダーの大台に乗せ大会新記録を達成した。ジャンボは1打届かず19アンダー。中嶋との接戦には勝ったものの、弟に足元をすくわれる形で2位に終わった。
奇跡の逆転を振り返ってジェットはこう言った。「13番は右、17番は奥と、グリーンを外したとしても、上りのアプローチが残る、いわば『外してもいい』短いサイドの方に攻めて行って、グリーンをミスしてからのチップイン。この日のピンの位置は、固く行ったらパーは取れるけど、バーディは取れないピンの位置が多かった。だから後半バーディが取れたことで、達成感は大きかったよね」。
トータル20アンダー。歴史あるトーナメントで樹立した最多アンダーパー記録は「もちろん大変な自信になった。それまでショットはいいけどパットが決まらず「バーディラッシュの尾崎」じゃなくて「バーディチャンスラッシュの尾崎」なんて言われたこともあったほどだから(笑)」。
そんなありがたくない異名も、完全に返上することができた大逆転V。周囲から「弟がいい恩返しをしてくれたね」と祝福されたジャンボは「こんな恩返しはいらない!」と悔しさを露わにしたという。それを聞いたジェットは「うん、あの人はいつもそういう受け答えだから」と笑いながら、自分の勝ち方には及第点をつけた。
「あのラストスパートは、自分のゴルフ人生の中でも最高のフィニッシュ。周囲も盛り上がってくれたけど、自分の心も最高に盛り上がった。好位置から差した、いい勝ち方だったと思いましたね。あの頃は競馬にも凝っていたから、こんな表現になったけど」。
最強の兄、1975年秋のプロテストで同期合格の中嶋を相手に、会心の逆転劇。「ジャンボ3兄弟で最も素質に恵まれている」と評された男が、ようやくその本領を見せた13番からの6ホールだった。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)