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    大ピンチの中で心によみがえった師・中村寅吉の教え 最後の直弟子が初優勝を挙げた裏側【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2022年8月16日 23時00分

    • JGTO
    今振り返る、師の厳しくも暖かい教え
    今振り返る、師の厳しくも暖かい教え (撮影:ALBA)
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    1988年7月3日。千葉県の成田スプリングスカントリークラブでは、関東プロゴルフ選手権最終日が行われていた。当時日本オープン、日本プロゴルフ選手権などと並ぶ「公式戦」。日本最古のプロゴルフトーナメントである日本プロゴルフ選手権は1926年、関東プロゴルフ選手権はその5年後の1931年に第1回大会が開催された歴史と格式のある大会だ。同週に開催された同じく公式戦の関西プロで勝った倉本昌弘の「公式戦タイトルは値打ちが違う」という言葉が、それをハッキリと表している。

    初日、嵐のような雨の中で4アンダーの首位に並んだのが丸山智弘と、川俣茂だった。丸山は前年のアコムダブルスで芹沢信雄と組み優勝し、「中村寅吉最後の直弟子」として知られていた。中村は1957年に地元日本・霞ヶ関CC(埼玉)で開催されたカナダ・カップ(現在のワールドカップ)で、小野光一とコンビを組み団体優勝を成し遂げ、同時に個人部門でも優勝を飾り戦後復興期の日本に第一次ゴルフブームを巻き起こした立役者でもあった。

    丸山はこの試合の直前、ハリ治療により苦しめられていた腰痛が解消。2日目も丸山は好調で、1イーグル、4バーディを奪う快進撃で「66」をマーク。トータル10アンダーにスコアを伸ばし、2位の牧野裕らに7打差をつけ、独走態勢で前半を折り返した。決勝ラウンドに入った3日目も、スコアを1つ落としたが2位の新関善美と牧野裕に3打差で最終日を迎えることになった。

    3日間も首位を走れば、報道陣もネタに困り、師である中村からのアドバイスなどを根掘り葉掘り聞くことになる。それが連日報道されたたために、丸山は「俺の話したことを、何でもかんでも(マスコミに)しゃべるな」と師匠から雷を落とされる。さらに最もプレッシャーのかかる最終日前夜、丸山がかけた電話に師・中村は出なかった。後で「あいつは俺の声を聞くと安心するので、わざと出なかった。73で怒っているんだ、と思わせたかった」と中村は明かしているが、最終日のティイングエリアに向かった丸山はそんな本心を知る由もない。

    最終日、序盤は苦しい展開になった。スタートの1番でいきなりボギーを叩き、5番でもボギー。このホールでバーディを奪った新関に7アンダーで並ばれてしまった。その後は息詰まる接戦が続く。首位の丸山が1打リードで迎えた11番でハプニングが起こる。まず5メートルのバーディパットをねじ込み丸山がバーディ。その内側、4メートルにつけた新関がラインを読んで、打とうとした瞬間―。丸山のキャディが全員ホールアウトしたものと勘違いして、カップにピンフラッグを戻してしまった。

    ピンを立てたままパットして当たってもペナルティがつかなくなったのは、2019年のルール改正から。当時はもちろんダメで、このキャディの行為に、ホールを取り巻いた1万人近い大ギャラリーが「ドッ」と笑い声が上がった。単にキャディの大チョンボなのだが、結果的に狙ったかのような「モノを使ったボケ」が成立したのだ。

    これには新関も集中力をそがれ、4メートルを外してしまった。このホールを境に、流れは完全に丸山へと傾く。続く12番では、グリーンオーバーしながら、15メートルをチップインのバーディ。13番のパー5では、運も味方する。第2打をプッシュアウトしてOBゾーンへ1直線。しかしギャラリーに当たって戻って来てセーフ。木の下からの3打目を4メートルにつけ下りのスライスを1発。ツキを生かして、3連続バーディに結び付け。一気に新関との差は4。

    さらに15番でバーディを奪い、その差が5打に広がった時、新関は丸山に「ちょっと疲れたね」と戦意を失ったかのような言葉をぽつりと漏らす。それが、丸山にも微妙な心の変化をもたらした。「あれ?戦闘状態じゃないな」と戸惑った丸山は、勝負の怖さを、17番で心底味わうことになる。

    「左のOBがイヤなんで、右のバンカーの上の、土手からドローをかけようと思って右をむいたんです。でもその後「5打差じゃないか」と思い打つ直前、さらに右を向いたんです。それでバックスイングしたら、右の山の方を向いてるんで『これはやばい、右を向きすぎた』という気分になって、思い切り引っ張ったんです」。ボールはフックして、ギリギリ左にOB。丸山の動揺は激しかった。「完全にパニクった。打ち直しの第3打を、どうやって打っていいのか、分からなくなった」。

    その時、丸山の脳裏に師・中村の教えがよみがえってくるのだ。「先生にいつも言われていたことを思い出したんです。『困った時は、一緒に回っているプロの真似をしろ』という言葉を」。そこで丸山は、一緒に回る2人のショットに目を凝らした。すると新関も牧野も中央あたりに立ち、フェードで打って行った。「ああ、そうか、フェードでいいのか、と分かりました。それでなにしろ2人と同じところに立って、同じようにフェードを打って行ったんです」。

    ボールは成田の空に美しい放物線を描き、フェアウェイをとらえた。「そこでまた、中村先生に救われました」。5打差はあったものの、OBで再び優勝の行方は混とんとしてくる。「新関さんがこのホールのセカンドをアドレスしてから、一度仕切り直したんです。僕がOBしたことで、このホールでトリプルボギーでも打って、新関さんがバーディなら5打差は一気に1打差まで詰まる。完全に分からなくなりますからね」。いったんはあきらめかけた優勝が再び見えてきた新関にやる気がみなぎる。しかし丸山はこのホールをなんとかダブルボギーで切り抜け、一方の新関はパー。丸山は3打のリードで最終18番のパー5を迎えることが出来た。

    「ティーショットは左、セカンドは右と斜めに川が横切っているホール。ティーショットは右の土手気味にうまく打てました。するとギャラリーの中から「刻め!」という声が聞こえたんです。急に言われても、そんな状態で刻んだことがないし、どのクラブをもってどこに刻むべきかが分からない(笑)。仕方なく3Wで打ったら、たまたまナイスショット。うまく真ん中に飛んで、残り70ヤードの所に持って行けたんです。そこから52度を大きめに打って奥のカラー。ここでようやく、優勝が見えた感じでしたね」(丸山)。最終ホールをパーで収めた丸山は、結局3打のリードを守って優勝をモノにした。

    30歳、11年目のツアー初優勝。1960、61、68年と中村寅吉の名が刻まれたトロフィーに、丸山智弘の名も刻まれた。技術はもとより、メンタル面でも惜しみなくアドバイスを贈った師の指導への恩返しが、ようやく出来た瞬間でもあった。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
    1988年7月3日。千葉県の成田スプリングスカントリークラブでは、関東プロゴルフ選手権最終日が行われていた。当時日本オープン、日本プロゴルフ選手権などと並ぶ「公式戦」。日本最古のプロゴルフトーナメントである日本プロゴルフ選手権は1926年、関東プロゴルフ選手権はその5年後の1931年に第1回大会が開催された歴史と格式のある大会だ。同週に開催された同じく公式戦の関西プロで勝った倉本昌弘の「公式戦タイトルは値打ちが違う」という言葉が、それをハッキリと表している。

    初日、嵐のような雨の中で4アンダーの首位に並んだのが丸山智弘と、川俣茂だった。丸山は前年のアコムダブルスで芹沢信雄と組み優勝し、「中村寅吉最後の直弟子」として知られていた。中村は1957年に地元日本・霞ヶ関CC(埼玉)で開催されたカナダ・カップ(現在のワールドカップ)で、小野光一とコンビを組み団体優勝を成し遂げ、同時に個人部門でも優勝を飾り戦後復興期の日本に第一次ゴルフブームを巻き起こした立役者でもあった。

    丸山はこの試合の直前、ハリ治療により苦しめられていた腰痛が解消。2日目も丸山は好調で、1イーグル、4バーディを奪う快進撃で「66」をマーク。トータル10アンダーにスコアを伸ばし、2位の牧野裕らに7打差をつけ、独走態勢で前半を折り返した。決勝ラウンドに入った3日目も、スコアを1つ落としたが2位の新関善美と牧野裕に3打差で最終日を迎えることになった。

    3日間も首位を走れば、報道陣もネタに困り、師である中村からのアドバイスなどを根掘り葉掘り聞くことになる。それが連日報道されたたために、丸山は「俺の話したことを、何でもかんでも(マスコミに)しゃべるな」と師匠から雷を落とされる。さらに最もプレッシャーのかかる最終日前夜、丸山がかけた電話に師・中村は出なかった。後で「あいつは俺の声を聞くと安心するので、わざと出なかった。73で怒っているんだ、と思わせたかった」と中村は明かしているが、最終日のティイングエリアに向かった丸山はそんな本心を知る由もない。

    最終日、序盤は苦しい展開になった。スタートの1番でいきなりボギーを叩き、5番でもボギー。このホールでバーディを奪った新関に7アンダーで並ばれてしまった。その後は息詰まる接戦が続く。首位の丸山が1打リードで迎えた11番でハプニングが起こる。まず5メートルのバーディパットをねじ込み丸山がバーディ。その内側、4メートルにつけた新関がラインを読んで、打とうとした瞬間―。丸山のキャディが全員ホールアウトしたものと勘違いして、カップにピンフラッグを戻してしまった。

    ピンを立てたままパットして当たってもペナルティがつかなくなったのは、2019年のルール改正から。当時はもちろんダメで、このキャディの行為に、ホールを取り巻いた1万人近い大ギャラリーが「ドッ」と笑い声が上がった。単にキャディの大チョンボなのだが、結果的に狙ったかのような「モノを使ったボケ」が成立したのだ。

    これには新関も集中力をそがれ、4メートルを外してしまった。このホールを境に、流れは完全に丸山へと傾く。続く12番では、グリーンオーバーしながら、15メートルをチップインのバーディ。13番のパー5では、運も味方する。第2打をプッシュアウトしてOBゾーンへ1直線。しかしギャラリーに当たって戻って来てセーフ。木の下からの3打目を4メートルにつけ下りのスライスを1発。ツキを生かして、3連続バーディに結び付け。一気に新関との差は4。

    さらに15番でバーディを奪い、その差が5打に広がった時、新関は丸山に「ちょっと疲れたね」と戦意を失ったかのような言葉をぽつりと漏らす。それが、丸山にも微妙な心の変化をもたらした。「あれ?戦闘状態じゃないな」と戸惑った丸山は、勝負の怖さを、17番で心底味わうことになる。

    「左のOBがイヤなんで、右のバンカーの上の、土手からドローをかけようと思って右をむいたんです。でもその後「5打差じゃないか」と思い打つ直前、さらに右を向いたんです。それでバックスイングしたら、右の山の方を向いてるんで『これはやばい、右を向きすぎた』という気分になって、思い切り引っ張ったんです」。ボールはフックして、ギリギリ左にOB。丸山の動揺は激しかった。「完全にパニクった。打ち直しの第3打を、どうやって打っていいのか、分からなくなった」。

    その時、丸山の脳裏に師・中村の教えがよみがえってくるのだ。「先生にいつも言われていたことを思い出したんです。『困った時は、一緒に回っているプロの真似をしろ』という言葉を」。そこで丸山は、一緒に回る2人のショットに目を凝らした。すると新関も牧野も中央あたりに立ち、フェードで打って行った。「ああ、そうか、フェードでいいのか、と分かりました。それでなにしろ2人と同じところに立って、同じようにフェードを打って行ったんです」。

    ボールは成田の空に美しい放物線を描き、フェアウェイをとらえた。「そこでまた、中村先生に救われました」。5打差はあったものの、OBで再び優勝の行方は混とんとしてくる。「新関さんがこのホールのセカンドをアドレスしてから、一度仕切り直したんです。僕がOBしたことで、このホールでトリプルボギーでも打って、新関さんがバーディなら5打差は一気に1打差まで詰まる。完全に分からなくなりますからね」。いったんはあきらめかけた優勝が再び見えてきた新関にやる気がみなぎる。しかし丸山はこのホールをなんとかダブルボギーで切り抜け、一方の新関はパー。丸山は3打のリードで最終18番のパー5を迎えることが出来た。

    「ティーショットは左、セカンドは右と斜めに川が横切っているホール。ティーショットは右の土手気味にうまく打てました。するとギャラリーの中から「刻め!」という声が聞こえたんです。急に言われても、そんな状態で刻んだことがないし、どのクラブをもってどこに刻むべきかが分からない(笑)。仕方なく3Wで打ったら、たまたまナイスショット。うまく真ん中に飛んで、残り70ヤードの所に持って行けたんです。そこから52度を大きめに打って奥のカラー。ここでようやく、優勝が見えた感じでしたね」(丸山)。最終ホールをパーで収めた丸山は、結局3打のリードを守って優勝をモノにした。

    30歳、11年目のツアー初優勝。1960、61、68年と中村寅吉の名が刻まれたトロフィーに、丸山智弘の名も刻まれた。技術はもとより、メンタル面でも惜しみなくアドバイスを贈った師の指導への恩返しが、ようやく出来た瞬間でもあった。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
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