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    新兵器の長距離砲が炸裂! 全米OP王者を大詰めで逆転した船渡川育宏【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2022年11月8日 23時00分

    • JGTO
    1986年「太平洋クラブマスターズ」を制した80年代の船渡川育宏
    1986年「太平洋クラブマスターズ」を制した80年代の船渡川育宏 (撮影:ALBA)
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    1986年11月16日、太平洋クラブマスターズ最終日。18番の第2打は、グリーン手前に止まっていた。そのとき、船渡川育宏は、待ち受ける青木ファミリーの仲間たちに視線を送りながら、握っていたクラブを水平に持ち替えた。それから茶目っ気たっぷりに「送りバント」のポーズをした。3年前の1983年に全米オープンを制していたラリー・ネルソンには、2打差をつけて単独トップ。「手堅く上がる」というアピールだった。

    ■海外からも豪華な強豪メンバーが出場

    内心では、肝を冷やしていた。船渡川は「まさか、ここまで飛ぶとは思っていなかったから」と振り返る。優勝争い。勝負を決める大事なショット。18番の第2打はご多分に漏れず、凄まじいパワーがアドレナリンによってもたらされていた。5番アイアンで230ヤード。刻んだショットのはずが、とんでもない飛距離が出ていた。

    「左のサブグリーンを狙っていって刻んだつもりが、考えられないところまで飛んでいった。グリーンの手前の、あとはチョーンと寄せるところだけど、打ったところからは見えなかったから行ってみて驚いた。アドレナリン? それ以外は考えられないよね」。

    この年の太平洋クラブマスターズには、海外からも豪華なメンバーが参戦していた。全英オープンとマスターズに勝っていたスペインの星、セベ・バレステロス、全米プロ、全米オープンを制していた米国のラリー・ネルソン。豪州の強豪デビッド・グラハム、前年の全米プロ王者、ヒューバート。グリーン…。のちにマスターズを制すことになるウェールズのイアン・ウーズナム、スペインのホセ・マリア・オラサバルもその顔ぶれの中にいた。

    これは当時、太平洋クラブマスターズからダンロップフェニックス、カシオワールドオープンの3試合が世界的にもトップレベルにある高額大会であり、米欧のシーズンが終了後のタイミングに開催されていたこともあるが、選手たちにはもう一つの魅力もあった。この太平洋から3連勝で、1億円のビッグボーナスが用意されていたからだ。

    迎え撃つ日本勢も青木功、尾崎将司、中嶋常幸が全盛時で、日本のゴルフが最も盛り上がっていた時期といえる。83年がツアー史上最多の46試合、この年も40試合が開催されていた。現在30試合と伸び悩む男子ツアーの現状とは天と地ほどの差がある。

    ■初日の主役はジャンボ軍団だった

    その3連戦の初戦となった太平洋クラブマスターズで、初日の主役となったのはジャンボ軍団の面々だった。尾崎直道が66をマークして首位に立てば、ジャンボ尾崎も2イーグルを含む67で1打差の2位。さらに2打差の7位に尾崎健夫と飯合肇。90年代に訪れるジャンボ軍団の黄金時代を予感させる上位独占状態となった。

    そこに割って入ったのが、青木ファミリーの一員だった船渡川育宏だった。初日の67に続き2日目は68をマーク。ジャンボとともに通算9アンダーで首位に並ぶ。船渡川が奮起した要因の一つは、シード転落への危機感だった。この年は9月の関東オープンで予選落ち後7試合連続予選落ち。この時点で稼いでいた賞金額は537万円で56位。残り試合はこの3連戦の後は、日本シリーズと大京オープンと5試合しかない。シーズン終了時の賞金ランキング40位以内のシード権にも赤ランプがともっていた。

    当時の心境を、船渡川は「あの年はちょうどパーシモンからカーボン、金属ヘッドという過渡期で、他の選手が一気に飛距離を伸ばしつつあったとき。自分はといえば契約先とのクラブの調整がうまくできていなくて、苦労していた。それでも飛ばそうとして無理をするから手を痛めてしまって、イライラも募っていたんです。そこにようやく、いい飛び道具が届いたんです。埼玉から(静岡まで)知り合いが持ってきてくれた。で、土曜日からそれを使ったんです」と話す。

    ■アマチュアが使う柔らかいシャフトが飛び道具に

    勝負のムービングサタデー。ジャンボと回る船渡川の手に握られていたのは「パーシモンのヘッドに、μ240の軽いシャフト、確かM-40 を入れてもらったドライバー。シャフトはアマチュアが使う柔らかいシャフトなんだけど、これが30ヤード前に行くんです。これまでの辛い10カ月間を思い出して『俺は一体何をやってたんだろう』と思いましたね。でも、好きなクラブに持ち替えたことで、自分の闘争心が出てきた」。

    1番でジャンボはスプーン(3W)でティーショット。そのボールより40ヤード先に、船渡川のドライバーから放たれたボールが止まっていた。

    「2番でジャンボは左の池に入っちゃうから、ブラッシー(2W)でティーショット。俺はドライバーで30ヤードくらい前に行った。それでジャンボから『フナ、調子いいね』と言われたんで「ええ、このドライバーなかなかいいんですよ」なんてやりとりをした後、3番のパー5で初めてジャンボがドライバーを使って、2オンしたんです。このときのドライバーは30ヤードくらい置いて行かれて『やっぱりジャンボは飛ぶな』と思って、ジャンボがドライバーを打つところでは、俺も思い切り打つように心がけたんです。それでほとんど負けなかったんで『よし、これで最終日、一発やってやるか』という気になれた」。

    ドライバーを替えた瞬間から、ジャンボと互角の飛ばし屋に変身した船渡川。30ヤードの飛距離アップの秘密を、船渡川はこう明かす。

    「もともと、ドライバーは最低45インチが絶対最低条件。中学生のときにアルミシャフトの44インチでゴルフを覚えているんです。初めの一歩で皆さんより1インチ長いクラブですから、42.5インチとか、既製品の短いクラブは持ったことがないんですよ。それとオープンフェースになっていないと打てないのに、金属ヘッドになって右向かなくなって、ドライバーでは本当に苦労していたんです。左を向いているから左に行かないように潰して打つ。それで吹き上がって、飛距離がスポイルされていた。今のように計測器があれば、確実にスピン量の上げすぎと出る。無理な動きをするから手をケガまでしていた。うまくいかないからイライラしていたところに、好きなクラブに持ち替えられた。もう左を動かさないで振ればいいだけですから、ドローボールは完ぺきでした。柔らかいシャフトで振り切ったから回転量が減って、距離が出た、というだけの話だと思います。ドライバーとフェアウェイウッドは完ぺきだから、ロングホールがカモになるから楽チンですよね。無理しなくて、皆と同じ距離が出る。それだけで高揚した気分で、プレーすることが出来たんです」。

    ■全米オープン覇者のラリー・ネルソンに首位を奪われ、「何かが吹っ切れた」

    通算11アンダーまでスコアを伸ばし、最終日の18ホールを残すのみ。2位のグラハムに2打差の単独首位に立った船渡川は「まずこれで、シード権は何とかなりそうだ」と安堵したという。そのうえで優勝を狙ってスタートすると11番で二つ目のバーディを奪い通算13アンダーまでスコアを伸ばした。

    その船渡川を猛烈に追い上げたのがすでに1981年の全米プロ、1983年の全米オープンを制していた強豪ラリー・ネルソン。14番まで5バーディを積み上げ通算12アンダーで船渡川の1打差まで忍び寄った。ここで船渡川にミスが出る。13番ではバンカーから寄せ切れず、14番では第2打で池に入れて連続ボギー。通算11アンダーに後退し、ネルソンに首位を明け渡した。

    しかし「ここで何かが吹っ切れた」船渡川は、15番のパー4で45インチの“物干し竿”を思い切り振って300ヤードのビッグドライブ。第2打を3メートルにつけて1パットのバーディを奪いネルソンに並びかける。さらに16番では7メートルのロングパットを1発。単独首位に再び立った。

    17番をパーで上がり、18番で冒頭のシーンとなる。寄せワンのバーディを奪い、上り4ホールで3アンダーという強烈なラストスパートで2位以下を後方に追いやった完ぺきな優勝だった。これにはネルソンも「ボギーなしの5アンダーには自分でも満足している。フナトガワが、強かったんだよ」と賛辞を贈った。

    アマチュア使用の柔らかいシャフトから生まれた驚異のビッグドライブ。テレビ中継ホールでバーディ、バーディ、パー、バーディという鮮やかな優勝劇は、その後も長く語り継がれることとなった。(取材/構成・日本ゴルフジャーナリスト協会会長 小川朗)
    1986年11月16日、太平洋クラブマスターズ最終日。18番の第2打は、グリーン手前に止まっていた。そのとき、船渡川育宏は、待ち受ける青木ファミリーの仲間たちに視線を送りながら、握っていたクラブを水平に持ち替えた。それから茶目っ気たっぷりに「送りバント」のポーズをした。3年前の1983年に全米オープンを制していたラリー・ネルソンには、2打差をつけて単独トップ。「手堅く上がる」というアピールだった。

    ■海外からも豪華な強豪メンバーが出場

    内心では、肝を冷やしていた。船渡川は「まさか、ここまで飛ぶとは思っていなかったから」と振り返る。優勝争い。勝負を決める大事なショット。18番の第2打はご多分に漏れず、凄まじいパワーがアドレナリンによってもたらされていた。5番アイアンで230ヤード。刻んだショットのはずが、とんでもない飛距離が出ていた。

    「左のサブグリーンを狙っていって刻んだつもりが、考えられないところまで飛んでいった。グリーンの手前の、あとはチョーンと寄せるところだけど、打ったところからは見えなかったから行ってみて驚いた。アドレナリン? それ以外は考えられないよね」。

    この年の太平洋クラブマスターズには、海外からも豪華なメンバーが参戦していた。全英オープンとマスターズに勝っていたスペインの星、セベ・バレステロス、全米プロ、全米オープンを制していた米国のラリー・ネルソン。豪州の強豪デビッド・グラハム、前年の全米プロ王者、ヒューバート。グリーン…。のちにマスターズを制すことになるウェールズのイアン・ウーズナム、スペインのホセ・マリア・オラサバルもその顔ぶれの中にいた。

    これは当時、太平洋クラブマスターズからダンロップフェニックス、カシオワールドオープンの3試合が世界的にもトップレベルにある高額大会であり、米欧のシーズンが終了後のタイミングに開催されていたこともあるが、選手たちにはもう一つの魅力もあった。この太平洋から3連勝で、1億円のビッグボーナスが用意されていたからだ。

    迎え撃つ日本勢も青木功、尾崎将司、中嶋常幸が全盛時で、日本のゴルフが最も盛り上がっていた時期といえる。83年がツアー史上最多の46試合、この年も40試合が開催されていた。現在30試合と伸び悩む男子ツアーの現状とは天と地ほどの差がある。

    ■初日の主役はジャンボ軍団だった

    その3連戦の初戦となった太平洋クラブマスターズで、初日の主役となったのはジャンボ軍団の面々だった。尾崎直道が66をマークして首位に立てば、ジャンボ尾崎も2イーグルを含む67で1打差の2位。さらに2打差の7位に尾崎健夫と飯合肇。90年代に訪れるジャンボ軍団の黄金時代を予感させる上位独占状態となった。

    そこに割って入ったのが、青木ファミリーの一員だった船渡川育宏だった。初日の67に続き2日目は68をマーク。ジャンボとともに通算9アンダーで首位に並ぶ。船渡川が奮起した要因の一つは、シード転落への危機感だった。この年は9月の関東オープンで予選落ち後7試合連続予選落ち。この時点で稼いでいた賞金額は537万円で56位。残り試合はこの3連戦の後は、日本シリーズと大京オープンと5試合しかない。シーズン終了時の賞金ランキング40位以内のシード権にも赤ランプがともっていた。

    当時の心境を、船渡川は「あの年はちょうどパーシモンからカーボン、金属ヘッドという過渡期で、他の選手が一気に飛距離を伸ばしつつあったとき。自分はといえば契約先とのクラブの調整がうまくできていなくて、苦労していた。それでも飛ばそうとして無理をするから手を痛めてしまって、イライラも募っていたんです。そこにようやく、いい飛び道具が届いたんです。埼玉から(静岡まで)知り合いが持ってきてくれた。で、土曜日からそれを使ったんです」と話す。

    ■アマチュアが使う柔らかいシャフトが飛び道具に

    勝負のムービングサタデー。ジャンボと回る船渡川の手に握られていたのは「パーシモンのヘッドに、μ240の軽いシャフト、確かM-40 を入れてもらったドライバー。シャフトはアマチュアが使う柔らかいシャフトなんだけど、これが30ヤード前に行くんです。これまでの辛い10カ月間を思い出して『俺は一体何をやってたんだろう』と思いましたね。でも、好きなクラブに持ち替えたことで、自分の闘争心が出てきた」。

    1番でジャンボはスプーン(3W)でティーショット。そのボールより40ヤード先に、船渡川のドライバーから放たれたボールが止まっていた。

    「2番でジャンボは左の池に入っちゃうから、ブラッシー(2W)でティーショット。俺はドライバーで30ヤードくらい前に行った。それでジャンボから『フナ、調子いいね』と言われたんで「ええ、このドライバーなかなかいいんですよ」なんてやりとりをした後、3番のパー5で初めてジャンボがドライバーを使って、2オンしたんです。このときのドライバーは30ヤードくらい置いて行かれて『やっぱりジャンボは飛ぶな』と思って、ジャンボがドライバーを打つところでは、俺も思い切り打つように心がけたんです。それでほとんど負けなかったんで『よし、これで最終日、一発やってやるか』という気になれた」。

    ドライバーを替えた瞬間から、ジャンボと互角の飛ばし屋に変身した船渡川。30ヤードの飛距離アップの秘密を、船渡川はこう明かす。

    「もともと、ドライバーは最低45インチが絶対最低条件。中学生のときにアルミシャフトの44インチでゴルフを覚えているんです。初めの一歩で皆さんより1インチ長いクラブですから、42.5インチとか、既製品の短いクラブは持ったことがないんですよ。それとオープンフェースになっていないと打てないのに、金属ヘッドになって右向かなくなって、ドライバーでは本当に苦労していたんです。左を向いているから左に行かないように潰して打つ。それで吹き上がって、飛距離がスポイルされていた。今のように計測器があれば、確実にスピン量の上げすぎと出る。無理な動きをするから手をケガまでしていた。うまくいかないからイライラしていたところに、好きなクラブに持ち替えられた。もう左を動かさないで振ればいいだけですから、ドローボールは完ぺきでした。柔らかいシャフトで振り切ったから回転量が減って、距離が出た、というだけの話だと思います。ドライバーとフェアウェイウッドは完ぺきだから、ロングホールがカモになるから楽チンですよね。無理しなくて、皆と同じ距離が出る。それだけで高揚した気分で、プレーすることが出来たんです」。

    ■全米オープン覇者のラリー・ネルソンに首位を奪われ、「何かが吹っ切れた」

    通算11アンダーまでスコアを伸ばし、最終日の18ホールを残すのみ。2位のグラハムに2打差の単独首位に立った船渡川は「まずこれで、シード権は何とかなりそうだ」と安堵したという。そのうえで優勝を狙ってスタートすると11番で二つ目のバーディを奪い通算13アンダーまでスコアを伸ばした。

    その船渡川を猛烈に追い上げたのがすでに1981年の全米プロ、1983年の全米オープンを制していた強豪ラリー・ネルソン。14番まで5バーディを積み上げ通算12アンダーで船渡川の1打差まで忍び寄った。ここで船渡川にミスが出る。13番ではバンカーから寄せ切れず、14番では第2打で池に入れて連続ボギー。通算11アンダーに後退し、ネルソンに首位を明け渡した。

    しかし「ここで何かが吹っ切れた」船渡川は、15番のパー4で45インチの“物干し竿”を思い切り振って300ヤードのビッグドライブ。第2打を3メートルにつけて1パットのバーディを奪いネルソンに並びかける。さらに16番では7メートルのロングパットを1発。単独首位に再び立った。

    17番をパーで上がり、18番で冒頭のシーンとなる。寄せワンのバーディを奪い、上り4ホールで3アンダーという強烈なラストスパートで2位以下を後方に追いやった完ぺきな優勝だった。これにはネルソンも「ボギーなしの5アンダーには自分でも満足している。フナトガワが、強かったんだよ」と賛辞を贈った。

    アマチュア使用の柔らかいシャフトから生まれた驚異のビッグドライブ。テレビ中継ホールでバーディ、バーディ、パー、バーディという鮮やかな優勝劇は、その後も長く語り継がれることとなった。(取材/構成・日本ゴルフジャーナリスト協会会長 小川朗)
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