好対照だったのが中嶋と青木。中嶋は「この知らせを聞いたときは本当にうれしかった。良き先輩がいて、競い合う人がいたからです。青木さんと戦った日本オープン、ジャンボと戦った日本オープン忘れません。本当にああいう試合ができたのがうれしく思います。いいときも悪いときも、もっと悪いときも支えてくれた家内にこの殿堂をささげたい」と挨拶。
すると、後を受けた青木は「(1987年の日本オープンが行われた)有馬ロイヤルで18番1ストローク私がリードしているときに、グリーン脇のスタンドの下に中嶋くんがキャディバッグを持ってしゃがんで見ていた。その真正面に向かって私はパーパットを打つわけです。“俺が外してプレーオフをやろうか”という顔をしているように見えました。このパットを沈めて、中嶋に向かって大きくグーのガッツポーズをしてやりました。そのくらい勝負というのは生き地獄。勝てば天下、負ければ地獄なワケです。ちなみに彼(中嶋)は私がパットを入れた瞬間にバッグを置いて帰っていましたけどね(笑)。そのくらい勝負師でした」と思い出話に花を咲かすと、「あなたがそういうふうにやってくれたおかげで、長くしつこくゴルフができていますよ(笑)」と青木節で祝福した。
すると、後を受けた青木は「(1987年の日本オープンが行われた)有馬ロイヤルで18番1ストローク私がリードしているときに、グリーン脇のスタンドの下に中嶋くんがキャディバッグを持ってしゃがんで見ていた。その真正面に向かって私はパーパットを打つわけです。“俺が外してプレーオフをやろうか”という顔をしているように見えました。このパットを沈めて、中嶋に向かって大きくグーのガッツポーズをしてやりました。そのくらい勝負というのは生き地獄。勝てば天下、負ければ地獄なワケです。ちなみに彼(中嶋)は私がパットを入れた瞬間にバッグを置いて帰っていましたけどね(笑)。そのくらい勝負師でした」と思い出話に花を咲かすと、「あなたがそういうふうにやってくれたおかげで、長くしつこくゴルフができていますよ(笑)」と青木節で祝福した。