苦悩を正直に吐露するハヌル。確かにプロになってからは順風満帆のゴルフ生活を送ってきた。韓国ツアーでは2年連続賞金女王の肩書きを持ち、韓国には特定選手を追うファンが多いが、“選手公認ファンクラブ”が初めて作られたのもハヌルの人気がきっかけだ。
名実ともに韓国ツアーでの地位を確立させた彼女が、満を持して選択したのは日本ツアーだった。参戦1年目から1勝を挙げて初シードを獲得。翌16年はメジャー初優勝を含む2勝して同4位、17年は3勝して同4位と年を重ねるごとに成績は上昇した。
18年は未勝利だったが、同29位で賞金シードをどうにか獲得。ただ、この頃から思うようなゴルフができなくなってきたという。
いったい、何が起こっていたのだろうか。ハヌルは自分なりに不調の要因をこう分析していた。
「初日、二日目がよくても、最終日にスコアを落としてしまうことが多かったんです。それは体力的な部分からきているのだと思います。もちろん結果が出ないので自信をなくしてしまうメンタル的な部分もあると思いますが、最終日まで体力が持たないのが、プレーに影響が出てしまっていたんです」
そうはいってもほかにも原因があるのではないか。特に17年にメジャーの「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」で優勝して得た3年シードが、ハヌルに戦うモチベーションを低下させてしまっていたのではないか、と勝手に思っていた。その質問をぶつけると、ハヌルは「そんなことはありません」とキッパリと言い切った。
名実ともに韓国ツアーでの地位を確立させた彼女が、満を持して選択したのは日本ツアーだった。参戦1年目から1勝を挙げて初シードを獲得。翌16年はメジャー初優勝を含む2勝して同4位、17年は3勝して同4位と年を重ねるごとに成績は上昇した。
18年は未勝利だったが、同29位で賞金シードをどうにか獲得。ただ、この頃から思うようなゴルフができなくなってきたという。
いったい、何が起こっていたのだろうか。ハヌルは自分なりに不調の要因をこう分析していた。
「初日、二日目がよくても、最終日にスコアを落としてしまうことが多かったんです。それは体力的な部分からきているのだと思います。もちろん結果が出ないので自信をなくしてしまうメンタル的な部分もあると思いますが、最終日まで体力が持たないのが、プレーに影響が出てしまっていたんです」
そうはいってもほかにも原因があるのではないか。特に17年にメジャーの「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」で優勝して得た3年シードが、ハヌルに戦うモチベーションを低下させてしまっていたのではないか、と勝手に思っていた。その質問をぶつけると、ハヌルは「そんなことはありません」とキッパリと言い切った。